「これをおまいさんがいつかティダに来た時に渡してほしいと、10年以上前にある旅行者に託されたんだべ」
差し出されたのは、両手に収まる程度の大きさの古びた四角い缶箱。受け取った九条くんは不思議そうにそれを見つめた。
「旅行者、ですか?」
「んだ。なんでも開けずに、おまいさんの母に渡してほしいと言ってたなぁ」
「え……?」
その言葉に九条くんが、そして側で聞いていた私も固まる。
だって九条くんの母って……。
『妾は神琴の親ぞ? 親が子をどうしようが、妾の自由であろう』
頭に浮かぶのはあのトンデモ当主しかいない。
あ、でも確か九条くんは養子なんだっけ……? じゃあ〝母〟っていうのは、あの当主じゃないってこと?
私が頭の中でこんがらがっていると、カイリちゃんが「なぁ」と魚住さんを見た。
「そもそも父さんは、どういう経緯でその缶を預かることになったんだ? 旅行者ってのは何者だ?」
「それがたまたま釣りの帰りに海辺を歩いてる父子の旅行者を見かけてな。思えば『九条神琴』、あの時そう名乗った男の子がおまいさんだったんだべなぁ……」
「それは……、俺が昔ティダに来たことがあるということでしょうか……?」
しみじみと頷く魚住さんとは対照的に、缶を持ったまま九条くんが困惑したように呟く。
「まだ小さかったから覚えてないのは無理もないべ。オラもおまいさんを見るまで、コロッと約束のことを忘れてたべな」
「…………」
缶を見つめたまま九条くんが黙り込んだ。
その表情は本当に覚えがなく、腑に落ちないと言っている。
けれど九条くんはソーキそばの店にお城に海。事あるごとに既視感を訴えていた。
ならばやっぱり以前、九条くんはティダに……。
「俺と一緒にいた……その、父は……どんな人だったんですか?」
「んー、銀髪で瞳は紫色だったな。顔もちょうど今のおまいさんとそっくりな男前で、だからおまいさんを初めて見た時、どっかで見たことがあるなぁ~と思ってたんだべ」
「……っ」
「くじょ……」
その言葉に缶を持つ九条くんの手が震え出す。それに思わず声を掛けようと私は身を乗り出したが、ぐいっと誰かに後ろから肩を掴まれ阻まれる。
振り向けばお母さんが真剣な顔で私を見ていて、ゆるりと首を横に振った。
「……父は貴方に名乗っていましたか?」
「名前か? えっとなー……」
少し沈黙した後、魚住さんは「あ!」と声を上げ、答えた。
「――――紫蘭」
「!」
ティダに来て以来、幾度となく聞いた名をまたここでも耳にし、私は驚きに目を見開く。
「そうだ、九条紫蘭。彼はそう名乗ったべ」