口元を押さえて蹲る母は、『嫌……違う……』と譫言のように呟きながら泣いていた。
恐らく、現実を受け入れられないのだろう。
信用していたメイドが自分を裏切り、あまつさえ夫に手を出したのだから。
ショックを受けない方がおかしい。

「は、母上……!」

 メイドの狂気に呑まれそうになりながらも、僕は何とか体を動かし、母の元へ駆け寄る。
でも、どうすればいいのか分からなくて……一先ず、横に座った。
真っ青な顔で俯く母の背中を擦り、オロオロと視線をさまよわせる。

 なんて、声を掛ければいいんだろう……?
“父上を信じよう”?“もう大丈夫”?“僕は味方だから”?
どれも違う気がする……今は何を言っても、きっと母上に届かないだろうから。

 己の無力さを呪い、泣きそうになる僕は助けを求めるように父へ目を向けた。
すると────憎悪を孕んだタンザナイトの瞳が、視界に映る。
ここまで殺気立つ父を見るのは、初めてだった。