◯ラグジュアリーな外資系ホテルのスイートルームの寝室(土曜・朝)

モノトーンを基調としたモダンな家具で統一された室内。
キングサイズの大きなベッドの上、府玻芽依(ふわめい)は布団の中、下着姿で上半身を起こし、掛け布団を握りしめながら蒼白している。

府玻芽依:30歳。ダークブラウンのゆるくパーマのかかったセミロングヘア。吊り目というほどではないが、猫っぽい気の強そうな目をしている。下着は黒のレース。

芽(なんで!? ここどこ!? それに……)

芽依は恐る恐るという感じで右隣を見る。
黒い髪の裸の男性が寝ている後ろ姿がある。

芽「……比良坂(ひらさか)くん……?」

芽依がつぶやくと、気配を感じたように比良坂が目を覚まして、ゆっくりと上半身を起こし、気怠そうにあくびをする。

比良坂詠(ひらさかよみ):28歳。黒いサラッとした髪。センターパートの髪が、寝起きで乱れている。切れ長の目の、美形だがややキツめの顔立ち。

芽「……」

芽(下着の私と、裸の比良坂くん……待って待って、この状況はどう考えても)

言葉を発せない芽依。
そんな芽依を見て察した顔をする比良坂。

比「ああ、もしかして覚えてないんだ?」
芽「覚えてないって……何を」

比良坂はニヤッと悪そうに笑う。

比「ひどいなー。一緒にイくって約束してくれたのに」

芽依、〝イく〟というワードにさらに蒼白する。
芽(や、やっぱり……)

芽依、一夜の出来事を確信し、頭が真っ白になって言葉を失う。

◯(回想)印刷会社のオフィス・営業部(金曜・昼)

オフィスはガラス張りの自社ビル。【レイコーポレーション】と書いてある。
奥にそれぞれのデスクがある営業部のフロアの入り口付近のフリースペースで、芽依と後輩の女子社員・板谷小雪(いたやこゆき)が話している。

芽依の服装:デキる女系。グレーのジャケットにクルーネックのインナー、スカート。髪を一つにまとめている。
板谷の服装:27歳。ふんわりとしたブラウスにフレアスカート。ボブより少し長い、パーマのかかった明るめブラウンヘア。
秋頃の服装。二人とも首からIDカードを下げている。

芽「ジャパン生命さんのパンフレット、今日データの納期じゃなかった? 大丈夫なの?」

芽依の問いに板谷は慌ててスマホを取り出し、デザイン部に内線をかける。

板「え!? 今日データ納品ってお伝えしてませんでしたか? 確認して良かったです、急で申し訳ないですが……お願いします」
芽「伝わってなかったの? 納期の前日までには一度念押しで確認した方がいいよ。デザイン部だってヒマじゃないんだから」
板「はい……すみませんでした」
淡々と無表情で注意する芽依、しゅんとする板谷。

二人の様子を見ていた同僚の釜田真司(かまたしんじ)が間に入ってくる。
釜田:30歳、芽依の同期。ジャケットなしのネクタイありのサラリーマンスタイル。黒い短髪に、凛々しい眉のはっきりとした顔立ちをしている。体育会系。

釜「府玻〜怖いって」
釜田、ニヤついた表情で言う。
板「え……私、そんな風に思ってないです」
釜「いや、こいつ怖いでしょ? 結果的に誰も困ってないんだからいいじゃん」
芽(当たり前のこと言っただけなんですけど?)
芽依、呆れたように小さくため息をつく。
芽「あのさ——」

芽依が反論しかけたところで、被せるように声がする。
比「釜田さんこの資料のデータ、去年のでした」
後方、頭上を見る芽依。比良坂の無表情な顔。
比良坂の服装:ジャケットありの濃いめのスーツ。

釜「あ、悪い。すぐ新しいデータに差し替える」
比「これ、この間の別の資料の時も差し替えてもらったはずですよね。ミスの元なんで、原本データの場所、変えておいてもらえますか?」
淡々としながらも冷たく厳しい口調の比良坂。
釜「なんだよ(こえ)ーなー」
面倒そうな顔の釜田。
比「怖いのはこっちです。客先に迷惑かけるところだったんで」
冷たい表情の比良坂。反論できずにムッとする釜田。

比「それに、府玻さんの言ってたことも、何もおかしくなかったですよ」
芽依、「えっ」と少し驚いた表情を見せる。
比「今日はデザイナーが対応できたけど、当日依頼したら担当者が休みで対応できない可能性だってありますよね。前日までには確認しておいた方がいいって、当たり前じゃないですか? 板谷さんだってわかってるよね?」
板「はい。府玻さん、ありがとうございました!」
しおらしくお辞儀をして、板谷は席に戻って行く。
比「それに——」
冷たい目で釜田を見る比良坂。
比「同期にも後輩にも『こいつ』なんて言わない方がいいんじゃないですか、釜田さん」
釜「な、なんだようるせーな。資料直せばいいんだろ?」
釜田も気まずそうに席に戻って行く。

