イーステンには、悩みがあった。
それは、雨が降ると子供になってしまう特異体質のことだ。
「また雨か……」
窓の外を見れば、しとしとと雨が降り始めている。
――まずい。今夜は妻と過ごす予定だったのに。
イーステンは頭を抱えた。
最近、レイラとの仲は順調だ。
お互いのことを少しずつ知り、共に過ごす時間を増やし、夫婦らしい関係を築いている。
それなのに。
「旦那様、お茶をお持ちいたしました」
使用人がノックをして入ってくる。
「ああ、ありがとう。……ところで、今夜の天気の見通しは?」
「一晩中雨が降り続くとのことです」
「……そうか」
使用人の言葉に、イーステンは深い溜息をついた。
――また、だ。
この前も、その前も。
良い雰囲気になったところで雨が降り、子供になってしまう。
そして、妻は――。
「まあ、可愛い!」
そう言って、子供になった自分を抱きしめる。
頭を撫でて、頬をつついて、楽しそうにイーステンを愛でて、大喜びだ。
「イーステン、小さくなると本当に可愛いですわね」
妻は心から楽しそうだ。
――悔しい。
イーステンは、それが堪らなく悔しかった。
自分は大人の男として妻を愛したいのに、子供扱いされてしまう。
社交界でも、雨の日は姿を見せられない。
「雨の日はいつも体調を崩される」と噂されているが、真実は言えない。
――この体質を、なんとかして治したい。
イーステンはそう決意し、高名な学者に相談することにした。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
レイラは、不思議に思っていた。
最近、イーステンが週に二度、決まって外出しているのだ。
「イーステンは、今日もお出かけですの?」
使用人に尋ねると、使用人は困ったような顔をした。
「はい、奥様。大切なご用事があるとのことで……」
「そう……」
レイラは、少し寂しくなった。
最近、夫婦の仲は良好だったはずなのに。
何か、隠し事をされているような気がする。
「奥様、実は……」
レイラ付きの使用人が、小声で囁いた。
「旦那様は、美しい女性と会っておられるとか」
「!」
レイラの心臓が、どくんと跳ねた。
「それは、本当ですの?」
「はい。目撃した者がおります。金髪の美しい女性だったとか」
レイラは、動揺した。
――まさか、浮気?
いや、そんなはずはない。
あれほど真剣に愛を誓ってくれたイーステンが。
レイラは決意した。
――後をつけてみましょう。
真実を確かめなければ、気が済まない。
イーステンが外出する日、レイラは密かに後を追った。
馬車に乗って向かった先は、とある屋敷だった。
イーステンは周囲を気にしながら中に入っていく。とても怪しい。
「ああ、ここは社交界でも美女と名高いアンネリーゼ博士の家でございます、奥様。なんということでしょう」
使用人が勢い込んで教えてくれる。
数々の学術論文を発表している才女なのだとか。
「そう、頭のいい方なのね。イーステンも知的な方ですものね。きっとお話が弾むのでしょうね」
「ああっ、奥様……! 笑顔が黒くなっておいでです……!」
「あなた、実はちょっと焚きつけて楽しんでないかしら……?」
レイラは使用人の心を見透かしつつ、夫を待った。
やがて夫は屋敷から出てくる。そこへ、馬車の車窓から顔を出して声をかけた。
「あ、な、た」
我ながら冷えた声だ。
「レ、レイラ……?」
イーステンは、心底驚いた顔をした。
「お乗りになって。迎えに参りましたのよ」
馬車の扉を開けて促すと、夫は従順に乗り込んで来た。
その手からぽろりと論文だか報告書だかの紙の束が落ちて、レイラはサッと手を伸ばす。
見ると、「特異体質の原因と治癒可能性について」というタイトルが書かれている。レイラは腑に落ちて「なるほど」と笑顔になった。
イーステンは、少し頬を赤らめた。
「レイラ姫。これは……つまり……こほん。あなたと睦み合っている時に、突然子供になってしまうのが、悔しくて堪らないので……」
「……まあ」
「姫は子供になった私を『可愛い』と言って、楽しそうに子供扱いします。私は、大人の男として、あなたを愛したいのに……」
可愛い。
レイラはふとそんな感情を夫に抱いた。
子供の姿の時でさえ「可愛いと言われるのはあまり嬉しくありません」と恥じらうのに、大人の姿の彼に「可愛い」なんて口に出しては言えないが。
イーステンの声は切なそうで、真剣だ。
けっして茶化してはいけない。彼にとっては重大な問題なのだ。
「……社交活動もしにくいですし……」
だめ。いけない。絶対に。我慢よ、我慢――
レイラは、しばらく黙っていた。
そして――
「ふふっ」
笑みがこぼれてしまった。
「姫?」
ああ、愛しい。
「ごめんなさい、イーステン。でも、あなたがそんなに悩んでいらしたなんて」
レイラは、涙を拭いながら笑った。
