「〜〜〜♪----♪」

 ドラゴンの背でエレナは静かに歌を紡ぐ。ルヴァルと過ごすこの時間はとても穏やかで、少し冷たい北部の風が心地いい。

「この間と違うな」

 歌い終わったところでルヴァルはエレナに尋ねる。

鎮魂歌(レクイエム)ショートバージョン」

 全部歌うと長いからとエレナ静かに答えた。
 確かに長かったなとルヴァルは南部での夜を思い出す。
 マリナ達が川へ落ちた後、合流した隊に彼らの捜索を任せルヴァルはエレナと南部の上空をドラゴンに乗って飛んだ。
 エレナの紡ぐカナリアの歌(音の魔法)は、土地そのものの淀みを清め全ての魔物を消失させて無意味な争いを終結へと導いた。
 戦場に響いたその歌声は物悲しくも美しく、エレナの歌声に聞き惚れた騎士達の間で語り草だ。

「死者の魂を癒す歌、か……綺麗な旋律だな」

 ぽつりと感想を述べたルヴァルに、

「そうね。でも歌は聞いてくれる人の為にあるんだよ」

 とエレナは持論を述べる。
 死者を悼む気持ちも勿論あるけれど、エレナは生者(ルヴァル)のために歌を紡ぎたいと思う。その心の痛みを少しでも和らげてあげたいから。

「……ルルは何がそんなに気がかりなの?」

 エレナはトンとルヴァルに寄りかかり、背を預けてそう尋ねる。

「最近ずっと、難しい顔してる」

「生まれつきこういう顔だ」

 その位置からじゃ顔は見えないだろうがと言うルヴァルに、

「見なくても分かるもの」

 私、耳には自信があるのとエレナは得意げに言い返す。

「でも、ルルの気持ちは聞かないと分からない」

 だから知りたい、と言ったエレナの髪をルヴァルは優しくそっと撫でる。エレナは本当に強くなった。否、本来の彼女に戻ったと言うべきか。
 ふっと笑ったルヴァルは、

サザンドラ子爵家(エレナの実家)はアレで良かったのだろうか、と」

 淡々とした口調で言葉を落とす。

「ああなった以上、子爵邸は勿論もうサザンドラ領にレナが立ち入ることはできない」

 横領や脱税の上で没落する貴族の財産は全て差押。
 現状所有者がカレンやマリナになっている以上、エレナの実母の形見を取り戻すのは難しい。
 子爵邸に良い思い出がなくとも、領地には母親や祖父母との思い出もあっただろう。
 だが再犯防止のため没落させた側の人間が元領地に足を踏み入れることは法律で禁じられており、エレナがサザンドラ子爵家の出身である以上彼女に思い出を懐かしむ時間すらルヴァルは与えてやることはできない。

「それに、異母妹は未だ見つからず、生死不明。レナが、心労で倒れないかと」

 ルヴァルの言葉を聞いて、エレナはふふっと嬉しそうに小さく笑う。

「ルルは私の心配してくれていたのね。ありがとう」

 ルヴァルは本当に優しい、と温かな気持ちが込み上げてエレナは彼に抱きつきたくなる。
 尤も今は飛行中でそんな事はできないので、エレナは代わりに言葉を紡ぐ。

「まず、サザンドラ子爵家についてだけど、証拠をルルに渡した時点でこうなる事は分かっていたわ」

 サザンドラ子爵家を私の手で終わらせたい。そう言ったエレナは、実家の物置小屋を探すようルヴァルに進言した。そこはエレナがよく閉じ込められていた場所で、父が足を踏み入れる事はなく、何かを隠すには適したところでもあった。
 エレナは次期当主として領地経営の仕事を学ぶ、という名目のもと押し付けられた帳簿管理で父の不正に気がついた。

「気づいて、だけど結局私は何もできなかったの。だから私も同罪だわ」

 言及すれば父からもきっと殴られるようになる上に、不正は隠蔽されてしまう。
 自分に無関心な父。日常的に振るわれる義母やマリナからの理不尽な暴力。
 そんな中でエレナにできたせめてもの抵抗は、写し取った証拠を隠す事だけだった。

「無能な領主なんていない方がいいわ。国預かりになった方が領民にとってもずっといい」

 思い出ならここにあるから大丈夫とエレナは胸を押さえて微笑むと、

「形見の品は元々"困ったことがあれば使いなさい"って渡されたものだったから。私の手元にあるより、領地の救済に使ってもらえた方がいいわ」

 きっと母も祖父も許してくれるとエレナはそう言うと、改めてルヴァルにお礼を述べる。
 エレナの声は晴れやかで、本心からそう言っているのだと分かる。エレナらしい、と思ったルヴァルは短くそうかとだけつぶやいた。
 
「マリナについては」

 と口を開いたエレナは言葉を紡げずに考え込む。
 同じ家で確かに暮らしていたけれど、自分はきっと異母妹(マリナ)について語れるほど、彼女を知らない。
 だけど。

『さようなら、大嫌いなお姉様』

 あの時マリナから聞こえた音は、とても穏やかで敵意も憎悪も感じられなかったから。
 決別した時に出した結論通り、エレナはマリナを見逃す事にする。
 生きていても。
 死んでいても。
 その影に囚われたりはしない。マリナを救済できるのは、きっと彼女自身だろうから。
 ただし。

「もし、また向かって来るような事があれば返り討ちにするから大丈夫」
 
 売られた喧嘩は高値買取が、バーレーの流儀でしょ? とエレナは笑う。

「そうだな」

 そう、ここは決して落ちることの許されない要塞都市バーレー(国防最前線)
 何が来ても北部を預かる辺境伯として迎え撃てばいい。
 エレナの結論を聞き、ルヴァルは応えるようにポンっ彼女の頭に軽く手を置いた。