フリースペースで二人きりで立ち尽くす芽依と比良坂。
芽(助けてくれた……のか?)
芽「ありがとう」
比「べつに」
芽(いつものことながら、愛想悪っ)

◆芽依モノローグ
ここ、レイコーポレーションは本社支社などを合わせて社員数千名の、業界では中堅の印刷会社だ。
自社で印刷工場を抱えているため、雑誌のほか保険会社や学習塾のチラシ、パンフレットの印刷なども数多く請け負ってきた。
ここ最近はペーパーレス化の風潮の加速もあり、デザインやコンサルティングなど印刷以外の業務にも力を入れ、企業ロゴやコマーシャル動画を制作したり、企業のトータルブランディングなども行っている。
私はここの営業部に入社して八年目の30歳。

棒グラフで営業部社員の営業成績が表示されたパソコン画面。一番良い数値・比良坂詠、2番目の数値・府玻芽依。

芽(後輩に注意しただけで『怖い』って、すっかりお局様扱い。釜田くんなんて同期なのに)
自席に座ってパソコンの前でため息をつく芽依。
比「府玻さんて、今日の飲み会来ないんですよね」
芽依の左隣から比良坂が声をかける。芽依の隣の席が比良坂の席。
芽「飲み会って嫌いなの。比良坂くんだっていつも行かないじゃない。今日は行くの?」
比「幹事なんで」
面倒そうにため息をつく比良坂。
芽「あー幹事の当番面倒だよね。がんばってね。比良坂くんが行ったら女子が喜ぶんじゃない?」
芽(〝黒王子〟とかって騒がれてるもんね)
パソコンを見たまま適当に言う芽依。
比「府玻さん、今度飲みに行きません?」
比良坂、パソコン画面を見たまま。
芽「え?」
芽依、比良坂の誘いに驚く。(意外すぎる、という表情)
比「大事な話があるんです」
比良坂が芽依の方を見る。
芽(比良坂くんが私に大事な話? まさか告白……な、わけはなさそうだけど)
芽「何? 会社じゃ言えないこと?」
比「俺の仕事に関する相談で、会社じゃ言えないことです」
芽「トップ営業マンの比良坂くんに相談されるようなことないよ」
面倒で断ろうとする芽依。愛想笑いを浮かべる。
比「大事なことなんで」
比良坂は眼光鋭く芽依の目を見る。
五「府玻さーん。カノンの新しいポスターの件、打ち合わせお願いします」
二人の会話に被るように、営業部に隣接するミーティングルームの方から、芽依を呼ぶ声がする。声をかけたのはデザイナーの五蓋。遠景に五蓋が手を上げている。

五蓋一樹(ごがいいつき):40歳。デザイン部チーフデザイナー。パーマのかかったやや長い黒髪。黒いシャツにデニムのズボン。会社員らしくない雰囲気。
カノン:国産カメラの老舗メーカー。

比「カノンのポスターって五蓋さんが担当なんですね」
比良坂が声の方を見て言う。
比「デザイン部のチーフだけあって、あの人のデザインてお客さんのウケがいいですよね」
芽「そうね。いいもの作る人よね」
比「府玻さんが他人を褒めるなんてめずらしいですね」
意味深な表情で笑う比良坂。
芽依「そんなことないでしょ」とムッとしながら打ち合わせに向かう。

◯大衆居酒屋(夜)

ワイワイと賑やかな居酒屋の座敷席の片隅、芽依と比良坂は隣同士で座っている。

比「来ないって言ってませんでした?」
芽「たまたまヒマになったのよ。いいでしょべつに。会費だって払ったし」
芽依、バツが悪そう&不機嫌な表情。
比「べつにいいですけど、何飲みます?」
芽「ハイボール」
淡々として気にしていない様子の比良坂。芽依、テンション低く答える。

参加者二十数名の飲み会。乾杯と同時に唐揚げや焼き鳥、卵焼き、枝豆など、居酒屋の定番メニューがテーブルに並ぶ。

部「おーい比良坂〜」
奥の席の部長に呼ばれ比良坂は「めんどくせーな」とつぶやきながら移動する。

芽(次は日本酒にしようかな……)
芽依はしばらく隅の席で一人静かに酒を飲んでいた。ドリンクメニューを見ている。つまみは串から外した焼き鳥。ハイボールは現在三杯目。
そこに釜田がやって来る。
釜「めずらしいじゃん、府玻が参加するなんて」
芽「そう?」
芽依は明らかに面倒そうな顔をして、そっけない態度を取る。
釜「お前マジで可愛げないよなー」
芽「可愛げなんて生まれた時から持ってないし。いらないし」
ドリンクメニューを見続けている芽依。

