中学の制服に着替えて時計をチェック。
 ゆっくり行こうと思ったその時、スマホが鳴り出した。
 画面を見ると、お姉ちゃんからの電話だ。
 私、坂部知世は、中学二年生。
 お姉ちゃんはもう立派な社会人で、何年か前に結婚して、今は別々に暮らしてるんだ。って言っても、家は近所で、しょっちゅう会ってるけどね。
 こんな時間に電話。ってことは、またアレかな?

「もしもしお姉ちゃん。どうしたの?」
「おはよう知世。悪いんだけど、今日の夕方、頼まれてくれない?」

 困ったようなお姉ちゃんの声。
 多分電話の向こうで、手を合わせてお願いのポーズをしてると思う。
 そして、頼みが何なのかは、だいたいわかってる。

「たっくんの保育園、迎えに行けばいいんでしょ」
「うん、ごめんね。急に外せない仕事が入って、帰るの遅くなりそうなの」
「いいよ。私もたっくんと遊ぶの楽しいから。お仕事頑張ってね」

 そこまで言って、電話を切る。
 たっくんっていうのは、お姉ちゃんの子どもで、四歳。
 今年から保育園に通い始めたんだけど、お姉ちゃんも旦那さんもお仕事が忙しくて、園が閉まるまでに迎えに行けないことがあるんだ。
 そういう時は私がかわりにお迎えに行って、お姉ちゃんたちが帰ってくるまで、うちで面倒を見ることになってるの。
 その度にお姉ちゃんはごめんねって謝るけど、私は嫌なんて思ってない。むしろ、たっくんの面倒見るの好きだもん。
 私に会うと、ニコニコ笑いながら知世お姉ちゃんって言って寄ってきて、すごく可愛いの。
 私のスマホには、たっくん専用の写真フォルダがあるんだよ。
 お迎えなんて、毎日でもいいくらい。
 そんなことを考えながら、今度こそ学校に出発。

 少し前に夏休みが終わったけど、まだまだ気温は高いまま。
 下駄箱についたところで、手をうちわにしてパタパタと扇ぎながらひと息ついていると、ふと後ろに誰かの気配を感じた。

「ん?」

 振り返ると、そこにいたのは一人の男子生徒。

「吉野くん……?」

 高めの身長に、サラサラした黒髪。長いまつ毛に切れ長の瞳。スっと通った鼻筋。
 モデルやアイドルと並んでもおかしくないくらいの、すごいイケメン。

 彼の名前は、吉野星くん。私とは同じクラスなんだけど、ほとんど喋ったことがない。
 そんな吉野くんが、じっとこっちを見ていた。

「な、なに?」

 こんなふうに男子からじっと見つめられた経験なんてないから、なんだか緊張する。
 すると吉野くん。ほんの少しだけ間を置いて、ボソッと言う。

「俺の上履き、取りたいんだけど」
「えっ?」

 見ると、私のすぐ側にある下駄箱の棚には、『吉野星』って書かれたシールが貼ってある。そこを私が塞いでたから、上履きが取れなくなってたんだ。

「ご、ごめん。今どくから」

 じっと見つめてなんだろうって思ったけど、私が迷惑かけてただけだった。

「ごめんね」

 もう一度謝って、ペコリと頭を下げるけど、吉野くんは私のことなんて気にする様子もなく、さっさと廊下を歩いていった。
 そのすぐ後ろを歩くのはなんとなく恥ずかしくて、ちょっとだけその場で待つ。
 そしたら、またもや後ろに気配を感じて、振り返ると声が飛んできた。

「おはよう、知世。じっと立って、何してるの?」
「あっ、紫。おはよう」

 声をかけてきたのは、私の友達の清水紫。何もせずに立ってた私を不思議に思ったみたい。

「えっと、さっきここに吉野くんがいてね……」
「えっ、吉野くん? 何かあったの?」

 吉野くんの名前が出てきたとたん、目を輝かせる紫。
 吉野くんは女子からの人気が高くて、紫もファンの一人。気になるのも当然か。
 けど、ワクワクするようなことなんて何も無いんだよね。

「実はね……」

 さっきあった出来事を話すと、微妙な反応が返ってくる。

「ありゃりゃ。何かあったのかなって思ったけど、そんなのだったんだ」
「あの吉野くんだよ。何かあるわけないじゃない」
「うーん、それはそうかも。なんたって、氷の王子様だからね」

 納得したように頷く紫。
 っていうのも、実は吉野くん、女子の人気は高いけど、誰とも付き合っていないどころか、遊びに誘いすらもみんなバッサリ断ってるんだって。
 それでついたあだ名が、氷の王子様。

「うちのクラスの草野さん。あの子も告白したけど、フラれちゃったみたい」
「えっ? うちのクラスで一番可愛いよね? あの子でもダメなんだ」
「そういうクールなところが好きって子も多いんだけどさ」

 クールなところが好き、か。
 さっきの吉野くんも、とことん素っ気なくて、無愛想だった。
 もちろんあれは私が悪かったんだけど、吉野くんは誰に対してもあんな様子。
 放課後や休みの日に遊びに行かないかって誘っても、ほとんど断ってるんだって。
 男子の中に一人だけ、そんなの気にせずグイグイ話しかる子がいるけど、それを除けば、まさに孤高の存在って感じ。

 そんな吉野くんを見てると、時々思う。
 氷の王子様って呼ばれるくらいのクールな表情が崩れること、あるのかなって。