不意に背後から声をかけられて反射的に振り返った。
 隼人が歩み寄ってくる。

 まずい、と咄嗟に思った。
 ふたりが顔を合わせると、また────。

 そう慌てて前を向いたけれど、もうそこに響也くんはいなかった。

 あれ、と見回して、階段を上っていくその後ろ姿を見つけた。
 半ば呆然としてしまいながら思わず目で追いかける。

 彼の言葉は一滴のインクを垂らしたように、わたしの心に消えない染みを作った。

「何してんの?」

「あ、ううん。何も……」

 咄嗟に誤魔化したけれど、がっと手首を掴まれる。

「!」

「嘘ついてんじゃねぇよ」

 きっと話しているところを見られた。
 すぐにそう分かるくらい、(かも)し出す雰囲気が不機嫌そのものだ。

 ……こういう一面は結局変わっていない。
 こうなってしまうと、何を言っても届かない。

 わたしは強引に手を引かれるがままについて歩く。
 それ以外の選択肢がない。

(そうだ、忘れてた……)

 屋上で隼人が話してくれたことは嘘じゃないとしても、恐らくほんの表面部分に過ぎないのだ。

 “わたしを守るため”なんて、後づけでいくらでも言える。

 首を絞めたり痛めつけたり、そんなことを淡々とやってのける性分(しょうぶん)なのは事実。

 別れが受け入れられなかった、と言っていた。

 プライドの高い隼人が、わたしに振られたことを根に持って恨んでいたとしたら。

 愛憎ではなく、ただ憎しみだけを増長(ぞうちょう)させていたとしたら。

 たとえば、復讐のために味方のふりをしていたとしたら────。

「……っ」

 ずき、と手首が痛んだ。
 消えたはずの霧が再び立ち込め、視界を奪っていく。

(響也くんは……)

 彼もまたわたしを命の危機に晒したけれど、いつだって“一緒に”と強調していた。

 わたしを殺したいだけじゃなくて、わたしを殺して自分も一緒に死のうとしていた。言わば心中(、、)だ。

 確かに彼の家にはバットがあった。
 だけどわたしの頭を殴ったのは、本当に響也くんなのだろうか。

 何だか彼の動機がああなら、バットで殴るとか突き落とすとか、そういう一方的で乱暴なやり方が似合わない。
 というか、違和感が拭えない。

『……ねぇ、本当にこれでいいの?』

 染みたインクが広がって濃くなっていく────。

 本当に隼人を信じていいのだろうか。
 彼の手を取っていいの……?