会場入り口付近で一際大きなざわめきが起きる。
 そちらに視線を向ければ、そこには沢山の注目を浴びながら涼しい顔で颯爽と会場入りした北部の主、ルヴァル・アルヴィン辺境伯の姿があった。
 マリナは初めて見る本物のルヴァルの姿に息を呑む。

(なんて、綺麗な人なのかしら。絵姿以上だわ)

 社交嫌いで有名な彼は滅多に王都に姿を現さない。
 南部では見かけない美しく流れるような銀糸の髪に、涼やかな青灰の瞳。
 彼が纏う衣装は濃い青を基調とし細かな刺繍が施されており、彼の為だけに誂えられたその衣装は他では見ない洗練されたデザインからメリーメリーのオリジナルだと一目で分かる。
 少し不機嫌そうな表情ですら魅力的で、あの表情が崩れ甘く笑いかけられたなら落ちない子女はいないだろう。

「珍しい事もあるものだ」

 エリオットのつぶやきでマリナの飛んでいた思考が戻る。

「それにパートナー(エレナ)がいないな」

 一人で会場入りしたルヴァルを見て不審そうな声でエリオットはマリナに囁く。

「だって、辺境伯の妻はあのお姉様ですよ? エリオット様だって、必要時以外はいつもお側に呼ばなかったではありませんか」

 本日ルヴァルが一人で建国祭に来ると協力者からの情報で事前に知っていたマリナは優越感に満ちた声で囁き返す。

「ああ、でも"お姉様のため"なのかも。だって、お姉様に社交なんて無理でしょう?」

 今はカナリアですらないのだし、とマリナは満足気に微笑む。
 長年かけてズタボロにしてやった卑屈な腹違いの姉(大嫌いなエレナ)
 こんな大きな催事ですら連れて来られないのなら、きっと辺境地でも捨て置かれているに違いない。
 今頃エレナは一人でどんな惨めな思いをしているのかと想像するだけで心が躍った。

 建国祭初日を告げる宴は滞りなく進んでいく。
 エリオットが他で小難しい話をしている隙をついてそっと離れたマリナは、沢山の人間に囲まれているルヴァルに近づき、

「ルヴァル様」

 と甘えたような声で彼を呼ぶ。

「名で呼ばれるような関係ではないはずだが」

 冷たく素っ気ない威圧的な言葉を全く気にせず、

「あら、お義兄さまの方がよろしかったかしら?」

 とマリナは小首を傾げる。
 近くで対峙したルヴァルは、沢山の秋波を送られるだけはあると納得する美丈夫だった。

「私、ずっとお話ししてみたいと思っておりましたの」

 鈴の転がるような声と人目を惹く仕草。
 彼女は自分の魅せ方を熟知している、とルヴァルはエレナとはまるで似ていない腹違いの妹に苛立ちを覚える。

「生憎と俺には話す事などないが」

「お姉様の事でも、ですか?」

 ピクッとほんの僅かだが、ルヴァルが反応を示した事に手ごたえを感じたマリナは擦り寄るようにルヴァルに近づき手を伸ばす。

「ダンス、誘ってくださらないのです?」

 滅多に社交界に現れず、子女をダンスに誘うことのないルヴァル。
 結婚したはずなのに妻を伴うことをしない彼が別の女とダンスを踊る。その光景は噂好きの貴族の口に上がり、エレナを再起不能に貶めるだろう。

「きっと有意義な時間になりますわ。私、ダンスは得意ですの」

 この手の駆け引きには慣れているマリナが妖艶に微笑む。
 それに応じるように意地悪げな表情を浮かべたルヴァルは、だがその手に触れる事はせず、

「悪いが、踊る相手はもう決めている」

 誘いをキッパリと断る。
 
「えっ?」

「金輪際彼女以外と踊る気はないしな」

 昨日楽しげに踊っていたエレナの姿を思い出す。

「俺を引っ掛けるには情報不足だ」

 青灰の目が楽しげに言った瞬間だった。

「建国祭初日に駆けつけてくれた紳士淑女の諸君。本日はこの場を借りて広く知らせたい事がある」

 壇上にこの国の王太子であるアーサーが上がり、重大発表を行うと宣言した。

「我がマシール王国は260年という長い歴史を持ち。魔法と新たな技術を融合させ様々な分野で他国にはない発展を遂げてきた」

 多くの視線に注文される中、アーサーによる口上は続く。

「そして、この度新たな技術を組み入れた"王国通貨"を発行する事をここに宣言する」

 アーサーの宣言に会場がざわめきに包まれる。全く知らなかった情報に、マリナのエメラルドの瞳が陰る。

「この硬貨は専用機器に通すと"音"で硬貨の種類を自動判別し、"偽造通貨防止"等セキュリティ面の強化と仕分けなどにかかる人的労力の負担軽減の効果が期待される。これを導入することで我が国の貨幣の信頼性はますます高まるだろう」

 新しい硬貨を導入し、さらには財務を司るサルビス公爵家主導で金融ギルドを立ち上げ短期間で全ての王国通貨を置き換え管理するという。
 その話を聞きながらルヴァルは隣にいるマリナに視線を流す。
 かろうじて表情を崩さなかったが、爪が手のひらに食い込む程強く握り締め肩が震えていた。

「通貨の交換はすぐ対応する。庶民に至るまで全てだ。なーに、費用については気にするな。うちの番犬(アルヴィン辺境伯)がたまたま王都に来ていてな? 少々国庫が潤っているんだ」

