響也くんに示されて顔をもたげる。
 開け放たれた生徒玄関のドア前にその姿を見つけた。

(隼人……)

 やっぱり、と率直(そっちょく)に思った。
 彼はわたしを待ち構えているようだ。

 出入口はそこしかない。
 このまま気付かれずに通り過ぎることが出来るだろうか。
 緊張から心臓が早鐘(はやがね)を打ち始める。

「行こう」

 響也くんの手がそっと背中に添えられた。
 わたしは彼とともに俯きながら昇降口へ入る。

「…………」

 視線を落としたまま隼人のそばを通り過ぎたとき、寿命が縮むような思いをした。

 彼が気付いたかどうか、直接は分からなかった。
 けれど、ひとまず声をかけられることはなかった。

(よかった……)

 安堵の息をつくと肩の力が抜け、指先の強張りがほどけていく。

 無事にやり過ごせたのだろうか。
 大丈夫だったかな、と強く気にかかってきてつい振り返った。

「!」

 呼吸が止まるかと思った。
 あろうことか隼人と目が合ってしまって。

 まずい、と慌てて前を向いたけれど、きっともう手遅れだ。
 さっと血の気が引き、強い喉の渇きを覚えた。

「ど、どうしよう」

 冷えきった声で小さく呟く。
 鼓動が痛いほど鳴り響いていた。

「……逃げようか」

 事態を察した響也くんが一拍置いて言うと、わたしの手首を掴んで歩を速めた。

「……っ」

 もう怖くて振り向くことすら出来ない。
 彼に手を引かれるがまま、ただひたすらついていく。

 頭の中が真っ白だった。
 何も考えられない。



     ◇



 気付けばいつの間にか、朝のしなやかな風に吹かれていた。
 屋上だ、と理解が及ぶと今になって息が切れ始める。

(ここは……)

 追われているとしたら逃げ道がないところだ。

 響也くんに連れられるがまま(ゆだ)ねてしまっていたけれど、ここへ来て大丈夫だっただろうか?

 何となく胸騒ぎが増幅(ぞうふく)する。
 す、と彼の手が離れた。

「……あいつ、しつこいなぁ」

 ため息混じりの声はいつになく不機嫌そうで、普段より少し低かった。

 その瞳は目の前を捉えているようだけれど、実際には何も映し出していないのだろう。
 苛立ちが凪いで、虚無へと変わる瞬間を見た。

 億劫(おっくう)そうにゆったり歩み出たかと思うと、くるりと軽やかに振り向く。

「ねぇ、こころは幸せ?」

「え……」

 困惑して眉根に力が込もった。
 唐突(とうとつ)な質問だ。何の脈絡(みゃくらく)もない、不自然な。

「おいで」

 微笑んだ彼に引き寄せられる。
 ぎゅ、と強く左手を握られた。

 そのまま迷いのない足取りで縁の方へ歩いていく。

「ち、ちょっと……待って」

 動揺から頬が引きつってしまう。
 その場に留まろうにも、引っ張られる力の方が強い。

 忘れていた狂気と危険な一面が脳裏(のうり)をちらついた。
 彼のこの感じ、まずい────。

「ここから飛び降りたら死ねるかな」

 息を呑む。ぞくりと背筋が冷えた。
 手遅れな危機感が訪れ、恐怖心から足がすくむ。

「ねぇ、どうかな? ふたりで永遠に一緒になるの」

 ぎゅうう、と繋いだ手にいっそう力が込められた。
 とても振りほどけない。

「い、たい。やだ、離して……!」

「こうやって手を繋いだまま飛び降りた僕たちの死体を見たらさ……あいつ、どんな顔するんだろうね?」