鞄からポーチを取り出すと、その中からジップつきの小さな袋を手に取った。

 中身は白い粉。砕いた睡眠薬。
 以前使ったものの残りだ。

 隼人がこのまま大人しくわたしを解放してくれるとは思えない。
 だけど今日はこれ以上、一緒にいたくない。

(これを使ってうまく逃げ出そう)



 袖の内側に袋を隠し、リビングに入った。
 ソファーに腰を下ろしたとき、ちょうど隼人が現れる。

 彼の手にしたふたつのコップを窺う。
 どうやって隙を作るか、頭の中で素早くシミュレートしてみる。

「ありがとう」

 立ち上がってコップのひとつに手を伸ばした。
 けれど、わざと受け取り損ねて取り落とす。

「あ」

 鈍い音とともに床に叩きつけられたコップは、幸いにも割れることはなかった。
 でも中に入っていた水は、ほとんどすべてぶちまけられてしまっている。

「ごめん!」

「いいよ、気にしなくて。拭くもの持ってくる」

 彼の姿が再び廊下の方へ消える。
 うまくいった、と内心ほっとした。

 睡眠薬を仕込むなら今のうちだ。

 テーブルの上に残された、もう一方のコップに近づく。
 袋を開けて中身を流し込むと、さっと指で混ぜておいた。

「!」

 足音が戻ってきて、慌ててくしゃりと潰した袋をポケットにねじ込む。

 戸枠のところから彼が入ってくる。
 ぎりぎり間に合った。

「あ、わたしが……」

 その手にあったタオルを取ろうとするものの、ひらりと(かわ)される。

「俺やるよ」

「でもわたしのせいだから」

 この状況において彼の厚意(こうい)に甘えるという選択肢は、わたしにはない。
 当然、譲れなかった。

 隼人は足元の水溜まりとこちらを見比べ、仕方なくといった感じでタオルを差し出してくれる。

 こういうところだけは妙に男気があるというか優しくて、それを惜しまないのが彼だ。

 だから、こぼれた水のあと片付けは率先(そっせん)してやろうとしてくれるし、いつもさりげなく車道側を歩いてくれる。

「……ごめん、俺も頭冷やす」

 彼はテーブルの上に置かれていたコップを手に取り、ソファーに腰を下ろした。

 水溜まりの(かたわ)らに膝をつき、床にタオルを押し当てながら、わたしは油断なく様子を窺う。