その椿に向かって、愛華は言葉を選びながら真っ直ぐに彼の瞳を見つめた。


「椿くん、来週、音楽室に来てほしいの」


 瞬間きょとんとした椿は、「ああ!」と言って、ぽんと掌を打つ。


「俺がまた演奏聴かせて、って言ったやつ?」


「そう、来週来てもらえないかな?それまでに仕上げておくから」


「わかった、部活の後で少し遅くなっちゃうけど、寄れそうな日に連絡する」


「うん、待ってるね」


 愛華は決意を胸に秘める。この演奏が最後だ。椿と関わる最後の日になるのだ。


 愛華は失恋したその日から薄々考えていた。


 椿を好きな気持ちは変えられないし、きっとずっと彼を思い続けるだろう。


 けれど、椿と関わるのはもうやめよう、と。


(また遠くから眺めるだけの、憧れの人に戻るんだ)


 このまま一緒にいても辛いし、苦しくなるのだ。だったらまた以前の様に、こっそり椿を眺めて元気をもらう。彼と出会う前の関係に戻そうと思った。


 それが愛華の心にとっても、折り合いのつく丁度いい関係なのだ。


「…愛華さん、なんか変わった?」


「え?」


「なんつーか、雰囲気変わったような…?」


「そ、そうかな…」


 自分では全く分からない。けれど、そうかもしれない。


 椿を好きになって、この恋に未来はないと知って、友人関係も色々とあって。


 愛華は、ここ数か月、考え悩み抜いてきた。そして今、また前を向いて歩き出そうとしている。


(全部きっと椿くんのおかげなんだ。私は、あなたに恋してよかった)


 椿は不思議そうに首を傾げて、愛華の顔を見ていた。


 愛華は椿がいつもそうしているように、にっと笑いかけてみた。すると椿も同じように笑い返してくれる。


(この人の笑顔が、私の原動力だ)