飲み会開始から一時間経過。

釜「お前はまわりにもっと媚びないとさ〜。営業成績だって比良坂に抜かれちゃったわけだし? お前が比良坂の教育係だったのにな〜」
釜田はしつこく芽依に絡み続けている。(小さい文字でくどくどとした感じの吹き出し)
芽(うっとうしいな。やっぱり来なければ良かった)
芽依は赤ら顔で絡み続けてくる釜田にウンザリした顔で後悔のため息をつく。
荷物を手に取る。黒い革の女性っぽいビジネス向けバッグ。

引き戸を開けて居酒屋を出る芽依。少し肌寒い空気が身体にまとわりつくのを感じる。

◯路上

比「府玻さん」
少し歩いたところで、比良坂が芽依の後ろから声をかける。
比「帰るんですか?」
コクっと頷く芽依。
芽「私やっぱりこういうの合わないみたい」
比「ふーん、じゃあさ」
歩き出そうとする芽依の前に比良坂が回り込む。
比「二人で飲み直そうよ」

◯バーのカウンター

暗い店内にジャズが流れる落ち着いた雰囲気のバーのカウンター。二人の前には注文したウイスキーのグラスが置かれている。
比良坂が頬杖をつきながら芽依の方を見る。

比「付き合ってくれると思わなかった」
芽「たまたまそういう気分になっただけよ」
芽依は前を見ながらウイスキーを飲む。
比「今日の府玻さんは〝たまたま〟が多いな」
「フッ」と含みのある笑みを浮かべる比良坂。
芽「だいたい、比良坂くんこそ幹事のくせに抜けていいわけ?」
比「あんなの、会費だけ集めておけばあとは誰かが適当にやってくれますよ」
比良坂はウイスキーを飲む。
芽(……要領がいい)
芽「そういえば、大事な話があるんじゃなかった?」
比「まずは府玻さんのこと、聞いてもいいですか?」
芽「私のこと? あんまり好きじゃないのよね、自分のこと話すの」
比「今日は〝たまたま〟そういう気分になってもいいんじゃない? 簡単な質問だけです。好きな食べ物とか」
妖艶な雰囲気の笑顔を見せる比良坂。
「まあいいか」と少し酔った顔で絆される芽依。
芽「本当に好きな食べ物なんかに興味あるの? 比良坂くんが?」
比「ありますよ」
芽依は意外そうな顔をする。
芽「ウニかな。回らないお寿司だったら最高」
比「奢らせようとしてません?」
芽依、「フッ」と笑う。
比「じゃあ……最後の晩餐に食べたいものって決まってます?」
芽「最後の晩餐?」
比「そう。今死んじゃうとしたら、最後に何食べたい?」
芽「え? 今?」
頷く比良坂。
芽(こういうのって〝いつか〟を想像して考えるんじゃないの?)
芽「……なんだかんだ言って、母親の手料理かな。最近実家に帰ってないし」
芽依は不思議そうな顔をしながらもナッツをつまみながら本音で答える。
比「ふーん。なるほどね」
比良坂がグラスを傾ける。氷が「カラン」と音を立てる。
比「府玻さんて、今死んだら後悔するな、ってことある? やり残したこと、みたいな」
比良坂は無視して続ける。
芽「さっきから〝死ぬ〟ばっかり、何なのよ……後悔?」
比「そう。たとえば……恋人のこととか」

〝恋人〟のワードで、芽依の脳裏にある男性の姿が浮かぶ。
(顎より下の姿。顔は見えない)

芽「……いないわよ、恋人なんて。今死んで後悔するとしたらアンジュのコンペの件かな」

アンジュ:フラワーショップチェーン。芽依は現在、ブランディングに関するコンペ案件を抱えている。

芽「仕事人間なのよ、私。つまらないでしょ」
芽依はグビっとウイスキーを飲む。
比「つまらなくはないけど、全部が本音ってわけじゃ無さそうですね」
比良坂、妖しげに細めた目で微笑む。芽依、その顔を見てギクっとする。
比「でもそっか、やっぱり今死んだら後悔することあるよな」
グラスを見つめてつぶやく比良坂。

◯路上

芽依と比良坂はバーを出て帰ろうとしている。芽依がややフラついている。

比「府玻さん、結構飲んでたけど大丈夫? 送りましょうか?」
比良坂、高い身長を屈めて、芽依の顔を覗き込む。
芽「このぐらい全然ヘーキよ。酔ってない」
芽依は目が少しとろんとした赤い顔をしている。
比「今日はとくにかわいいね、府玻さん」
芽「えー?」
比良坂が芽依に聞こえないくらいの声で小さくつぶやく。酔った芽依が反応する。

