「お前、あれはないんじゃないのか?」

 その夜案の定、宝生君からLimeで怒りの音声通話がかかってきた。

「ご、ごめん。本当にごめん」

「お前、あれから美濃川を振り切るのに、どんだけ大変だったか」

 宝生君は怒っているような呆れているような、そんな声色だった。

「本当に申し訳ないって思ってる。でもね、私も美濃川さんに睨まれるようなこと、したくないのよ」

 美濃川さんはクラスの中心的な存在だ。
 いい意味でも悪い意味でも。
 取り巻きも多いので、悪い方へ振れた場合かなり面倒くさいことになるのは明らかだ。

「別に悪いことしてたわけじゃないだろ? ホテルから出てきたところを見られたわけじゃあるまいし」

「そ、そんなんだったら、私の命が危ないわよ!」

 宝生君のため息が聞こえる。

「まあわからんでもないけどな。アイツ、ある意味クラスのボス猿的存在だから」

 そうなのだ。
 派手で社交的で家も金持ち。
 美濃川さんはクラス内カーストのトップグループに君臨している。
 そんな彼女を敵に回すことは、私の高校生活に大きな支障となる。

「この埋め合わせは、ちゃんとするから」

「絶対だな。じゃあ勉強を教えるのと、また何か作ってくれよ」

「別にそれぐらいだったら……」
 埋め合わせじゃなくったって……という言葉は、あえて言わなかった。

「何か食べたいものとかある?」

「いや、特に思いつかない。たまに、またあのアップルパイ作ってくれればいい」

「たまにって……何度も作らせる気?」

「もちろんだ。この代償はでかいぞ」

「はいはい……」

「『はい』は3回だ」

「はいはいはい」

「やっぱりお前、面白いな」

 面倒くさいけど、まあアップルパイぐらいだったら……。
 それに、その度に宝生君に会えるっていうことだよね。
 私は少し浮足立っている自分に気がついた。

        ◆◆◆

「やっぱりアイツ、面白いやつだな」

 家に戻ってきた俺は、今日のことを思い出して呟いた。
 映画は俺が思っていたより随分初期段階で、熟睡していたようだ。
 俺に対して、全く遠慮もなければ警戒心もない。
 そんな女は初めてだった。

 それにしても……今まで全く男と付き合ったことがなかったんだな。
 意外だった。
 デートも……ひょっとして、初デートだったのか?
 だとしたら、もうちょっといいところへ連れて行ってやればよかった。
 俺はひょっとしたら、あのハリーとかいうヤツと良い仲なのかとも思った。
 本人は否定していたが。

 行った店が宝生グループだったこともあって、マクドに行ったときと同じように仕事目線でいろいろと語ってしまった。
 でもアイツは嫌な顔ひとつせず、興味深く聞いてくれた。
 それどころか、もっといろいろと教えてくれとまで言ってきた。
 正直俺は、嬉しかった。
 理解者が一人増えたような気がしたからだ。

 今度は勉強も教えてくれるらしい。
 さすがは特待生だ。
 現代文と古典、世界史を教えてくれるのであれば、それ以上心強いことはない。
 学校の勉強はあまり楽しくはないが、成績はいいに越したことはないからな。

 それに……今度は何を食べさせてくれるんだろうか。
 アイツのアップルパイ、本当に美味かった。
 また作ってくれるだろうか。

 ただ最後の最後で、なんであんな迎合があるんだ?
 あの和菓子屋のバカ娘とばったり出くわした。
 月島はとっとと帰りやがった。
 汚えぞ……後から思いっきりLimeでクレームしてやったが。

 美濃川はお茶か食事に行こうと、しつこかった。
 なんとか振り切ってきたが……。
 これからもアプローチしてくるんだろうか。
 考えるだけで、憂鬱だ。