「はぁー……疲れた」

「ああ、集中してたせいか、疲れたな」

 90分の予約時間を終え、市立図書館の休憩室で椅子に座ったまま2人とも伸びをしていた。
 テーブルの上には、いつも通りボトルの紅茶と缶コーヒーだ。

「なんか、いつも買ってくれるよね?」

「そうか? ていうかあれだけの資料を作ってくれたんだ。成功報酬だろ?」

「……じゃあ遠慮なく、頂くね」

 彼はいつもと同じ動作で、紅茶のペットボトルのキャップを空けて私に手渡してくれた。
 こういうところが、女慣れしてるなぁ……と、いつも思ってしまう。

「それにこれも美味いぞ」

 テーブルの上には、今日のおやつのマドレーヌが置いてある。
 私が昨日、焼いたやつだ。

「そう? よかった。甘さ足りなくない?」

「いや、ちょうどいい。それにこの風味……紅茶が入っているのか?」

「そう。アールグレイティーを茶葉ごと入れてるの。風味豊かでしょ?」

「ああ、アールグレイか。どうりでいい香りがするわけだな」

 これは私のお気に入りだ。
 紅茶も焼き菓子も好きだから、合体させたものがまずいはずがない。

「ところでさ、宝生君今日渡したやつ以外の教科って、大丈夫なの?」

「ん? ああ、まあ大丈夫だろ。数学と英語は、毎回満点近いからな」

「ウソ!?」

 ちょっと待って。

「1年最後の年度末の数学のテストあったじゃない。めっちゃ難しかったやつ。平均点がたしか40点台の」

「あったな。俺は満点だったぞ」

「は? ウソでしょ?」

「嘘言ってどうする」

 あの数学は鬼難しくて、皆ブーブー文句を言ってたのに。
 私でさえ、80点台だった。

「じゃあ英語は?」

「英語は満点を逃した」

「マジでそういうレベルなの?」

「数学は昔から得意だな。英語はそれこそ小学校低学年から家で仕込まれてるから、自然とできるようになる。俺はどちらかというと、会話の方が好きなんだが」

「会話って……いままで使うことなんてあったの?」

「ああ。海外からのお客さんが来たり、パーティーとか出ると外国の人たちも多いだろ? だからそういうときに話せないといけないから、小さい頃から叩き込まれるんだよ」

「へぇー、やっぱりセレブは違うんだね」

「というか、まあ好きか必要に迫られるものは、どうしたって得意になるわけだ。逆に好きでもなく必要でもないものは、全く身につかない。古典なんかいい例だ」

「そっかなー。私は古典とか嫌いじゃないけど」

「マジでか?」

「うん、源氏物語とかさ、平安当時の恋物語なわけじゃん。結構奥が深いよ」

「それでも興味がわかないな」

「ねえ、じゃあ今度数学教えてよ」

「まあ……月島には必要ないと思うがな」

 話しながら彼は、どんどんマドレーヌを消費していく。
 こうやって食べてもらえると、作り手としては嬉しい限りだ。

「ねえ、昨日思ったんだけどね。いや、バイト中から思ってたんだけど」

「ん?」

「昨日私たちファミレスで、ドリンクバーでずっと粘ってたのね。あれって、やっぱりお店側としては迷惑だよね」

「そうとも言い切れないな。問題は時間帯だ」

「時間帯?」

「そう。そもそもドリンクバーの原価って、いくらぐらいか知ってるか?」

「え? 全然検討もつかないや」

「物にもよるが、平均すると1杯20円程度だ」

「マジで?」

「ああ。果汁100%ジュースがあれば少し高いが、それを置いているところは少ない。逆にコーヒーや炭酸飲料系は10円台。だからドリンクバーだけで元をとろうとすると、かなり無理がある。逆に言えば店側はそれ単体では損はしないんだ」

「そうなんだね」

「昼間の空いている時間帯で従業員の手を煩わすことがなければ、それほど迷惑じゃないと思う」

「なるほど、そうだよね。私のバイト先でも、暇な時だったら長居されても気にならないもん」

「ただピーク時間とか、他の客が待っているのに居座られると、店としては収益機会を失う。だからそれは迷惑だ。たとえ何か注文したとしても、そういう時間帯は食べ終えたら次の客のために席を譲る。まあそれがマナーだろう」

「そういうことだよね……宝生君、やっぱりいろいろと勉強してるんだね」

「ある程度はな」

 本当に彼は知識豊富だ。
 それも実務に基づいた、世の中の生きた情報を知識として吸収している。
 私にはすごく新鮮に映った。

 マドレーヌは残り2個になった。
 宝生君は一つ手に取って頬張ると、最後の一つを私に勧めてくれた。