月夜の黒猫は、心を攫う


 一歩、二歩と後ずさろうとすると、

「瑠璃、どうしたの?」

 母が私の名前を呼んだ。

「ああ、急に私がここに来たから驚いてるのね。無理もないわよね。でも、大丈夫。もしかしたら、あなたは私のことを何か誤解しているのかもしれないけど、それは全部間違っているのよ」

 母は微笑を湛えたままそう言うと、私の前にすっと出てきた。

 あまりに軽やかな動きに驚いていると、母が私の左手首をつかむ。

「私は子どもの頃からあなたを育ててきたのよ。そんな私があなたを悪いようにするわけない」

 母が私の目を見つめながら、ゆっくりとそう言うと、私の身体が金縛りにでもあったみたいにうまく動かなくなった。

 唯一、動かすことのできるのは視線だけ。それをゆっくりと左右に動かすと、応接室にいる校長先生や担任の先生の動きが止まっていた。

「お、母さん……?」

 こんなことができるなんて、母はいったい何者なんだ……。

 驚く私に、母がふふっと笑いかけてきた。

「驚くわよね。でも、これは私の力じゃないの。彼だとここに入ることができないから、私の姿を少し貸しているだけ」

「彼……? 貸してる……?」

 母の言葉に、嫌な予感がした。

 母の背後にいるのは、きっと……。

「瑠璃、お願い。お母さんの頼みごとを聞いてほしいの。茉莉がね、ずっとあなたに会いたがってる。だから、このまま私と一緒に来て。そうして、その《心臓》をあの子のために捧げてくれない?」

 母が、猫撫で声で私を諭しながら、優しく微笑みかけてくる。