地上に降りたドラゴンを開けた場所に繋いでしばらく歩いた先で、ルヴァルが足を止めた。

「……ここ?」

「ああ」

 ルヴァルは短くそう答え、一角を指さす。そこは、ルヴァルが1度目の生を終えた場所だった。
 ここでルヴァルは白い狼と契約した。回帰後の人生で幾度となくここを訪れたがあの神獣に再び出会うことはなく今日に至る。
 バーレーに戻ってすぐ、ルヴァルはエレナに1度目の生の最期を話した。じっと考え込んでいたエレナは、そして今日ここに来る事をルヴァルに願ったのだった。

「雪、がいっぱい」

 エレナは驚いたように目を瞬かせる。バーレーがいくら北部とはいえ、山奥を除けばまだ雪が降る季節ではないというのに、一本の大きな木を中心としたその一角だけはまるで時間が切り取られたかのように真っ白な雪に覆われていた。

「あれがうちが護っている神獣の宿木。つまり神木だな」

 ルヴァルの説明に頷いたエレナはそっと神木に近づき触れる。
 息が白くなるほど空気が冷たいのに、その木はとても暖かく、鼓動しているかのようなとても穏やかで心地の良い不思議な音が聞こえた。

『我々はカリアが祈りを込めて歌ってくれれば、どこからであったってその歌の魔法を聴くことができる』

 エレナはカリアの記憶を思い出す。
 荘厳としか言いようのない、大きな黄金の鳥の形をした神獣の姿を。

「〜〜〜♪----♪」

 エレナは目を閉じて、願いを込めて歌を紡ぐ。
 それはかつてカリアがよく神獣達に強請られて歌っていた歌。
 美しい音を集めた短いその歌を歌い終わり、エレナはゆっくりと目を開け振り返る。

「おいでくださり、ありがとうございます」

 そこには黄金に輝く羽根を持つ、神々しい鳥がいた。

『キュークルルルルルル』

 膝を降り手を組むエレナに向かって、鳥は大きな鳴き声を上げる。
 それは心の奥深くまで届くような懐かしくも優しい音。

『キュークルルルルル』

 親しげな声を聞き取りながら、

「……私ではもう、お言葉を聞き取る事が難しいようです」

 エレナは申し訳なさそうにそう告げる。
 カナリアが代替わりを経ていく内に交わせなくなった言葉。
 カリアが神獣から力を譲り受けてからそれほどまでに膨大な時間が流れたのだ。
 音を司るが神様が、代替わりを果たし再びこの世界に生を受けるほどに。

『キュークルルル』

 黄金の鳥(新しい神獣)は承知していたというかのように羽根を広げ、綺麗な声で鳴き声を上げた。
 その美しい鳥に向かって、エレナは淑女らしく礼をすると、

「音を司る神獣様。私は当代カナリアとして、カリアの魂ごとこの力をあなた様にお返ししたく思います」

 静かに願いを口にする。
 カリアの魂に刻まれた歌の魔法の旋律。それはきっと神獣達が健勝であるために必要なモノ。

「ヒトは大変欲深い。この力は到底ヒトの身には扱いきれぬものです」

 この力を自分が、そしていつかまた別の誰かが受け継いでいったなら、この力を巡りまた要らぬ争いが起こるだろう。
 そうなればまたルヴァルが、あるいはアルヴィン辺境伯の名を継ぐ誰かが剣を抜かなくてはならないから。

「私はこの力のために私の大事なヒトを争いに放り込みたくないのです」

 黄金の鳥は双眸でじっとエレナを見つめ、それで良いのか? と尋ねるように鳴き声を上げる。

「大丈夫、ですよ。歌の魔法が紡げなくても、私はきっと歌い続けるから」

 許されるならただのヒト(エレナ・アルヴィン)として生きていきたいとエレナは願う。
 ただひとりのためだけに歌を紡ぐ歌姫として。
 ヒトの中に彼女の居場所があるのだと理解した黄金の鳥は、羽根を広げると一際美しい音を奏でる。
 するとエレナから光り輝く球体が抜け出し、それは神獣の中に吸い込まれる。

『キューキュルルルルル』

 別れを告げる鳴き声を上げた神獣は、ふわりと羽ばたくとあっという間に空の彼方に消えていった。

「……レナ」

 一部始終を静かに見守っていたルヴァルはエレナに大丈夫かと声をかける。

「もうこれで本当に私には何もない」

 ノーラの研究記録を取り戻し、そこにかけられた誓約を解呪した事で、リオレートはようやく自由の身となった。
 それによって消失したフィリアの魔法技術は、復元できない方がいいとルヴァルが燃やしてしまったので、カリアの音の魔法はもうどこにも存在しない。
 カナリアの力は先程神獣に返還した。

「カナリアの力もない。実家は没落する予定だし、社交界に人脈だってないし、きっとこれからたくさん面白おかしく悪評が囁かれるし、妻として手元においてもルルにとってメリットになりそうなモノを何も持ってないんだけど」