「私は、小さくなったあなたも大好きですわ。でも、大人のあなたも可愛……格好よくて、大好きです」
「姫……今、可愛いと仰りかけませんでしたか?」
「体質を治したいというお気持ちは、理解いたしました。でも、イーステンの子供姿が見れなくなってしまったら、寂しいと思いますの……」
レイラが言うと、イーステンは狭い馬車の中で身を寄せてきて、耳元で囁いた。
「……私の子供姿を愛でずとも、子供を作って可愛がればよろしいのでは?」
――まあ。
レイラは真っ赤になって、「それは、そうですわね」と呟いた。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
その夜。
二人は、久しぶりにゆっくりと語り合った。
「それにしても、レイラ姫。あなたが後をつけてくるとは思いませんでした」
「だって、心配だったんですもの」
「私を信じていなかったのですか?」
「信じていましたわ。でも、不安だったのです」
レイラは、正直に答えた。
「あなたのことが、大好きだからですわ」
その言葉に、イーステンの顔がぱっと明るくなった。
「私も、あなたが大好きです」
二人は、抱き合った。
そして――。
ざあっ、と雨が降り出した。
「あっ……」
イーステンの体が、みるみる小さくなっていく。
「また……っ」
子供になったイーステンが涙目になり、悔しそうに拳を握りしめる。それが可愛くて、レイラは悶えた。
「わたくしの旦那様は、世界一かわ……愛くるしいですわね」
「姫。可愛いと仰っても構いませんよ」
拗ねたように言うイーステンが愛しくて、レイラは彼をぎゅうっと抱きしめた。
「わたくし、子供よりもあなたを愛でたい気分でいっぱいですわ」
一風変わった夫婦の夜は、今日もこうして過ぎていく……。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
読んでくださり、ありがとうございます!
11月5日には別作品『桜の嫁入り』が一二三書房文庫から発売予定です。
(https://hifumi.co.jp/lineup/9784824205322/)
もしよければ、そちらの作品も楽しんでくださると、とても嬉しいです。
読者の皆さまが楽しんでくださるおかげで、作者は活力をいただいています。
本当にありがとうございます。
今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます!
それは、雨が降ると子供になってしまう特異体質のことだ。
「また雨か……」
窓の外を見れば、しとしとと雨が降り始めている。
――まずい。今夜は妻と過ごす予定だったのに。
イーステンは頭を抱えた。
最近、レイラとの仲は順調だ。
お互いのことを少しずつ知り、共に過ごす時間を増やし、夫婦らしい関係を築いている。
それなのに。
「旦那様、お茶をお持ちいたしました」
使用人がノックをして入ってくる。
「ああ、ありがとう。……ところで、今夜の天気の見通しは?」
「一晩中雨が降り続くとのことです」
「……そうか」
使用人の言葉に、イーステンは深い溜息をついた。
――また、だ。
この前も、その前も。
良い雰囲気になったところで雨が降り、子供になってしまう。
そして、妻は――。
「まあ、可愛い!」
そう言って、子供になった自分を抱きしめる。
頭を撫でて、頬をつついて、楽しそうにイーステンを愛でて、大喜びだ。
「イーステン、小さくなると本当に可愛いですわね」
妻は心から楽しそうだ。
――悔しい。
イーステンは、それが堪らなく悔しかった。
自分は大人の男として妻を愛したいのに、子供扱いされてしまう。
社交界でも、雨の日は姿を見せられない。
「雨の日はいつも体調を崩される」と噂されているが、真実は言えない。
――この体質を、なんとかして治したい。
イーステンはそう決意し、高名な学者に相談することにした。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
レイラは、不思議に思っていた。
最近、イーステンが週に二度、決まって外出しているのだ。
「イーステンは、今日もお出かけですの?」
使用人に尋ねると、使用人は困ったような顔をした。
「はい、奥様。大切なご用事があるとのことで……」
「そう……」
レイラは、少し寂しくなった。
最近、夫婦の仲は良好だったはずなのに。
何か、隠し事をされているような気がする。
「奥様、実は……」
レイラ付きの使用人が、小声で囁いた。
「旦那様は、美しい女性と会っておられるとか」
「!」
レイラの心臓が、どくんと跳ねた。
「それは、本当ですの?」
「はい。目撃した者がおります。金髪の美しい女性だったとか」
レイラは、動揺した。
――まさか、浮気?
