逃げなきゃ……。

 煙も吸ったらあぶない……。

 頭ではそう思うのに、母の目にかけられた謎の暗示が効いたままで身体が動かない。

 稀月くんが、気付いてくれたら……。

 大量の煙を吸って、だんだんと視界と意識が朦朧としてくる。

 意識が薄れそうになるのを堪えて、きゅっと唇を噛み締めたとき、ふいに、誰かの手が肩に触れた。

「き、づきくん……」

 よかった。来てくれた……。

 けれど、何の疑いもなく、その名前を呼んだ私の耳に、ざらりとした低い声が届く。

「残念。君の猫は、もう間に合わないよ」

 え……?

 ゆっくりと動かした視線の先に見えたのは、蛇の目のような、冷たく無機質な三白眼の男。

 戸黒、さん……?

 口をハクハクさせて、声にならない声を出す私を、彼がゾクリとするような目で見つめてくる。

「さて、行きましょうか。私の運命の魔女」

 身体の力が抜けた私を軽く持ち上げた戸黒さんが、煙の向こうにいる誰かに声をかける。

 戸黒さんが手を差し出すと、煙の向こうから、白い手がすっと伸びてきた。

 彼に手を引かれて、煙の中で妖しく微笑むのは椎堂の母で。

 お母さんは、戸黒さんの運命の魔女――?

 混乱の中で、私の意識が、ぷっつりと途切れた。