ノルディアからかけられた血の制約という呪術と魅了のせいで、カルマに付き従う行動を強制され、機密に関わる言動を封じられているリオレート。
 リオレートが真実を訴えられるように彼にかけられた魅了だけでも解除したいとエレナはルヴァルに提案する。

「呪術は無理でも、あの魅了なら打ち消せるんじゃないかなって思うの」

 一般的に呪術は術者と呪われた人間を繋ぐ媒体を壊さない限り解呪することはできない。それが、何代にも渡るほど時間をかけ根深く血筋に絡んでいるのなら尚更だ。無理矢理呪術を剥がせば精神を崩壊させてしまう。
 だが、魅了はそれとは異なる。

「仮に魅了が解除できたとして、呪術がかけられている以上、リオにこちらがつかんでいる情報について話すのは賭けだな」

 リオレートが自分の意思で反逆に加担していないのだとしても、操られている以上ノルディア側にこちらの情報が漏れてしまう可能性がある。
 
「その可能性は確かに否定できないんだけど。でもリオは今ギリギリの所で抗っているんじゃないかな、って私は思うの」

 もしリオレートが何も考えられないレベルで支配されていたのなら、きっとエレナの特異性(耳の良さ)はあちら側に筒抜けで、偽造通貨判別装置の作製はできなかっただろう。

「私が今こうして無事にここにいるのは、リオがノルディア側に完全に堕ちていない証拠にならないかしら?」

 だから私はリオの事を信じたい、というエレナはここから先はリオレートの協力が必要だと主張する。
 ルヴァルはじっとエレナの紫水晶の瞳を覗き込む。
 1度目の人生で、知り得なかったリオレートの秘密。エレナがここにいることでもたらされた、あの時とは違う未来の可能性。

「何があっても、私はずっとルルといる」

 ふわっと笑うエレナの頬に指を伸ばし、ルヴァルはそっと黒い髪を撫でる。ルヴァルに寄り添うように目を閉じ、されるがままエレナは静かにルヴァルの選択を待つ。

「俺も……信じたい」
 
 1度目の人生で刺された時のリオレートの苦悩に満ちた表情と、彼があえて急所を外したその意味を。
 エレナが聞き取ったリオレートの運命に抗う音を。
 ルヴァルの選択を聞きエレナは目を開けて頷くと、

「じゃあ、みんなにも相談しましょ」

 バーレー総力戦だねと嬉しそうに微笑んだ。


「問題はどうやって魅了を打ち消すかだな」

 作戦会議と称して呼ばれた面々を前にルヴァルがそう切り出す。

「待て。待て待て待て待て待て! 情報量多いわっ!!」

 ルヴァルはやると決めたら即実行。
 相手が寝ていようが関係なく、有無を言わさず集められ、だいぶ端折った説明を聞かされた挙句に、リオレートが目の前で意識を失ったまま椅子に縛り付けられて拘束されているその状況にノクスは待ったをかける。

「リオさんが間者ってマジなん!?」

「冗談で俺がここまですると思ってんのか?」

 ルヴァルのマジレスにノクスは思わないと大人しくなる。
 リオレートにはただ"全部知っている""俺を信じろ"とだけ告げた。後悔と苦悩と安堵を混ぜたような表情を浮かべたリオレートは静かに頷き、拘束されるにあたり一切抵抗しなかった。
 呪術や魅了の効果によって間者である事がバレた瞬間、リオレート自らの手で命を絶つあるいは呪いに殺される可能性もあった。
 だからそうなる前に拘束し、猿轡をはめた上、ソフィアの薬で仮死状態にしてもらった。そして今も生命維持のためにソフィアが、抵抗した際にリオレートを押さえる役目としてリーファが彼のすぐそばで控えている。

