「先生、ダメだよ…」
「大丈夫。少しだけ…」
………………ん?
数学科準備室の扉の前。
いつものようにやって来たのだが…今日はどうやら雰囲気が違うようだ。
思わず体が固まってしまった。
部屋から漏れているこの会話は何?
そして、誰?
「先生…先生…」
「はるか…」
私の直感が、聞いてはいけないと警鐘を鳴らしている。
はるかって誰よ。
「……帰るか。大丈夫。私は何も聞いていない…」
ぎこちなくUターンをして、数学科準備室を後にする。
伊東かな。早川先生かな。
相手は…誰かな。
考えれば考えるほどドキドキしてきた。
早川先生だったらどうしよう…なんて。
そんなの、私だって早川先生のことを信用していないじゃない。
「あ、藤原さん!」
「…先生!」
いや、うん。早川先生な訳無いよね。
先生は職員室の方向から小走りで駆け寄ってくる。
少しでも疑ってしまった自分に嫌悪感を抱いた。
「すみません。補習を受けに来てくれていたのですよね。遅くなりました。…どこかへ行くのですか?」
「先生。実は…」
先程、数学科準備室から漏れていた声について説明した。
それで入らずにUターンしたと。
「なるほど…」
話を聞いた早川先生は小さく溜息をついて、頭を掻いた。
「伊東先生です。ちょっと指導をしてきます」
「…」
早川先生は小走りで数学科準備室の前まで行き、勢いよく扉を開けた。
「え、早川…」
「え、じゃありません。もう放課後ですよ?」
「…マジか」
「どれだけ集中していたのですか」
数学科準備室から伊東と早川先生の会話が聞こえる。
女性の声は…もう聞こえない。
「藤原さん。どうぞ」
「え、藤原いたの?」
早川先生に呼ばれて数学科準備室の中に入る。
中には伊東と早川先生しかいなかった。
「藤原さん。さっき聞いた会話、あれはDVDです。伊東先生は6限に授業が無い時、たまにここでAV見ているのです」
「ちょ、言うなよ!」
は? …AV? 学校で?
「先生と生徒の…AVってこと…?」
うわぁ…ドン引き。
引きすぎて、言葉が出て来ない。
「そんなAV、家で見なさいと前も言いましたよね」
「どこかのカップルがチュッチュしているのを見ると、抑えられなくなるんだよ。今日も生徒同士のカップルが裏庭でシてたし」
「それ見て興奮するのではなく指導しなさいよ。貴方、教師でしょう」
「健全な27歳だから。難しい」
「本当に有り得ません。仕事辞めたらどうですか」
「ここで藤原とイチャイチャしているお前よりはマシだと思うが?」
「マシな訳ないでしょう。AVなんて生徒に見られたら終わりです」
「お前も見られたら終わるだろ」
「僕は終わりません」
何か…えぇ…?
どうすればいいのか分からず体が硬直したまま動かない。
想定外の展開に頭が追い付かない。
鞄を持ったまま固まっていると、伊東がニヤニヤしながらこちらを向いた。
「…なぁ藤原。俺の相手する? 良くしてあげるよ」
………ん?
意味を理解するのに少し時間が掛かった。
そして考えている間に、早川先生が先に声を発した。
「は? 馬鹿言わないでください。それは藤原さんが僕の彼女でなくても言ってはいけない言葉ですよ。人として最低です」
俺の相手って、AVと同じことという意味だよね。
私を馬鹿にすることは治ったかと思っていたけど、そうでも無いみたい。
…本当に。
本当に…本当に大嫌い。
抑えきれない程の怒りの感情が湧いてくる。
「伊東先生、本気で嫌いです。絶対に、許さない」
そう言いながら涙が溢れてきた。
「…あ…」
「嫌い。大嫌い。最低。ゴミ。カス」
そう言い残して、私は数学科準備室を飛び出した。
「藤原さん!!」
早川先生には悪いけど…今日は帰らせてもらおう。
そもそも、学校でAV見ている教師がいるなんて事実。私にはそれが耐えられない。
「人のこと…馬鹿にしやがって…」
誰が見ているか分からないのに、走りながら泣いていた。