◆第十章【閃光】波浪
その閃光は、打ち上げ花火のようだった。
ヨスケはしばらく朔馬の腕で泣き続けた。
泣き疲れておとなしくなった頃、朔馬はヨスケの顔をTシャツで拭った。
「たぶん、鵺の血だ」
朔馬は自らのTシャツが薄く汚れたのを確認していった。
私と理玄がハンカチを差し出すと、朔馬は「汚れるよ」とそれを辞退した。
「服が汚れるよりいいよ。やるから使いな」
朔馬が触れているヨスケについては、理玄も目視できているようだった。私と理玄がハンカチを押し付けると、朔馬は「ありがとう」といって丁寧にヨスケを拭いた。
ヨスケは朔馬の腕の中でひどく大人しかった。
朔馬の足元には、不安げな表情を浮かべた狸囃子たちがヨスケを見つめている。
「鵺と妖狐が戦っているところに出くわしてしまったことがある。すごくこわかった。もしかしたらその時に、鵺の血を浴びてしまったのかも知れないと、そういっている」
狸丸は狸囃子の言葉を通訳した。
「うん、少しだけヨスケの記憶に触れたけど。四匹を守るようにして、鵺の血を浴びたみたいだったな」
――とても勇敢だった
その言葉は、記憶を見たからでた言葉なのだろう。
「ヨスケは四を助けると書くからな、そういう性分なのかね」
理玄はいった。
「そうかもね。鵺の血を浴びた影響もあって、少し凶暴になってたみたいだ」
「鵺ってのは、人間よりも妖怪に影響を及ぼすんだな」
「鵺は本来、日本にはいない妖怪だからね。どんな影響が出るのか、想像がつかないな」
朔馬はそういいながら、ヨスケの耳の辺りを凝視した。
「耳にも血が入ったのかも知れない。でもこれ以上は俺が手を出すより、相性のいい神社で水浴びする方がいいな。耳の調子はそのうち戻るよ」
狸丸がそれを通訳すると、ヨスケと狸囃子たちはほっとした表情をみせた。
武藤さんも自分の耳に異変があると感じた時、とても不安だったといっていた。私自身もそうなったら困惑すると思うが、音楽に携わる者たちとはまた違った感覚なのかも知れない。
それからヨスケたちは、五匹で短い話し合いを行った。
そしてほどなく話し合いは終わり、私たちにお礼をいってくれた。
それから狸囃子とは、手を振り合って別れた。
ヨスケは無事に、狸囃子に戻ったわけである。
◇
「赤丸の正体も、ヨスケだったみたいだよ」
理玄の車に乗り込むと、朔馬は他人事のようにいった。おそらくヨスケの記憶の話なのだろう。
「そうなのか。赤丸の件、すっかり忘れてたな」
理玄はいった。
「人を探すために、ヨスケはそうする必要があったらしい。赤丸から音が聞こえたのはその影響かな。本来は人間が気付ける音域のものではなかったと思うけど、理玄は敏感だから」
「敏感といわれると否定したくなるけどな。あ、赤丸が消えてるな」
理玄は切袴をめくって確認した。
「ヨスケの泣き声に妙な響きが入ってたんだけど、それが赤丸の副作用かなにかだったのかも知れない」
朔馬は「気づいた?」と、後部座席にいる私を振り返った。私は肯定する意味を込めて頷いた。
「とりあえず、これで万事解決か。朔馬はあの時、なにをしたんだ?」
あの時、というのは閃光を放った時のことだろう。
理玄にその光が見えたのかはわからないが、朔馬がなんらかの術を発動させたことは感じられたのかも知れない。
「鬼虚というか、鬼虚もどきをヨスケに戻しただけだよ」
「鬼虚って、よくないものって認識でいいんだよな。急に出てくることもあるんだな。場所に溜まってる鬼虚しか知らないから、妙な感じだった」
「ほとんどの鬼虚はそういうものだよ。でも今回の鬼虚はヨスケの感情がどうしようもなく溢れてしまって、それが鬼虚になろうとしてた感じかな」
「よほど辛かったんだろうな」
「そうだね。それに鵺の血を浴びた状態では、自分の感情を抑制するのは難しかったと思う」
朔馬はそういって膝に乗っている狸丸を撫でた。狸丸は満足そうに目を細めた。
「しかし、その鬼虚もどきを戻すなんてことできるんだな」
「今回はたまたまかな。ヨスケ自身に戻して欲しいという意志が強くあったし、できたばかりの鬼虚だったから」
朔馬は小さく息を吐いた。
妖怪の記憶に触れたため、その憂いにも触れてしまうようである。
「自分の罪は自分で背負っていくと、そういってたぞ。そうしなければ、演奏ができないと」
狸丸はいった。
「立派なタヌキだな」
理玄はいった。
「そう思うよ」
私は後部座席でうとうとしながら、それらの話を聞いていた。
あの時、ヨスケから出てきた鬼虚は私を見ていたように感じた。気のせいだとは思うが、そう思えた。
なんだか無償に、彼女のピアノが聴きたかった。
ピアノ部屋の空気の振動を思い出し、もう腹鼓を打ってくれるヨスケがあの部屋にいないことを少しだけ悲しく思った。
しかし私たちは、きっとすぐにヨスケを思い出にするだろう。
非日常よりも不可解な日常が、明日も私たちを待っている。
流れる夜の景色の中で、光の尾だけがいつまでも着いてきた。