「盛大なドッキリじゃないのは分かった。で、リオさんにかけられた魅了も無効化したい、と。けど、そもそも何でひーさんは魅了にかかんなかったんだ?」

 事態は急を要するのでノクスは本題に入る。

「……分からない、の」

 エレナはフルフルと首を横にふる。

「ただ、あの魔法()には覚えがある」

 ずっと思っていたことがある。なぜあの男(カルマ)は声を媒介として"魅了"が使えるのか? と。

「あれは、あの魔法は元々は"お母様の"」

 エレナはそう言って黄金色に輝く大きな鳥の姿を思い浮かべる。

『私はこの世界に存在する"全ての音"を司る』

 それは、エレナの中にある"カリア"の記憶。

「ひーさんのお母さん?」

 ノクスの言葉にはっとして、エレナは口をつぐむ。
 あの神獣を母としていたのは今の自分ではなく、カリアだ。今の自分ではない、とカリアの記憶に引っ張られ過ぎていた事を感じ首を振る。

「ノルディアの手に不正に渡ったフィリアの研究記録。多分、そこに音の魔法の記述があったのだと思う」

 神獣やカリアの記憶を伏せたまま、代わりに知っている事をエレナは話す。ノーラと過ごしていたあの頃、彼はじっとカリアが使う"音の魔法"を観察しては何かをノートに書きつけていた。
 あの短期間で全てを解明したとは思えないが、一部をアレンジしてヒトが使える形で魔法式として書き起こした可能性はある。
 それこそ、ノルディアがフィリアを切り捨ててでも手に入れたいと判断するだけの有益な魔法式が。

「あの時……私は確かに"音の魔法"を聞き取ったの」

 カルマが紡ぐ声に脳が痺れ、身体と心を支配する。それは、エレナにとってはとても"怖く"感じる事だったが、一方でカナリアの歌に人々が惹きつけられるそれに似ている気がした。
 尤もカナリアの歌は相手の精神を支配するものではなく、対象を癒す効果があるだけなのだけど。
 
「怖くなって……その後はルルの声を探したの」

 エレナはあの時の出来事を思い出しながら一つ一つ過程を辿る。

「ルルの声を耳が拾って……気づいたら"魅了"を跳ね返していたの」

 参考になるだろうかとみんなの方に顔を向ければ驚いた顔をしているルヴァルと呆れた顔で額を押さえてため息をつくノクスとなぜかニヤニヤしているリーファとソフィアの顔が目に映る。
 エレナはどうしたのかときょとんと首を傾げる。

「いやぁーん、エレナ様ってばどれだけお館様の事大好きなんですか!」

 若いっていいわぁと頬に手を当て微笑ましげに笑うソフィア。

「なるほど! 呪いは真実の愛で解ける系なんですねぇ。はぁ、エレナ様が可愛いらし過ぎてニヤニヤしちゃうますねぇ」

 リオレートに剣を向けたままエレナ様が可愛いと連呼するリーファ。
 そんな2人の揶揄うような視線を一身に浴びて、エレナは顔を紅くする。

「あんまりレナを揶揄うな、バカどもが」

 そう言って2人を一喝しエレナをさりげなく自分の後ろに隠したルヴァルは、

「ノクス、今の話から何か分かるか?」

 難しい顔で黙り込んでいるノクスにそう尋ねる。

「……とりま、俺が言えるのは相変わらずひーさんはチートが過ぎるって事だな」

 ノクスは大きなため息と共にそう言ってエレナをじっと見た。

 音、とは物体を振動させることによって発生する波のことだ。エレナの話を信じるならば、精神干渉系の魔法であるそれが指令信号として認知される前に無効化したのだという。"音"を打ち消すことによって。

「魔法の術式無効化は通常それが感知できかつ、視認できた場合になんらかの方法で式を崩す事で成立する」

 ノクスの説明が理解できず全員疑問符を浮かべ首を傾げる。

「ま、簡単に言えば」

 ノクスはさらっと紙に何かを書き付け、ルヴァルの方に飛ばす。すると空中に魔法陣が浮かび上がり、魔法陣から出てきた鎖が一斉にルヴァルに襲いかかる。
 ルヴァルはそれを難なく剣で往なし、魔法陣ごと切り捨てた。ルヴァルに斬られたことで鎖は元より魔法陣そのものが消失する。

