あの日から度々エレナはルヴァルに付いてドラゴンに会いに行くようになった。
 エレナはドラゴンが気に入ったようで、ルヴァルが誘うとぱぁぁっと目を輝かせ、とても嬉しそうな表情を浮かべる。
 また、ドラゴン達もエレナが来ると非常に機嫌が良くなり、何故か全頭エレナに会った瞬間彼女に懐いてしまった。
 ドラゴンは基本的に警戒心が強く、調教するのに時間がかかる。ゆっくり信頼関係を築いて初めて触れるようになる生き物なのだが、そんな北部の常識を覆してしまったエレナはドラゴンの世話をし騎乗する騎士達からもあっと言う間に一目置かれるようになった。
 それ自体はいいのだが。

「エレナ様! ぜひ、今日は私のロダンに乗って行ってください!!」

「いや!! うちのゼータがエレナ様を待ってますので、ぜひうちに!!」

「先輩達抜け駆けはずるいです!! 僕のアクアだってエレナ様に会いたがって首を長くして待ってるんですよ」

 ルヴァルの姿を見つけた途端、騎士達は作業を放り出しその隣にいるエレナに詰め寄ってそう誘う。
 ドラゴンの事は全く怖がらなかったエレナだが、ガタイが良く声も大きい騎士達に一斉に寄って来られるのは流石に怖いのか、ビクっと肩を震わせてルヴァルの後ろに隠れる。
 きゅっとエレナに背中の衣服を掴まれたルヴァルは、

「……お前ら、いい加減にしろ。毎度毎度詰め寄るな。エレナが怯えてるだろうが」

 ため息混じりに落ち着けと騎士達を嗜める。
 だが。

「だって、いつもいつもお館様ばかりずるいです!」

「そうですよー! エレナ様と遊んだ後のコイツらはめちゃくちゃ言うことよく聞くんですよ!! すっごく調子もいいし。狩りに出てもレアな拾い物してくるし」

 エレナを独り占めするなとヤジとブーイングが飛ぶ。

「……お前らがいなかったらエレナは全頭構ってるぞ」

 騎士達の気やすさなど気にも止めず、仕事しろとルヴァルは手で追い払うも、

「いや、可愛い女の子がドラゴンと戯れてるとこが見たいんです」

「俺たちにも癒しをください!! 癒しを!!」

 と聞く耳を持たない。
 ルヴァルはチラッと後ろに視線を向けるが、騎士達が一斉に大きな声を出したためかエレナは身を硬くし縮こまってしまった。
 警戒心の強さはドラゴン並みだなと苦笑したルヴァルは、

「ヒトの嫁をそんな目で見るな、馬鹿どもが」

 呆れたような口調でそう言って、強制的に解散させた。

「大丈夫か、エレナ」

 ブツブツと文句を言いながら騎士達が解散して行ったのを見届けたルヴァルはエレナの方を振り返り、彼女と視線を合わせて声をかける。
 さっきまで怯えた様子で小さくなっていたエレナは、驚いたような顔で紫水晶の瞳を瞬かせ、両手で口を押さえていた。

「どうした? 顔が赤いが」

 聞かれたエレナはブンブンと大きく首を振りなんでもないとアピールする。
 ルヴァルがいう『嫁』なんて、形式上のモノなのだと理解している。それでもルヴァルが当たり前にそう口にしたから、照れてしまったなんて言えない。

『大きな声に驚いただけなのです。ご挨拶できずすみません』

 エレナは誤魔化すように文字を綴る。
 実際、エレナは非常に耳がいい。だから一斉に大きな音を耳が拾うと驚いて足がすくんでしまう。

『庇ってくださって、ありがとうございます』

 ろくろく挨拶もできなかったのに不謹慎にもルヴァルに庇われたのが嬉しい……などとは言えないので、エレナは感謝の気持ちだけ綴り、

『次はみなさんと仲良くなれるように頑張りますね』

 決意と共にエレナはルヴァルの青灰色の目に笑いかけた。

 まだぎこちなさが残るその表情を見ながら、ルヴァルはエレナの頭を撫でる。

「まぁ、無理はするな」

 ぶっきらぼうな物言いと少し乱暴なその動作を受けて、エレナはふふっと楽しそうに笑い目を閉じた。
 そんなエレナを見てルヴァルはピタッと手を止める。ゆっくり見開かれた紫水晶の瞳には自分が映っていて、不思議そうに首を傾げる。
 そんなエレナと目が合ったルヴァルは先程より慎重にそっと艶やかな彼女の髪を撫で、エレナはそれを抵抗することなく受け入れた。
 この感情を、何と呼べばいいのだろう? とルヴァルはエレナを撫でながら思う。
 あまり人懐っこいとは言えないエレナが、この辺境伯領を除いては人に恐れられる事の多い自分に警戒心を解いて接してくれている。
 あんな話をしたというのに、エレナは責めるでも距離を置くでもなく、ただ感謝の言葉を綴り少しずつ感情を表に出して信頼を寄せてくれようとするのだ。
 それが嬉しくて、まだ上手く声の出せない彼女が時折自分のためだけに口ずさむ旋律を独り占めしたくなる。

(エレナは神獣と取引した保護対象だ)

 エレナとは神獣と約束を交わしたただけの繋がりだ。
 彼女の意思などお構いなく、自分の都合を押し付けておいて"愛おしく"思うなんて、きっと許されない。
 自分にできるのはせめて今世、エレナがこれ以上傷つく事がないように保護してやることくらいだ。
 エレナが傷を癒し、自らの足で駆け出して幸せを掴もうとする時が来たら、手を離す覚悟もしておかなくてはとルヴァルは自分にそう言い聞かせた。


「どうした?」

 手を引いてドラゴン達のところにエレナを連れて行き、しばらくしたあとエレナが遠くで訓練している騎士達に時折視線を向けている事に気がついた。

『渡しそびれてしまいました』

 外出用の小さなメモ帳に言葉を綴ったエレナは、持ってきたバスケットに視線を落とす。
 今日こそはキチンとご挨拶と差し入れをしようとリーファと一緒に用意してきたのに騎士達の声の大きさと勢いの良さにたじろいでしまったとエレナはしゅんと目を伏せる。

「なんだ。コレはアイツら用だったのか?」

 こくりと頷いたエレナは、

『マフィン、上手く焼けたと思うのですが』

 とバスケットの中身を見せる。
 綺麗に一つ一つ丁寧にラッピングされたそれを見たルヴァルは、

「コレはエレナが作ったのか?」

 と尋ねる。
 こくりと首肯したエレナを見て、ルヴァルは先程の騎士達の様子を思い出す。これをエレナが手ずから一つ一つ騎士達に手渡すところを想像し、急に苛立ちを覚える。
 エレナにお茶を淹れてもらったことは何度もあるが、自分だってまだエレナの手作りの菓子などもらった事がないのに、と。

『ルヴァル様も、もしよろしければ』

 そんなルヴァルの心情など知らないエレナははにかみながらルヴァルに一つ手渡す。
 エレナの顔を見ながら、自然と微笑み返したルヴァルは、

「……もらう」

 と短く言ってエレナの手から一つ受け取ったあと、ルヴァルはもう片方の手で彼女の手からバスケットを取り上げる。

「コレは俺が渡しておく。エレナは好きに過ごすといい」

 そう言うと、あっと思うままなくバスケットを持って行ってしまった。

 ルヴァルはバスケットに視線を落としながららしくない、と内心で苦笑する。
 だが、できればもうしばらくあんな風に笑うエレナの顔を見るのは自分だけがいいと思う。
 それは紛れもなく独占欲だった。