「それじゃ、鈴音ちゃん。行って来るわね」

お姉ちゃんが仕事に行くのを見送るのは私の毎日の日課となっている。お姉ちゃんは都内の総合商社の本社で勤務しているので通勤に時間がかかる。けれど私は地元の駅から5駅先にある旅行会社の代理店で働いているからお姉ちゃんよりも通勤時間がぐっと短い。

「うん。行ってらっしゃい、お姉ちゃん」

玄関で手を振ると、お姉ちゃんも笑顔で手を振ってくれる。お姉ちゃんが外へ出ると、外で大きな声が聞こえてきた。

「忍さんっ!お早うございますっ!」

あ、あの声は…。
私は玄関から顔を覗かせると、そこには隣に住む幼馴染の亮平がまだ着慣れないスーツ姿で立っていた。

「あ、お早う。亮平君」

姉は笑顔で返事をする。

「忍さん、駅まで一緒に行きましょう!」

亮平は爽やかな笑顔で姉に笑いかけている。

「そうね…それじゃ一緒に行きましょうか?」

「はいっ!」

そして、その時になって初めて亮平は私が玄関から顔を覗かせている姿に気が付いた。

「何だ鈴音か…。お前そこにいたのか?それにまだそんな格好しているのか?」

亮平は急に態度を変えて私を見ると、声を掛けてきた。

「ええ、勿論いたけど?亮平がお姉ちゃんに朝の挨拶をした時からずーっとね。それにそんな恰好って言ってるけど、これは寝間着じゃないわよ。部屋着って言うんだからね」

すると姉が言った。

「あ、そうだ。鈴音ちゃん。お姉ちゃんねえ、今日は残業になりそうなの。遅くなるから晩御飯は1人で食べてくれる?」

「ええっ?!忍さん・・・今夜は残業なんですか?それじゃ帰りが遅くなるから心配ですね…。そうだっ!仕事終わったら連絡下さいよっ!俺、」駅まで迎えにいきますからっ!」

亮平はずいっと身を乗り出すように姉に言った。

「大丈夫よ、亮平君。ちゃーんと彼が会社まで車で迎えに来てくれるから。今夜は仕事が終わったら2人で食事をして帰ることになってるの」

姉は嬉しそうに言う。

「あ…あははは…そ、そうだったんですね。な~んだ…。ハハハ…」

良平はがっくりと肩を落とした。

「あ、そうか…考えてみたら今日は金曜日だったもんね~」

私は自分の勤務先が旅行代理店というサービス業なので土日でもシフトに入っていれば仕事がある。だから金曜日がOLやサラリーマンにとってはある意味、特別な曜日だという事を失念していた。今では死語になってはいるが、昔日本にバブル経済が起こっていた時代、花の金曜日…略して『花金』なんて呼ばれている時代があったくらいだしね。

姉の迎えを申し出た位なんだから、私も駄目もとで亮平にお願いしてみようかな?

「ねえ、ねえ。亮平。私ね…今日は遅番の日なんだ。だから帰りが夜の9時を過ぎてしまうから、私の事、駅まで迎えに来てくれる?」

「ば~か。忍さんはお前と違ってか弱いから迎えに行こうと思ったんだよ。お前は中学時代剣道部だったんだから、強いだろうが。大体、お前みたいな女をどうこうしようと考える男はいないだろう」

亮平はチラリと私を見ると言った。

「アハハハ…確かにそうだよね~。長い棒が1本あれば、私は無敵だもんね」

笑いながら言ったけど…亮平は私の気持ちなんかちっとも知らない。私だって傷つくって事が…。それに中学時代剣道部に入ったのだって、亮平が剣道部だったから入部しただけだって事も。そんな私と亮平のやり取りをお姉ちゃんは笑みを浮かべながら見ていたが、ハッとしたように言った。

「大変!電車に遅れちゃうっ!」

「急ぎましょう!忍さんっ!」

亮平は姉の左手を握りしめると駆けだした。

「ちょ、ちょっと!亮平君っ!」

お姉ちゃんの焦る声が聞こえたが、亮平は笑顔でお姉ちゃんを振り返ると言った。

「大丈夫、忍さん!転んだって俺が受け止めますよっ!」

そして2人は駆け足で駅へと向かった。

「行ってらっしゃーい!」

私は元気よく手を振って2人を見送り…姿が見えなくなるとため息をついた。
亮平…いつになったら私の気持ちに気付いてくれるんだろう…と。
お姉ちゃんにあれだけ好意を寄せているのを目の当たりにすれば、とても告白なんかする気にもなれない。

そして今年で私の長い片思い歴は15年目に突入する――