新人の朝は早い。
早番の日は誰よりも早く出勤してお店を開ける準備をしなくちゃならない。電気をつけて、空調のスイッチも付けてプリンターやメインPCの電源を入れて、お店の外回りのお掃除もある。この支店に配属されたのは私と井上君。だから私と井上君が早番の日はこの持ち回りを2人でローテーションで回している。そして今朝は私が早めに出勤して準備をする日。

大方朝の仕事を終えて、自分のPCの電源を入れた頃に井上君が出勤してきた。

「おはよう、加藤さん」

「あ、おはよう!」

元気に挨拶を返すと井上君が言った。

「加藤さん。今日は随分元気だね。ここ最近ずっと元気がなかったから心配していたんだ。ほら、あんなことがあった後だし…」

この支店の人達は全員私の家の事情を知っている。特に井上君は同期だから一番私の事を気にかけてくれていた。

「うん。それがね、聞いてくれる?お姉ちゃんがやっと話ができるようになったの!それだけじゃないんだよ?家事も出来るようになって今朝は朝ご飯にお弁当を作ってくれたの!」

「へえ~!すごいじゃないかっ!良かったね。加藤さん」

井上君は本棚によりかかり、腕組みしながら話を聞いている。

「うん。本当に良かったよ…」

話しているうちに、嬉しくて思わず目頭が熱くなり、目をこすった。すると何を思ったか、井上君が私に近づいて頭を軽くなでてきた。

「今までよく頑張ったな?うん、えらい、えらい。それで…どうして突然戻れたんだろうな?」

「それはね。亮平のおかげなの。どんな魔法の言葉を掛けたか知らないけど…亮平のおかげでお姉ちゃんもとに戻ったんだよ。昔から亮平はお姉ちゃんを元気づけるの得意だったから…」

すると井上君の手が私の頭の上でピタリと止まった。

「亮平…?亮平ってあの…?」

「うん。私の隣の家に住む幼馴染だよ?」

「…」

何故か井上君は複雑そうな顔をして私を黙って見つめている。

「どうかしたの?」

すると井上君はまるではじかれた様にパッと私の頭から手を外すと言った。

「い、いや。何でもないよ。だったら今日はお姉さんの快気祝いとして2人で夜ご飯食べて帰らないか?」

「う~ん…でも、今夜は3人で夕食を食べることになっていて…」

考え込むように言うと、井上君は言いにくそうに口を開いた。

「だけど亮平って男は加藤さんのお姉さんのことが好きなんじゃないの?」

「!」

私の顔色が変わったことに気づいたのか、井上君は言う。

「やっぱり…。なんとなくそんな気がしたんだよね。だったらその男にとっては、加藤さんは邪魔者に感じるんじゃないかな?本当は2人きりでお祝いしたいかもしれないし…」

「あ…」

井上君に指摘されるまでは、そんな事考えていなかった。でも、その通りなのかもしれない。

「そうだね…。言われてみれば本当にその通りかも…」

「だろう?だからさ、今夜は俺と2人で食事にいこうぜっ?」

井上君は笑顔で言い、私はその言葉にうなずいた。

そうだね。きっと亮平はお姉ちゃんと2人きりで過ごしたいかもしれない―。



 昼休み、お姉ちゃんに電話をいれたら亮平は今夜OKだった。だから私は嘘をついた。同期の皆と突然会う事になって今日の食事会は参加できなくなった事を離すと、お姉ちゃんは残念がってくれたけど、多分亮平は喜んでくれるんじゃないかな…?



 夜9時―

「ただいま~」

井上君とファミレスでハンバーグプレートを食べて、私は帰宅した。玄関には亮平の靴がきちんと揃えられ、置かれている。

「亮平…まだいたんだ…」

ポツリと言うと亮平が玄関から出てきた。

「遅かったな。鈴音」

「あ…た、ただいま…」

亮平は腕組みして私を見下ろしている。

「亮平…?」

どうしよう、何だか亮平…怒ってるみたいだ。

「少し外に出よう、鈴音」

亮平は私の傍をすり抜けて玄関の外へ出て行く。慌てて私もその後を追った。

「鈴音。一体どういうつもりだよ」

玄関から庭に出ると亮平は振り向き、言った。

「何?どういうつもりって?」

「何で、忍さんとの約束破るんだよ。忍さん…今夜すごく寂しそうにしていたぞ?それはお前がいなかったからだ」

「え…?そうだったの…?」

「おい、どうして忍さんを優先しないんだよ?なんで同期の連中と飯食いに行ったんだ?」

「そ、それは…」

言いたくなかった。お姉ちゃんと亮平の邪魔になりたくはなかったからなんて。もしそのことを口に出せば…私は今後二度と2人と一緒にいられなくなる気がしてしまったから。

思わず途中で黙ってしまうと、亮平は溜息をついた。

「とにかくお前は何はともあれ、一番忍さんを優先しろ。分かったな?彼女は守ってやらなくちゃならない女性なんだから…」

「うん…ごめんなさい…」

俯いて私は返事をした。

「部屋に戻るぞ?」

亮平はクルリと背を向けると玄関へと戻って行く。私はその背中をただ、黙って見つめていた――