いや、そんなはずはない。
あれほど真剣に愛を誓ってくれたイーステンが。
レイラは決意した。
――後をつけてみましょう。
真実を確かめなければ、気が済まない。
イーステンが外出する日、レイラは密かに後を追った。
馬車に乗って向かった先は、とある屋敷だった。
イーステンは周囲を気にしながら中に入っていく。とても怪しい。
「ああ、ここは社交界でも美女と名高いアンネリーゼ博士の家でございます、奥様。なんということでしょう」
使用人が勢い込んで教えてくれる。
数々の学術論文を発表している才女なのだとか。
「そう、頭のいい方なのね。イーステンも知的な方ですものね。きっとお話が弾むのでしょうね」
「ああっ、奥様……! 笑顔が黒くなっておいでです……!」
「あなた、実はちょっと焚きつけて楽しんでないかしら……?」
レイラは使用人の心を見透かしつつ、夫を待った。
やがて夫は屋敷から出てくる。そこへ、馬車の車窓から顔を出して声をかけた。
「あ、な、た」
我ながら冷えた声だ。
「レ、レイラ……?」
イーステンは、心底驚いた顔をした。
「お乗りになって。迎えに参りましたのよ」
馬車の扉を開けて促すと、夫は従順に乗り込んで来た。
その手からぽろりと論文だか報告書だかの紙の束が落ちて、レイラはサッと手を伸ばす。
見ると、「特異体質の原因と治癒可能性について」というタイトルが書かれている。レイラは腑に落ちて「なるほど」と笑顔になった。
イーステンは、少し頬を赤らめた。
「レイラ姫。これは……つまり……こほん。あなたと睦み合っている時に、突然子供になってしまうのが、悔しくて堪らないので……」
「……まあ」
「姫は子供になった私を『可愛い』と言って、楽しそうに子供扱いします。私は、大人の男として、あなたを愛したいのに……」
可愛い。
レイラはふとそんな感情を夫に抱いた。
子供の姿の時でさえ「可愛いと言われるのはあまり嬉しくありません」と恥じらうのに、大人の姿の彼に「可愛い」なんて口に出しては言えないが。
イーステンの声は切なそうで、真剣だ。
けっして茶化してはいけない。彼にとっては重大な問題なのだ。
「……社交活動もしにくいですし……」
だめ。いけない。絶対に。我慢よ、我慢――
レイラは、しばらく黙っていた。
そして――
「ふふっ」
笑みがこぼれてしまった。
「姫?」
ああ、愛しい。
「ごめんなさい、イーステン。でも、あなたがそんなに悩んでいらしたなんて」
レイラは、涙を拭いながら笑った。
「私は、小さくなったあなたも大好きですわ。でも、大人のあなたも可愛……格好よくて、大好きです」
「姫……今、可愛いと仰りかけませんでしたか?」
「体質を治したいというお気持ちは、理解いたしました。でも、イーステンの子供姿が見れなくなってしまったら、寂しいと思いますの……」
レイラが言うと、イーステンは狭い馬車の中で身を寄せてきて、耳元で囁いた。
「……私の子供姿を愛でずとも、子供を作って可愛がればよろしいのでは?」
――まあ。
レイラは真っ赤になって、「それは、そうですわね」と呟いた。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
その夜。
二人は、久しぶりにゆっくりと語り合った。
「それにしても、レイラ姫。あなたが後をつけてくるとは思いませんでした」
「だって、心配だったんですもの」
「私を信じていなかったのですか?」
「信じていましたわ。でも、不安だったのです」
レイラは、正直に答えた。
「あなたのことが、大好きだからですわ」
その言葉に、イーステンの顔がぱっと明るくなった。
「私も、あなたが大好きです」
二人は、抱き合った。
そして――。
ざあっ、と雨が降り出した。
「あっ……」
イーステンの体が、みるみる小さくなっていく。
「また……っ」
子供になったイーステンが涙目になり、悔しそうに拳を握りしめる。それが可愛くて、レイラは悶えた。
「わたくしの旦那様は、世界一かわ……愛くるしいですわね」
「姫。可愛いと仰っても構いませんよ」
拗ねたように言うイーステンが愛しくて、レイラは彼をぎゅうっと抱きしめた。
「わたくし、子供よりもあなたを愛でたい気分でいっぱいですわ」
一風変わった夫婦の夜は、今日もこうして過ぎていく……。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
読んでくださり、ありがとうございます!
11月5日には別作品『桜の嫁入り』が一二三書房文庫から発売予定です。
(https://hifumi.co.jp/lineup/9784824205322/)
もしよければ、そちらの作品も楽しんでくださると、とても嬉しいです。
読者の皆さまが楽しんでくださるおかげで、作者は活力をいただいています。
本当にありがとうございます。
今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます!



