支度を済ませたわたしは、鞄を手に玄関のドアを開けた。
その瞬間、視界に人影が飛び込んでくる。
「おはよ、こころ」
「は、隼人……」
いったい、いつからいたんだろう。
昨晩の夢がほのめかした不穏な可能性のせいで、心が怯んで引きつってしまう。
(待ち伏せされてた?)
わたしの内心を知ってか知らずか、彼は「行こうぜ」と手を引いて歩き出す。
自ずと身体が強張った。
もし暴力が愛沢くんの仕業で、彼が本物の恋人ならとんでもないことだ。
(……でも、じゃあ星野くんが偽物? ストーカー?)
愛沢くんを本物だと仮定するなら、星野くんのことはそう位置づけせざるを得ない。
優しげな微笑みと眼差しが頭に浮かぶ。
やっぱり、とてもそうは思えないけれど。
(だめだ)
項垂れるような思いで目を伏せた。
結局、彼らを信じきることも疑いきることもできないで、堂々巡りを繰り返しているだけのような気がする。
いまの段階では、あまりにも情報が少なくてほとんど心象でしかない。
その上で、結論を出すことを拒んでいるだけ。
「なあ、どんな感じ?」
「え?」
「記憶」
ああ、と思い至ると首を横に振る。
「……だめ。まだ全然思い出せない。この1年の間、自分が何を思ってどう生きてきたのか、手がかりすらなくて」
恋人を名乗る正反対のふたり、空っぽのスマホ、身体に残る不自然な痣や傷跡────。
知らない自分を追いかければ、いつか答えにたどり着けるのだろうか。
「そっか、まあ無理すんなよ。俺もそばにいるし、忘れてることは教えてやるから」
「……ありがとう」
そのすべてを信じられたら楽なのに、なんて苦く笑う。
────教室で繕うように彼と他愛もない話をしているうちに、本鈴が鳴った。
思わず息をつく。
何となく、愛沢くんといると気持ちが落ち着かない。
「じゃあ、俺戻るな。またあとで」
頷いて手を振り返したものの、その言葉は流れることなくわたしの心に引っかかった。
(……“あと”?)
図らずも苦い気持ちになる。
気の抜けない時間をまた強いられる羽目になりそうで。
果たして彼は授業が終わるごとにわたしの元へ来ては、毎回チャイムが鳴るまで戻ろうとしなかった。
片時も離れることなく、目の届く範囲に────それはもしかすると、こういう意味だったのかもしれない。
(こんなの……まるで、監視されてるみたい)
“見守る”なんて生易しい響きでは足りないような圧がある。



