「まったく……マズいなんて一言も言ってないだろ?」

「でも普通ってどうなのよ、普通って」

「あ、いや、たしかに語弊はあったけどな」

 あれからそうは言いながら、宝生君は既に3個平らげてしまった。
 それも結構なスピードで、だ。

「いや、実は記憶をたどってたんだよ」

「? どういうこと? 前に同じようなアップルパイを……あ、わかった。『前にアップルパイくれた女の子って、どの子だったっけ?』って、思い出してたってこと?」

「は? 違うわ! ていうかアップルパイなんか、もらったことないぞ」

「そうなの? じゃあどういう……」

「いや……なんだか、いつか食べたような気がする味だったんだ。それが思い出せない。でもなんというか……すごく馴染みのある味のような感覚なんだよ。ずっと昔に食べてたような」

「……宝生君て、小さい頃からシナモン苦手だった?」

「ん? ああ、多分。あの風味が子供の頃から苦手だったな」

「そう……」

 そこまで聞いて、私はひとつの仮説にたどり着く。
 
 普通のアップルパイは、通常シナモンを使っている。
 一方で私が今日持ってきたやつは、シナモンを一切使っていない。
 宝生君がシナモンを苦手なことを知っていたからだ。

 もし宝生君が、これと似た味のアップルパイを食べた記憶があるとしたら……。
 幼い宝生君がシナモンを苦手だと、知っている人が作ったものだとしたら……。
 答えは一つしかない。
 もちろん、確信はないけれど。

 そんなことを考えていると、ケースの中のアップルパイは残り1個となっていた。

「もう4つも食べちゃたの?」

「ああ、普通に美味いぞ」

「普通に美味いって……それ褒めてるの?」

「当たり前だろ。最上級の褒め言葉だ」

 どうやら気に入ってもらえたようだ。
 宝生君は最後の1個に手を伸ばそうとした。

「あ、全部食べちゃまずいよな」

「いいよ、私は昨日味見したし」

「じゃあ半分な」

 そういって宝生君は最後の1個を手で半分に割って、片方を私に差し出した。
 私はそれを受け取って、口の中に入れる。

「月島、前にキャラメルだったら無限に食えるって言ってたろ?」

「うん」

「俺はこれなら無限に食えるぞ」

 ……ズルいな。
 そのふんわりとした笑顔で、そういうことを言わないで欲しい。
 普段教室で、そんな顔一切見せないくせに……。
 私は顔が赤くなるのを自覚する。

 それに……あなたのお母さんに教えてあげたら?
 お母さんの味、ちゃんと覚えてるよって。
 まあそんなこと、私からは言えないけど。

「じゃあまた、作んないとね」

「ああ、頼む。作ってくれ」

 そう言って彼は缶コーヒーに口をつけた。
 私もペットボトルの紅茶を飲む。
 ものすごく喉が乾いていたことに気づいた。

「ところで月島、映画って見るか?」

「え? う、うん。映画は好きだよ。でもたまにしか見に行けないけど」

 本当はもっと見に行きたいんだけど、それなりに出費するからね。
 だからテレビで見たり、DVDを借りてくることが多い。

「そうか。無料チケットがあるんだが、見に行くか?」

「えっ? いいの?」

「ああ、もうすぐ期限が切れるんだよ。急がないといけない」

「う、うん。そういうことなら」

「わかった。週末って予定があるか?」

「えっと……土曜日はバイトが入ってる。日曜日なら大丈夫」

「わかった。じゃあ日曜日にしよう。詳細はまたLimeする。それでいいか?」

「うん、わかった。予定しとくね」

 日曜日は……皇帝様と映画を一緒に見ることになった。
 そう、これは宝生君の余った無料チケットを使うだけ。
 決してデートなんかじゃない。
 それでも「どうしよう、着ていく服がない」って焦ってる自分を、私は笑うことができなかった。