 人良さげな表情を浮かべ、涼やかな声でアーサーがそう告げた瞬間、会場がざわつく。
 滅多に王都に来ることのない北部の支配者が、王太子の飼い犬である事は周知の事実だ。
 そんなルヴァルがわざわざ来た理由、そしてその結果国庫が潤い、本来ならこの場にいるはずの人間の姿が見えないという現実が何を意味するのかわからない貴族はこの国にはいない。

「さて、我が国が法治国家である以上、不正は野放しにはしない。それをゆめゆめ忘れない事だ」

 青緑色の強い眼力で、ざわめきがピタリと止まる。
 分かれば良いとばかりに不敵に笑うアーサーは、少しだけ表情を崩し、

「さて、この素晴らしい計画の発案者を紹介しておこうか。こちらへ」

 呼ばれた彼女は凛と背筋を伸ばし、沢山の視線を浴びながら、堂々と顔をあげ舞台に上がる。

「エレナ・アルヴィン辺境伯夫人。知っている通り、我が国の"カナリア"だ」

 紹介されたエレナは優雅にカーテシーをして見せる。
 美しいドレスはルヴァルと揃いの色をしており、綺麗な黒髪と特徴的な紫水晶の瞳と相まって彼女の魅力を引き立てていた。

「あら"元"が抜けておりますわ。殿下」

 綺麗な微笑みを浮かべたエレナはそう切り返す。

「ご存知の通り、事故で魔力回路が焼き切れた私は、魔力を歌に込め"魔法を外に出す"力がありませんので」

 歌姫(カナリア)は引退しましたの、とエレナはアーサーの言葉を訂正する。

「……うそ、よ」

 顔面蒼白となり拳を握りしめたマリナはそうつぶやく。
 マリナの目に映る壇上にいるその人は、自信に溢れた美しい一人の淑女で。
 王太子直々に紹介されたエレナには、辺境地に追いやった時の悲惨な面影が一つも見当たらない。
 エレナを睨みつけるマリナを尻目にルヴァルはコツコツと歩みを進め壇上にいるエレナに近づく。

「この技術が実現したのは私だけの功績ではありません。夫をはじめ、多くの協力者のおかげです」

「だそうだ、ルヴァー君の奥方は随分謙虚だな」

 こちらへと呼ばれたルヴァルは揶揄うようなアーサーの視線を受け流し、ひらりと音もなく壇上に上がる。

「できた妻だろう?」

 そう言ってエレナを褒めながら微笑んで彼女の黒髪を撫でた。
 公の場で笑う事など皆無に近いルヴァルのそんな仕草に再び会場にざわめきが起こる。

「建国祭の祝いの品として、今回の"王国通貨"発行にあたり、アルヴィン辺境伯領の特殊技術並びに通貨素材としてドラゴンの鱗を無償で提供する。性能は王都にて実証実験済みだ」

 以上、と述べるとルヴァルは目録を献上し、エレナの手を取った。

「お待ちくださいっ!」

 ギリリと歯噛みしその光景を見ていたマリナは、突如大きな声を上げる。

「魔力回路だって焼き切れているのよ! カナリアですらないその女にそんな事できるわけがないわ!! その通貨は果たして信頼に足るものかしら?」

 せっかく時間をかけて偽造通貨をばら撒いたのに、これでは意味がなくなってしまう。
 国への不信感を煽り、各地で反乱を起こさなければカルマに誉めてもらえない。
 そう思ったマリナは、必死に抗議の言葉を述べる。

「発言を許可した覚えはないし、うちの機関で性能試験済みだと言っているのに信頼がない、と」

 底冷えするようなアーサーの声音にマリナの背筋が冷たくなる。

「君はウェイン侯爵家次男の婚約者だね。辺境伯夫人を貶めるだけでなく、それはアルヴィン辺境伯領(国の防衛機関)に対する侮辱に値するが、君はその発言に責任が取れるのかい?」

 疑問符をつけておきながら、青緑色の瞳はマリナにそれ以上の言葉を許さない。
 マリナは息を呑み沈黙する。

「失礼ながら殿下、発言をお許し頂けますか?」

 控えめに言葉を発したのはエレナだった。

「ああ、許可しよう」

「先程は妹が失礼をいたしました。彼女は知らないのです、私の耳の良さもカナリアの能力についても」

 なにせサザンドラ子爵家嫡女ではありませんので。
 とエレナは淡々とした口調でそう告げる。
 "庶子"である。
 それはマリナにとって一番の地雷だと認識した上で、あえてそれを口にする。
 エレナの言葉を拾ったマリナはエメラルドの瞳でエレナの事を射殺さんばかりに睨む。だが、それを一切気にする事なく、受け流したエレナは、

「"私、ずっとお話ししてみたいと思っておりましたの"」

 と先程のマリナとルヴァルの会話を再現してみせる。

「"お姉様の事でも、ですか?"ですって? 私とあなたはお互いについて話せたり心配し合うような仲だったかしら?」

 一字一句あっている言葉に驚いた顔をするマリナを見ながら、

「ここからでも聞こえていましたよ。私の夫を誘惑するのはやめてくれるかしら?」

 にっこり微笑んでエレナは自身の耳の良さを強調する。

「魔力回路が焼き切れて、魔法を"外に出す"ことができないだけで、私の使える魔法自体ががなくなったわけではないの」

 だから超人離れした聴力があり、この技術を提供できたのよと会場にいる全員の前で種明かしをしたエレナは、

「終わりにしましょう、マリナ」

 紫水晶を悲しげな色に染め、そう言って終焉を告げた。