月夜の黒猫は、心を攫う


「新しい学校では、私のことは『お嬢様』って呼ばなくていいよ」

 稀月くんの手のひらに、そっと指をのせながらそう言うと、稀月くんがぽかんと私を見つめてきた。

「私と稀月くん、この学校では同じ家に住んでる親戚同士って設定だよね。名字も、同じ宝生でしょ。それなのに、私のこと『お嬢様』なんて読んでたらおかしいよね」

「でも、お嬢様……」

「あ、まただ」

 私が指摘すると、稀月くんが困ったように眉を下げる。

 きっと、稀月くんが私のことを『お嬢様』と呼ぶのは、もうクセみたいなものなんだろう。

 でも、私はもう、『椎堂家のお嬢様』じゃない。

「今日からは『お嬢様』はやめて、瑠璃って呼んでほしい」

 もう、うっすらとしか覚えていないけど、椎堂家に引き取られる前にいた施設では、稀月くんは私を名前で呼んでくれていたんじゃないかと思う。

「……、瑠璃」

 稀月くんが、手のひらに重ねた手を握る。

 彼の声で名前を呼ばれた瞬間、心臓がきゅっと縮まるような心地がした。

 稀月くんが、初めて名前で呼んでくれた。

 うれしい、嬉しい……! ドキドキする。

 手を握ってお互いにじっと見つめ合っていると、ププッと突然クラクションが鳴る。

「おい。そこでいちゃついてないで、早く学校行け」

 はっとして振り向くと、烏丸さんが呆れ顔で私たちを見ている。

「え、いちゃ……。違いますけど……!」

 烏丸さんの言葉に、普段あまり感情を見せない稀月くんが、めずらしく慌ててる。そんな稀月くんに、烏丸さんが冷静な声で指示を出してきた。

「帰りもまたここまで迎えに来るから。夜咲くん、なにかあったらすぐに連絡を」

「あ……、はい。わかりました……! 行きましょう、お嬢さ……。瑠璃」

 稀月くんが、私の手を引っぱる。

 ちゃんと言い直してくれたことがまた嬉しくて。私の心臓がドキドキと鳴る。

「……、いってきます。烏丸さん」

「気をつけて」

 呆れ顔の烏丸さんの見送られて、私はドキドキしながら、稀月くんと一緒に新しい学校の門をくぐった。