胡桃が店名を口にした『スリジエ』は、ベリが丘のノースエリアにあるオーベルジュだ。

(会員制だから、絶対に来られないと思ってたのに)
座ったまま呆然としていると、壱世がドアを開ける。

「え? あ!」
胡桃はハッとして急いでシートベルトを外すと、彼の手を取った。
手が触れただけでも、そこから緊張の熱が伝わってしまいそうだ。

(わあ……想像の何倍も品があって素敵)

蔦の絡まる建物の外観、入り口のアンティーク調で荘厳さも感じる木製のドア、ダークブラウンの絨毯が敷かれた優しい灯りの廊下、席に案内されるまで目に入るものすべてが胡桃の気分を高揚させる。

案内されたのは西洋風の庭園が見える大きな窓の近くの席だった。

二人はスパークリングワインで乾杯した。

「まさか来られるとは思ってなかったので、びっくりです」
興奮気味の胡桃に壱世はどこか安心したように微笑む。

「喜んでくれて良かった。憧れてるって言ってたもんな」
「覚えててくれたんですか」

以前に十玖子と三人で食事をした際に、会話の流れで言った程度のことだ。
それを覚えていてくれたことが嬉しくて胸が温かくなる。

「会員制で取材もNGだから想像するしかなくて。でも、想像なんかよりずっと素敵です。ありがとうございます」
「取材も含めたら、ベリが丘の店はほとんど行ってそうだからな。君が喜ぶことをあれこれ考えた」
彼が少しの時間でも自分のために考えてくれたことが嬉しい。

「電話でも言いましたけど、ファーストフードでもなんでも嬉しいですよ」
胡桃はニコッと笑う。

「でもこれは、予想外すぎて……嬉しすぎます」

(最後の食事っていう寂しさよりも、サプライズの嬉しさの方が勝ってくれる気がする)

胡桃は自分に言い聞かせて落ち着かせるように、ワインをひとくち口にした。