「ただいまー」

 ファミレスでのバイトが終わったのが9時半。
 10時過ぎに家に戻った。

「おかえり、華恋」

 テレビを見ていたお父さんが、声をかけてくる。
 月島政利(まさとし)
 中堅の設計事務所で働く、普通のサラリーマン。
 一応、一級建築士の資格を持っているらしい。

「晩ごはん、作っといたから。まあ冷凍チャーハンと、サバ缶だけど」

 テーブルの上を見ると、チャーハンとサバ缶らしきものが盛り付けられたお皿に、ラップが被せてある。

「ありがとう。助かるよ。もうバイトでクタクタ」
 私はそのお皿をレンジの中に入れ、ボタンを押した。

 わが家は父子家庭だ。
 母親はもともと心臓が悪く、入退院を繰り返していた。
 ところが運悪く、膵臓がんを発病。
 その後5年の間に全身に転移してしまった。
 闘病も虚しく3年前の夏、私が中2の時に他界した。
 ガリガリにやせ細った母親の姿を、今でも覚えている。

 お父さんは決して低収入ではないけど、母親の治療費の負担は大きかった。
 特にがん治療には、今から思えば非科学的と思われるような治療にも、かなりお金をかけたらしい。
 その時は、もう(わら)をも(つか)む思いだったに違いない。
 お父さんはいろんなところから借金をしていた。
 結局母親は亡くなり、多額の借金だけが残るという最悪の結果となった。

 従って我が家の経済状況は、とても苦しい。
 今住んでいるこのボロアパートも、築40年は超えている2Kの物件。
 畳はカビ臭いし、キッチンの床板はギシギシうるさいし、放っておくとGだって普通に出てくる。
 それでも家賃が安いらしいので、贅沢は言えないだろう。

「でも華恋がアルバイトしてくれてるし学費もかからないから、お父さん助かってるよ」

「家にお金を入れたほうがいい?」

「いや、華恋だってお小遣いとか学校で必要なお金があるだろう? それに使いなさい」

 私は去年、私立英徳高校に入学。
 どうやら入学試験の成績が良かったらしく、特待生となった。
 つまり授業料が免除される。
 公立の高校も受かっていたけど、それが理由で英徳に進学した。

「学校はどうだ? 楽しいか?」

「ん? まーね。友だちもいるし、バイトでいじめられることもないし。楽しいよ」

「そうか。それはなによりだよ」

 お父さんは私のことをいつも心配してくれている。
 片親をなくし、経済的にも不自由させているという負い目でもあるのだろうか。
 全然そんなことは、気にしなくていいのに。

「そういえばさ、今日例の宝生グループの御曹司としゃべったんだよ。市立図書館で」

「市立図書館? あれ、たしか同じクラスじゃなかったか?」

「そうそう。でも今まで話したこともなかったし。そしたらさぁ」

 私は今日、図書館であったことをお父さんに話していた。

「あーっはっはっ、そいつは傑作だ。キャラメルを踏んづけるとはねぇ」
 お父さんは爆笑していた。

「もう本当にびっくりだよ」

「まあ明日が楽しみじゃないか。せっかく話すようになったんだから、友達になれるといいな」

「どうだろうね」

 私は曖昧な返事をしたけど、あの緩やかな微笑みを浮かべた彼の横顔を思い出して、心穏やかではなかった。