ちまたで流行りの「真実の愛」ブームってご存じ?
 まず大前提として、この国、バウムガルデン王国では──いや、一般的な貴族社会では、結婚とは家と家を結びつけるものである。それが決まりだ。そして、その結びつき先を決めるのは大概その家の家長だったり、格上の家からの打診によって決定するのが普通なのである。
 もちろんそこに、「真実の愛」などというものが割り込むはない。あるとすれば、跡継ぎを生んだあとに、一部の人間が「恋愛ごっこ」をする程度の乱れぶりくらいであった。
 だから、婚前の若者に「真実の愛」などというものは存在しないのだ。
 ──ところが、だ。
 今、婚前の自由恋愛が大ブームなのである。
 つい先ほど、「大前提」といったにもかかわらず。
 それをさも崇高なもののように声高に叫ぶのは、当事者の若者たち。彼らはそれを「真実の愛」などと呼び、ちまたで婚約破棄騒動を引き起こすのだった。
 普通、貴族間では、親の決めた家と家とを結びつける婚約、ひいては結婚をするのがあたりまえなのに、それを覆して、恋した相手との「真実の愛」を貫くのが流行になっている。
 それが今の嘆かわしいブームなのだ。
 そして、「嘆かわしい」といわれること、障害の壁こそが、より恋情を盛り上げるのだろうか。彼らは声高に「真実の愛」の尊さを叫ぶ。
 そう。それは「婚約破棄」ブームといわれ、昔からの良識ある大人たちは苦々しげにその流行を眺めていた。
 運悪く、そんな騒動を馬鹿息子、馬鹿娘にされた親はといったら、婚約破棄をされた相手方の家への賠償金に加えて謝罪金の支払い、婚約破棄をされた相手への良い縁談の斡旋と、親は右往左往する羽目になる。
 そして、そこまでして貫いた愛というものも、「恋」レベルのものも多いから、必ずしも長く続くものじゃなかったりするのだ。
 とんでもない格差恋愛の珍しさに付き合っては見たものの、結局価値観が相容れずに破局したり、愛らしさを求めて恋に浮かれてみても、相手の学識や所作の無知さに辟易したり。とんでもないものが多々見受けられたのだ。
 身分差を越えての禁断の愛に陶酔したものは、次第にその身分差、相手の所作のアラが気になるようになり、対して身分の低い方はというと、身分が上のものが身につけてあってしかるべきマナーレッスンに辟易する。その階級にあったマナー教育など、一朝一夕で身につくものではないのだ。もちろん、学ぶべきはマナーだけではない。
 無知が愛らしいとパートナーを選んだものは、その相手の学のなさに、会話を重ねることにだんだん嫌気がさす。対して、無知なほうのパートナーは突然降って湧いた身分というものに身にそぐわない浪費を重ねたりする。
 もちろん、全てが悪い結果をとなるわけではない。
 互いに互いを支え合い、真実の愛を貫き、幸福な結婚生活を送るものもいる。
 けれど、大抵上手く「真実の愛」を貫く者は、婚約破棄をするにしても、相手を傷つけず、上手く立ち回るものだ。もちろん自分や互い同士で。
 けれど、それと対局に愚かな「真実の愛」に酔いしれる多くの若者のひとりは、私のすぐ側にもいたのだった──。