◇



 玄関のドアが閉まる。
 その瞬間、がっと乱暴に髪を掴まれた。

「痛……!」

 どさ、と足元に鞄が落ちる。
 わたしはそのまま放られるように廊下の床に崩れ落ちた。

 (かたわ)らに屈んだ隼人が、怪我を負ったわたしの上腕を強く握り締める。

「う、ぁ……っ」

「あいつに切られたか何だか知らないけど、お前のせいでもあるだろ」

 ぎりぎりと締め上げられ、傷口が(うず)いた。
 歯を食いしばって耐えようとしても、悲鳴がこぼれてしまう。

「お前が勘違いさせてんだよ!」

 突き飛ばされて倒れ込んだ。
 怒声(どせい)が耳をつんざき、言葉に心を(えぐ)られる。

「……っ」

見境(みさかい)なく愛想振りまいてふらふらしてんじゃねぇよ。そんなだからあいつもつけ上がるんだろうが」

 容赦なく蹴られては踏みつけられる。
 鈍い痛みが内側まで響き、すぐに力が入らなくなった。

「……ん、ごめん……なさい」

 涙で何も見えない。
 痛みで何も考えられない。

 床にうずくまって、心を押し殺して、彼が本当の自分を取り戻してくれるまで待つことしか出来ない。



 ────ややあって静寂が訪れた。

 隼人の荒い息遣いとわたしの微弱(びじゃく)な呼吸、それしか聞こえない。

「……こころ……」

 毒気の抜けた彼の声がした。
 とさ、とそばに屈む。

 手が伸びてきて、びくりと怯んだ。
 けれど、覚悟した痛みは訪れない。

 頬にかかった髪を流してくれる。
 あまりに優しい手つきに、身体中の強張りが解けていく。

「ごめん……」

 それを聞いた瞬間、涙がこぼれ落ちた。
 彼は労るようにそっとわたしを起こして抱き締める。

 実際にダメージを負ったはずの腕や腹部や表面的なところより、心がちぎれるほど痛かった。

「ごめんな。お前のことが心配なだけだったのにさ、頭ん中ぐちゃぐちゃになって……」

 目を閉じると、涙が頬を伝い落ちていく。

 わたしはどうして泣いているんだろう。
 どうしてこんなに胸が痛いのだろう。

「本当ごめん」

 声が詰まって答えられなくて、代わりに何度も頷いた。

 ……こんなことの繰り返し。
 暴力的に怒りをぶつけては、ふと我に返って平謝り。

 だけど、こうやって抱き締められると、優しく微笑まれると、不思議と痛みがなくなってしまう。

 ぜんぶ溶かされて、感情が塗り替えられてしまう。

 “わたし、愛されてる”。
 “幸せ”って────その気持ちしかなくなる。