そして夏休みが終わった。
 9月1日。
 2学期の初日、ホームルームを終えて席替えをした。

 神様は時として意地悪だ。

「生きてたか?」

 なんていうめぐり合わせだろう……。
 窓際の一番後ろの席が宝生君。
 その右隣が私。
 
 よりによって、私は今一番隣になりたくなかった人物の隣の席になった。

「ええ、かろうじてね」
 宝生君の問いかけに、弱々しく返事をする。

「どうして連絡をよこさなかった?」

「……いろいろあったのよ」

「いろいろ?」

「そう。いろいろ……」

「……そうか」

 彼はそれ以上追求してこなかった。
 
 それにしても……大丈夫だろうか、私。
 宝生君だって、きっと怒っているに違いない。
 こんな至近距離で、新学期を迎えるなんて……。
 明日から心配だ。

 席替えも終わって、皆帰り支度をして帰り始めたころ……

「宝生君」

 あの聞きたくない、甘ったるい声が聞こえた。
 美濃川さんが、宝生君の席の前に来て声をかけていた。

「宝生君、あのね……もしよかったらなんだけど、週末に食事でもどうかな? 駅前に新しい」

「断る」

「イタリアン……え? えっと、予定がもう入ってたのかな?」

「予定はない。行きたくない。それだけだ」

「……どうして……」

 美濃川さんの顔が歪む。

「ねえ、どうして? どうして月島さんは良くて、アタシは駄目なの?」

 美濃川さんの声が、少し大きくなった。
 まわりのクラスメートは一瞬足を止めたが、ほとんどそのまま帰っていく。
 私は隣の席で、動けなかった。

「お前は月島とは違う」

「違うって……何が? 何が違うの?」

 美濃川さんの感情的な声が響いた。

「そんなことも言わないとわからないのか? 思慮深さ、知性、教養、学力、誠意、優しさ、頭の回転、その他全てだ。それにな、美濃川。そんなくだらない事を聞く前に、俺に何か言うことはないのか?」

「……言うことって?」

「お前あの写真、勝手にSNSにアップしたな。あんなものアップしたら、拡散するにきまってるだろう。狙ってやったとしか思えない。お前、肖像権って言葉知ってるか?」

 宝生君はかなりキレている。

「俺はSNSはやらないが、家の者がたまたま見つけた。俺の許可も取らずに、なぜあんなものを上げた? どうやら俺とお前が付き合っているかのような匂わせも含まれているようだが、宝生家の者として迷惑極まりない」

「で、でも……私、嬉しくて……」

「お前が嬉しいかどうかという議論はしていない。俺の許可を取ったのかというのが論点だ。今すぐに、全てのSNS上にアップされているあの写真を、全部消去しろ。今すぐにだ。それができるまで、俺にしゃべりかけてくるな。以上だ」

 宝生君はそう言うと、鞄を机の上に出して帰り支度を始めた。
 美濃川さんは唇をギュッと噛み締めながら聞いていたが、宝生君が話し終わると鬼の形相で私を睨みつけた。
 そのまま自分の席に戻って鞄をとると、大股で教室から出ていった。

「もうちょっと言い方あったんじゃないの?」
 隣の席で固まっていた私は、なんとか口を開いた。

「? あれでかなり控えめに言ったつもりだが?」

「どこがよ……それにSNSにアップした写真全部って、無理に決まってるじゃない」

「もちろんだ。知ってて言った」

「うわー……性格ワルっ」

 そういうと、宝生君が静かに笑ったのが聞こえた。

「少しは調子が出てきたようだな」

 宝生君は、低く優しい声でそう呟いた。

「月島。何があったのかは、今は聞かない。でも……もし言える時が来たら、その時は俺に教えてくれるか?」

「宝生君……」

 そうだった。
 彼はこういう人だった。
 押し付けず、そっと寄り添ってくれる。 
 こんなに俺様なのに、こんなに優しい。
 それなのに私は……。

「本当にゴメン。でも言える時がきたら、話すから。待っててくれる?」
 
 私は鼻声でそう言った。
 ここで泣いちゃいけない。

「ああ、待ってるぞ」

「それと……さっきの……ありがと」

「さっきの?」

「わ、わかんなかったら、いい」

「まあ体の凹凸だけは、美濃川が勝ってたな」

「わかってんじゃないの!」

「あのー、お取り込み中のところ悪いんだけど」

 振り返ると、遠慮がちに声をかけてきた柚葉がいた。

「華恋、そろそろ帰らない?」

「え? うん……帰ろっか」

「それとも私、邪魔?」

「そんなことないよ!」

 私は立ち上がり、鞄を手に取る。

「じゃなね、宝生君。また明日」

「おう。じゃあな」

 私は柚葉と一緒に、教室を出た。
 廊下を歩きながら、柚葉が話しかけてくる。

「いやー、でも神様も(いき)なイタズラをしてくれるよね。このタイミングで、宝生君の隣の席とかさぁ」

「ぜんぜん粋でもなんでもないよ」

「でも普通に話せてんじゃん。なんかいい雰囲気だったし」

「そんなんじゃないけど……」

 でも本当にそうかもしれない。
 彼は怒っていなかった。
 それどころか……私が言える時が来るまで待っててくれると。
 
「それにしても宝生君、カッコよかったなー。『何が違うの?』『全てだ』って、キャー! 私も言われたい!」

 声マネをして体を (よじ)っている柚葉は、一人で騒いでいた。
 私は顔が赤くなるのを感じながら、何も言えなかった。

「あれ、完全に彼氏のセリフでしょ?」

「そ、そんなんじゃないでしょ」

「でもさぁ……美濃川さん、このまま黙ってるかなぁ」

「そうなんだよ。それが怖くて……」

「彼女プライド高いからね。何もなければいいけど」

 だからあれは言い過ぎだったんだよ。
 でもそれは私の立場からであって、宝生君にしてみれば怒り心頭だったんだろうな。
 何も起こりませんように……。
 私はただ祈ることしかできなかった。