 それでもここにいてもいい? とエレナはルヴァルに問いかける。

「おかしな事を聞く」

 ふっ、と笑ったルヴァルはエレナを抱え上げたまま、まるで小さな子どもに行うみたいにクルクルと回る。

「わっ、ちょ、ルル! 危なっ」

 抗議の声を上げたエレナと一緒に雪の上に倒れ込んだ楽しげなルヴァルと目が合いエレナは目を瞬かせ、クスクス笑う。

「ふふ、もう! 雪まみれ」

「レナもな」

 ひとしきり笑い合った後、ルヴァルは近い距離でエレナの紫水晶の瞳を覗き込み、

「俺のためだけに歌ってくれるんだろ?」

 とエレナに尋ねる。
 手放す気はないと語る青灰の瞳にエレナが頷くとルヴァルは十分だと答え、エレナに口付けを落とし、

「帰るか、俺たちの城に」

 そう言って顔を紅くしたエレナに優しく手を差し伸べた。

**

 腕にたくさん楽譜を抱え込んだ銀髪の小さな女の子がパタパタと城内をかけて行く。

「セシルお嬢様、そんなに慌ててどうされました?」

 お嬢様は今日もお元気ですねぇと笑いかけたリーファに、

「ねぇ、リーファ。お母様とお父様知らない? 2人ともレッスンの時間なのに来ないのよ!」

 セシルはお約束は守らないとダメなのよ! と頬を膨らませてそう尋ねる。

「ソラお兄様も見当たらないし。もう! セシルだけ置いてけぼりはズルいのよ!」

 むぅっと頬を膨らませた仕草が子どもらしく可愛くてリーファは思わずクスリと笑う。

「そうですねぇ、おふたりならおそらく」

「お、お嬢じゃん。なんだ、またソラ坊に置いてかれたん?」

 リーファが居所を伝える前に工具を持ったノクスがそう声をかける。
 じーっとノクスを見たセシルは、

「リーファ。セシィもお母様達の居場所わかったかも」

 母親譲りの紫水晶の瞳で柔らかく笑い、ありがとうと2人にお礼を言って駆けて行く。
 その小さな背中を見送りながら、

「はぁ、うちのお嬢様超可愛い」

「超同意。俺もあんな娘欲しい」

 今日も平和だなぁと2人は小さな背中を見送った。

 パタパタと城内を走っていたセシルは、とある部屋の前で立ち止まる。そこは古いピアノが置いてある部屋。

「あ、ソラお兄様」

 声をかけられた黒髪の少年は青灰の瞳でセシルに笑いかけると静かにと言って手招きする。

「お兄様だけずるいわ」

「ごめんって」

 2人はそっとドアを開け、部屋の中を覗き込む。
 ドアを開けた瞬間、心踊るような楽しげなピアノの旋律と美しい歌声が屋敷内に響き渡った。
 2人の目に映るのは、ピアノを弾きながら優しい表情で歌うエレナと目を閉じたままその歌声にじっと耳を傾けるルヴァルの姿。
 まるで一枚の絵のようなその光景を見るのが2人はとても好きだった。
 最後の一音が部屋に響き、余韻に浸っていると、

「2人ともそんな所にいないで入ってくればいいのに」

 とエレナがいらっしゃいと手招きする。
 素直に部屋に入って来た2人のそれぞれの持ち物を見て、

「悪い、今日はソラに剣の訓練をつける日だったな」

「あ、ごめんなさい。私もセシィとお歌のレッスンのお約束をしてたわね」

 うっかり時間が過ぎてしまっていた事をそれぞれ詫びる。

「まぁ、別にこの後予定ないから時間ズレてもいいんだけど」

 と言ったソラはちょこんとエレナの隣に座る。

「お母様のお歌、セシィとっても大好き」

 そう言って楽譜をエレナに差し出したセシルはルヴァルに抱っこを強請る。

「あら、リクエストってことかしら?」

 待たせてしまったお詫びに可愛い2人にお応えしないとねと言って、エレナはピアノに指を伸ばす。

「じゃあ、ソラが弾ける曲を一緒に奏でましょうか」

 そう言ってエレナが弾き始めたのは、最近ソラが弾ける様になった童謡でそれに合わせてセシルが歌い出す。

「ふふ、2人ともとっても上手」

 そう言ってエレナは可愛い子ども達の頭を優しく撫でる。
 するとルヴァルが無言でエレナの髪を少し乱暴な手つきでぐしゃぐしゃと撫でた。

「あらあら、困ったパパね。子どもにまで妬かなくてもいいのに」

 とちょっと不器用で、とても優しい、大好きな旦那様の青灰の瞳に笑いかける。

「レナも撫でて欲しそうだなと思っただけだ」

「ふふ、髪ぐしゃぐしゃになっちゃった」

 楽しげにそう言ったエレナは少し髪を整えて。

「じゃあ、今度はルルのために歌おうかな」

 そう言って幸せそうな顔で笑うエレナは、今日も要塞都市バーレー(最北の地)で美しい歌声を響かせる。
 最愛の人の唯一の歌姫として。

ーーFin

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