『あくまでも〝フリ〟で、今夜だけで構わない』
『構わないって、こっちが無理です』

『ああ、恋人か夫がいるのか。それは考えていなかったが、君がどこの誰かはわからないようにするから——』
壱世の言葉に胡桃はムッとする。

『そんな人いませんけど。って、そうじゃなくて! 初対面の相手にそんな頼み事するなんておかしいです』

『私もそうは思うが、今日のパーティーには婚約者を連れて行くと主催者に伝えているんだ。ああいう場はどこに記者がまぎれているかわからないから、予定外に一人で出席すれば何を書かれるかわからない。噂好きな人間も多い街だ』
壱世は〝ウンザリ〟という表情で言う。

『〝若手イケメン市長〟と、不要な注目を集めていますから』
秘書が付け足す。
壱世はときどきニュース番組などのメディアにも取り上げられている。

『だからって』

胡桃がさらに拒否の言葉を重ねようとすると、壱世が『はぁっ』とどこかわざとらしいため息をついた。

『わかった。そんなに嫌がるならこの件はなかったことに。密着取材の候補日はこちらからあらためてご連絡いたしますので、どうぞ今日のところはお引き取りください』
『え! ちょっと』

『こちらの頼みを聞いていただけないのであれば、それまでです。スポンサー集め、がんばってくださいね』
壱世は不敵さを孕んだ笑みを見せた。

胡桃の頭を、梅島編集長の『頭いてー』という声がよぎる。

(一回だけだし、誰だかわからないようにするって言ってたし……ああ、もう! これも取材のうち!)

『わかりました。絶っ対、密着取材は受けてくださいね』