リビングのドアを開けると、途端にいいにおいが鼻をくすぐってきた。
ダイニングテーブルの上に皿が並んでいる。
香ばしい焼き目のついたグラタンやクリーミーなかぼちゃのスープ、どれも美味しそうだ。
けれど、胸の内にはびこる警戒心のせいで食欲なんてまるで湧いてこなかった。
「ほら、こっちおいで。座って」
彼に促され、逆らえずに椅子に腰を下ろす。
「遠慮しないで食べてね。口に合うといいんだけど」
「う、うん。いただきます」
曖昧に笑い返し、スプーンを手に取る。
それを料理へ伸ばしかけるけれど、届く前にぴたりと止まってしまう。
どうしても紅茶のことが頭をちらついて。
(また何か入ってるかも……)
そう思うと指先が強張り、つい手を引っ込めた。
「響也くんは……どうしたいの?」
訝しがられたり案じられたりする前に、先に口火を切る。
一拍置いて彼は答えた。
「それはもちろん、こころを守りたい」
少しの迷いも後ろ暗さも感じさせない、純真な眼差しをしていた。
それでいて覚悟を決めたような強さを秘めている。
「言ったよね。そのためだったら何だってする」
まっすぐで綺麗で完璧な答え。
なのにどこか不穏で気圧されてしまう。
「…………」
かた、とスプーンを置いた。
わたしは席を立つ。
「こころ?」
「……ごめん、ちょっとお手洗い借りるね」
誤魔化すように笑ってから廊下に出た。
(耐えられない)
脈打つ鼓動が痛いくらいで、胸に手を当てた。
金属バットを目にしてからずっと、喉元に刃を突きつけられているような緊張感を勝手に覚えていた。
張り詰めた空気で火傷しそうだった。
もう限界だ。わたしは足早に玄関ホールへ向かう。
そのままドアを開けて外へ出た。
逃げたことに気付いたら追ってくるかもしれない。
そう怯えながら、必死で夜の中を疾走した。
「はぁ……はぁ……」
息が切れて肺が熱い。
歩道橋にさしかかったところで足を止めた。
振り返っても星野くんが追ってきているような気配はない。
(……何なの? もう意味が分かんない)
今日の出来事が雪崩のように蘇ってきて、すっかり頭が混乱していた。
本物の恋人は味方で、偽物の……元彼の方は敵で。
必然的にわたしは、後者に命を狙われているのだと思っていた。
「違ったのかも……」
ふたりのことを思い返してみる。
わたしを必要以上に束縛して脅し、苛烈な本性を隠していた愛沢くん。
保健室で花瓶を投げつけてきたとき、わたしが怪我をしても不敵に笑っていた。
そして、いつだってわたしに寄り添って優しくしてくれた星野くん。
紅茶に薬を盛って軟禁紛いの行動に出ただけでなく、金属バットまで隠し持っていた。
“どちらか”じゃない。
もしかしたら────。
動機はともかく、ふたりともがわたしを殺そうとしているのかもしれなかった。