出てきたその名前に驚きつつも続きを待つ。
 けれど、彼女は不意に我に返ったようにそこで言葉を切った。

「……や、何でもない。ごめん、忘れて」

「えっ」

 何を言おうとしたのだろう。
 そんなところで止められたら余計に気になる。

 しかし小鳥ちゃんの口調は既に(よど)みなく、もう一度言いかける気はないということが明白だった。

 それでも食い下がろうとしたけれど、その前に担任の先生が来てホームルームが始まってしまった。

 一旦諦めて、そのまま1時間目の授業を受ける。

 ────休み時間を迎える頃には、聞き直そうとしていたことさえすっかり忘れてしまっていた。



 教科書とノートを閉じたとき、とん、と机の上に誰かの手が乗せられる。

 顔を上げると愛沢くんがいた。
 今朝のことがあってか、以前より苦手意識が薄れていることに気がつく。

「どうしたの?」

「んーん、別に。“あとで来る”って言っただろ」

 そのやり取りに気付いた小鳥ちゃんが席を立つ。
 愛沢くんに譲ったようだった。

「あ……」

 ありがたいような申し訳ないような気になり、引き止めるか(いな)か迷っているうちに行ってしまう。

 空けてくれた前の席に彼が腰を下ろした。

「……同じクラスだったらよかったのに」

 ぽつりと呟く愛沢くん。

「そしたら何かあってもすぐ駆けつけられる」

 目の届く範囲にいて欲しい、というのはやはりそういうことみたいだ。

「何もないよ、大丈夫」

 わたしは笑ってみせる。

「怪我したのだって事故みたいなものだし」

 偶然の流れだったけれど、いい機会が巡ってきた。

 わたしは(かま)をかけるつもりで、あえてそのことについて触れてみる。

「……事故?」

 愛沢くんは怪訝(けげん)そうに眉をひそめる。
 うまく食いついてくれた。

「あ、うん。歩道橋の階段から落ちたって────」

「あいつがそう言ったのか?」

 その表情が次第に曇り始める。
 怒りの色を濃くしていくのが見て取れた。

「そうじゃなくて、病院の先生が……」

 つい声の調子が弱々しくなる。
 あっさりと気を(くじ)かれた。

 転落する前から既に額を怪我していたことを伏せておき、彼から何か引き出せないか(ねば)ろうと思ったのに。

 愛沢くんの剣幕(けんまく)や態度に()され、それ以上の駆け引きをする気力が()げてしまった。

 わたしに対する怒りではないと分かっていても、わたしを通して星野くんに向けられる敵意が恐ろしかった。

「……ふーん、そっか」

 彼は、いや彼もまた、わたしの怪我はもう一方の仕業だと主張するつもりなのだ。
 すなわち星野くんのせいだと。

 この短いやり取りの中でそれだけは掴めた。

 だとすると、ここでその話を続けるのは危険さを(はら)んでいる気がした。

 感情的になりやすい愛沢くんの気持ちを(あお)り、目の(かたき)にしている星野くんを物理的に傷つけに行くかもしれない────。

 彼の中では悪者でしかない星野くんへの“報復”として。