「お館様、今何した?」

「何って、切り刻んだだけだが?」

「そう、それな」

 ノクスは落ちている紙を拾い上げ、ルヴァルに見せる。紙に描かれた魔法陣は切断され、その形を保つ事ができなくなっていた。

「描かれた魔法式は陣形が切断したことで無効化された。ひーさんの話にこの過程を当てはめるなら、目に見えず触れられない"音"そのものをなかったことにしたって事になる」

 だからチートが過ぎるって言ったろ? とノクスは肩を竦める。

「音、をなかった事に? そんなの……一体どうすれば」

 ルヴァルの後ろから顔を出したエレナが困惑した顔で問いかける。ノクスに頼めばなんとなく魅了対策の魔道具を錬成してくれるのではないかと思っていた。
 だが、これは錬金術師の技術の範疇を超えている。どうしよう、と表情を曇らせるエレナに、

「んでもって、コレは確かに俺の分野だ」

 そう言ったノクスは眼鏡を外す。

「こんなん、じーさんの遺した魔法レコードにもなかった! へぇ、未知の解析とか俄然燃えんじゃん」

「……へっ、え!? えぇーー?」

 声は間違いなくノクスなのに、眼鏡を外したノクスの見目はまるで別人で。瞳の色は黄色から鮮やかな金色に変わっていた。

「ちょっとこの眼は目立ち過ぎるんで、変えてんだわ」

 他言無用で、とノクスは言うが金眼なんてこの国で魔法の基礎を築き上げた大賢者の特徴で書かれている歴史文献の記載以外でエレナはお目にかかった事がない。が、大賢者はすでに亡くなっているはずだ。
 これは一体どういうことだ、と考えてエレナは首を振る。
 ノクスは辺境にある要塞都市バーレーの住人だ。城内に訳ありしかいないのなら、コレ(金眼)がノクスの"訳あり"なのだろう。
 ノクスと大賢者の関係は分からない。だけどそれを自分に見せてくれたというのなら、その信頼に応えたい。
 そう思ったエレナは追求する代わりにノクスの前に出て綺麗にカーテシーをして見せる。

「ノクスの本職は魔術師なのね。すごく頼りになるわ」

「あ〜やっぱ、ひーさんいい子だわ。賢い」

 お願いしますと頭を下げたエレナを見てノクスは満足気に口角を上げ、いい子いい子とエレナの頭を撫でる。

「レナに勝手に触んな」

 ルヴァルはべしっとノクスの手を払い、されるがままで大人しくしているエレナを引き寄せる。

「いいじゃんか、減るもんじゃないし。ひーさんうち(バーレー)のお姫様なんだから共有財産だろ」

 独り占め禁止と抗議の声を上げるノクスに、

「そうですよ、お館様! エレナ様はみんなのモノです」

 愛でたおしたいとリーファが加勢する。

「まぁまぁ、2人とも。新婚期くらいお館様を放っておいてあげなさいよ。独り占めしとかないと繋ぎ止める自信がないのよ。ほんっといつまでたってもお子様なんだからぁ」

 やっぱり男は30過ぎてからよねぇとソフィアが揶揄う口調でそう言うと、
 
「あーもう、お前らうるさい。さっさと仕事しろ、仕事」

 ルヴァルはチッと嫌そうに舌打ちをする。そんなルヴァルの音を聞きながら、エレナはふふっと幸せそうに笑う。

「……なんだよ」

「んー、ルルが楽しそうで嬉しいなって思っただけ」

 そう言ったエレナの髪をルヴァルは無言で乱暴に撫でる。
 2人のやり取りを見て揶揄い足りない気はするが、

「んじゃ、時間もねぇし、早々に始めますか」

 リオレートの魅了を解く方法が分かれば、対策もできるはずだからとノクスはそう言ってエレナに手を差し伸べる。
 自分はひとりではない。ルヴァルをはじめとした頼りになる人たちが力を貸してくれるなら。
 きっと運命を変える最適解を叩き出せると信じてノクスの手を取った。