比「ねえ府玻さん」
芽「んー?」

比「俺と天国、イキません?」
比良坂、芽依の目を見て言う。

芽依、しばらく比良坂の言葉が入ってこないという無言の間。
芽「は?」
芽(天国……? 何言ってんの? イく? イく……)
芽「あ、そう言う意味か。あはは、何その言い方。モテるくせに、ダサ」
性的な意味だと理解して、ケラケラという感じで笑う芽依。
芽「ふーん。自信あるんだ」
比「え?」
比良坂は怪訝そうな、少し戸惑ったような顔をする。
芽「いいよ。行く」
比「え? 本当に?」
芽「何よー誘っておいて。ほら、行こ」
上機嫌で比良坂の腕を引っ張って歩き出そうとする芽依。
比「待った待った。どこに?」
芽「どこって天国! あっちに行ったらラブホテル街でしょ? 手っ取り早いじゃない」
芽依、腕を伸ばして進行方向を指差す。若干呂律が回っていない。
比「なんか勘違いしてるな」
比良坂はため息交じりにつぶやく。芽依の顔を見る。
比「ま、いっか」
比良坂が芽依の肩を抱き寄せる。
比「府玻さんを安っぽいラブホなんかに連れて行くわけにいかないです」

◯外資系ラグジュアリーホテルのエレベーターの中

比良坂に連れられて、芽依は気づくと上っていくエレベーターの中にいた。
比良坂が芽依を見下ろす。

比「本当にいいんですか?」
芽「いいって言ってるじゃない。帰りたくなかったからちょうど良かった」
比「〝帰りたくない〟か。俺のこと利用したら高くつくよ」
比良坂がつぶやいた。

比良坂がカードキーをかざしてエレベーターの扉を開ける。
降りるとそこは、直接スイートルームの室内。冒頭と同じモノトーン基調のモダンな部屋。

芽「金曜のこの時間でよくこんな部屋とれたね」
タイミングだけではなく、料金的な面も心配になる芽依。
比「まあちょっとツテが……ってそんなことどうでもいいじゃん」
比良坂が芽依を抱き寄せて、顎をクイッと上げて唇を奪う。
芽「ん……っ」
◆芽依モノローグ
 ここに来た目的は一つしかない キスははじめからお互いの熱を絡める

比良坂の両手は芽依の頬に触れている。そのまま逃がさないという雰囲気で角度を変えてキスを繰り返す。なめらかな舌の動きは、芽依の身体の奥を疼かせる。
芽(頭……ボーッとしてきた)
比「かわいいな」
比良坂の瞳に芽依が映る。
その瞬間、自身の香水の匂いが芽依の鼻をつき、芽依は微かにハッとする。
※鼻に香水っぽいフワッとしたものがまとわりつく描写

男の声(芽依の頭の中)『悪い。今日は用事があるんだ』

芽「……待って」
芽依は彼の口を手で軽く押さえて止める。
比「何? やっぱりやめたくなった?」
首を横に振る芽依。
芽「シャワー浴びたい」
比「このままでいい。早く抱きたい」

芽依を壁にもたれ掛からせる比良坂。
比良坂の熱っぽい視線と「抱きたい」というストレートな言葉にドキッとする芽依。

芽「比良坂くんはそのままでいいから、待ってて」

比良坂の腕を退けて、浴室に向かおうとする芽依。

フラッとして、視界が暗くなる。芽依は比良坂の腕の中で意識を失う。
比良坂は「やれやれ」という表情でため息をつく。

比「ここでブラックアウトか」
意味深な表情でつぶやく。




(回想終了)


芽(ああ、そうだった。バーから出て、比良坂くんとホテルに……)
比「服は知らない間に府玻さんが自分で脱いだみたいですね」
芽「じゃ、じゃあ、してないんだ」
ホッとした表情の芽依。
比良坂がガバッと芽依を押し倒す。
比「昨夜はかなり積極的だったのに、その態度は傷つくな」
比良坂が芽依を見下ろして言う。
芽「ゆ、昨夜はなんていうか……どうかしてて、ごめんなさい」
眉を八の字にして焦って言い訳をしようとする芽依。
その表情を見て、比良坂は「フッ」と笑う。
比「本当にかわいいな、府玻さん」

比「死んじゃうなんてもったいないな」

芽「え?」
比良坂の口からの耳慣れない言葉に戸惑う芽依。
芽「死んじゃう……?」
意味がよくわからずにキョトンとした表情の芽依。
芽(どういう意味? 天国と同じ意味? 今からするってこと?)
比「あのさ、府玻さん。落ち着いて聞いて欲しいんだけど」
真剣な目と声色になる比良坂。
芽「え……? 何?」
比「死んじゃうんだよ、府玻さん。あと少しで」
芽「え?」
比良坂の言葉が全然頭に入ってこない芽依。

比「俺、府玻さんの死を見届ける死神なんだ」