その閃光は、打ち上げ花火のようだった。
ヨスケはしばらく朔馬の腕で泣き続けた。
泣き疲れておとなしくなった頃、朔馬はヨスケの顔をTシャツで拭った。
「たぶん、鵺の血だ」
朔馬は自らのTシャツが薄く汚れたのを確認していった。
私と理玄がハンカチを差し出すと、朔馬は「汚れるよ」とそれを辞退した。
「服が汚れるよりいいよ。やるから使いな」
朔馬が触れているヨスケについては、理玄も目視できているようだった。私と理玄がハンカチを押し付けると、朔馬は「ありがとう」といって丁寧にヨスケを拭いた。
ヨスケは朔馬の腕の中でひどく大人しかった。
朔馬の足元には、不安げな表情を浮かべた狸囃子たちがヨスケを見つめている。
「鵺と妖狐が戦っているところに出くわしてしまったことがある。すごくこわかった。もしかしたらその時に、鵺の血を浴びてしまったのかも知れないと、そういっている」
狸丸は狸囃子の言葉を通訳した。
「うん、少しだけヨスケの記憶に触れたけど。四匹を守るようにして、鵺の血を浴びたみたいだったな」
――とても勇敢だった
その言葉は、記憶を見たからでた言葉なのだろう。
「ヨスケは四を助けると書くからな、そういう性分なのかね」
理玄はいった。
「そうかもね。鵺の血を浴びた影響もあって、少し凶暴になってたみたいだ」
「鵺ってのは、人間よりも妖怪に影響を及ぼすんだな」
「鵺は本来、日本にはいない妖怪だからね。どんな影響が出るのか、想像がつかないな」
朔馬はそういいながら、ヨスケの耳の辺りを凝視した。
「耳にも血が入ったのかも知れない。でもこれ以上は俺が手を出すより、相性のいい神社で水浴びする方がいいな。耳の調子はそのうち戻るよ」
狸丸がそれを通訳すると、ヨスケと狸囃子たちはほっとした表情をみせた。
武藤さんも自分の耳に異変があると感じた時、とても不安だったといっていた。私自身もそうなったら困惑すると思うが、音楽に携わる者たちとはまた違った感覚なのかも知れない。
それからヨスケたちは、五匹で短い話し合いを行った。
そしてほどなく話し合いは終わり、私たちにお礼をいってくれた。
それから狸囃子とは、手を振り合って別れた。
ヨスケは無事に、狸囃子に戻ったわけである。
◇
「赤丸の正体も、ヨスケだったみたいだよ」
理玄の車に乗り込むと、朔馬は他人事のようにいった。おそらくヨスケの記憶の話なのだろう。
「そうなのか。赤丸の件、すっかり忘れてたな」
理玄はいった。
「人を探すために、ヨスケはそうする必要があったらしい。赤丸から音が聞こえたのはその影響かな。本来は人間が気付ける音域のものではなかったと思うけど、理玄は敏感だから」
「敏感といわれると否定したくなるけどな。あ、赤丸が消えてるな」
理玄は切袴をめくって確認した。
「ヨスケの泣き声に妙な響きが入ってたんだけど、それが赤丸の副作用かなにかだったのかも知れない」
朔馬は「気づいた?」と、後部座席にいる私を振り返った。私は肯定する意味を込めて頷いた。
「とりあえず、これで万事解決か。朔馬はあの時、なにをしたんだ?」
あの時、というのは閃光を放った時のことだろう。
理玄にその光が見えたのかはわからないが、朔馬がなんらかの術を発動させたことは感じられたのかも知れない。
「鬼虚というか、鬼虚もどきをヨスケに戻しただけだよ」
「鬼虚って、よくないものって認識でいいんだよな。急に出てくることもあるんだな。場所に溜まってる鬼虚しか知らないから、妙な感じだった」
「ほとんどの鬼虚はそういうものだよ。でも今回の鬼虚はヨスケの感情がどうしようもなく溢れてしまって、それが鬼虚になろうとしてた感じかな」
「よほど辛かったんだろうな」
「そうだね。それに鵺の血を浴びた状態では、自分の感情を抑制するのは難しかったと思う」
朔馬はそういって膝に乗っている狸丸を撫でた。狸丸は満足そうに目を細めた。
「しかし、その鬼虚もどきを戻すなんてことできるんだな」
「今回はたまたまかな。ヨスケ自身に戻して欲しいという意志が強くあったし、できたばかりの鬼虚だったから」
朔馬は小さく息を吐いた。
妖怪の記憶に触れたため、その憂いにも触れてしまうようである。
「自分の罪は自分で背負っていくと、そういってたぞ。そうしなければ、演奏ができないと」
狸丸はいった。
「立派なタヌキだな」
理玄はいった。
「そう思うよ」
私は後部座席でうとうとしながら、それらの話を聞いていた。
あの時、ヨスケから出てきた鬼虚は私を見ていたように感じた。気のせいだとは思うが、そう思えた。
なんだか無償に、彼女のピアノが聴きたかった。
ピアノ部屋の空気の振動を思い出し、もう腹鼓を打ってくれるヨスケがあの部屋にいないことを少しだけ悲しく思った。
しかし私たちは、きっとすぐにヨスケを思い出にするだろう。
非日常よりも不可解な日常が、明日も私たちを待っている。
流れる夜の景色の中で、光の尾だけがいつまでも着いてきた。

