季節はめぐり、高校卒業から2度目の初冬。
 去年、ジョーに発破をかけられ、自堕落なままではダメだと自分を奮い立たせた割に、特別なことというのは何もしてこなかった。
 単に、自分で自分の道を決め、愚直に、毎日欠かさず職業訓練校に通って、真剣に学んで、就活に励んだ…それだけのこと。
 ごくごく当たり前のことをしただけだが、去年の今頃の自分と比べたら、何もかもまるで違う。
 消去法で決めた仕事とはいえ、溶接工として、望みだった“モクモク作業”を毎日こなし、心地よい疲労を感じながら家路を辿る、充実した日々。
 ましてや、今日は給料日。
 今の時代でも、私の勤める会社では、給料は敢えて手渡しである。自力で稼いだお金を受け取るときの喜びは、小さい頃、お年玉を数えてニヤニヤしていた時以上のものだ。
 就職が決まった時、ジョーは自分のことのように喜んでくれた。
 初任給は両親のために使ったが、ジョーのためにも使いたい。今日は金曜ということもあるので、たまには私からジョーを飲みにでも誘ってみようか。
 ジョーの家に向かうと、彼のお母様は、
「香澄ちゃん、久しぶりね!社会人になったんですって?頑張ったのね…!ジョーから色々聞いてるわよ」
 昔と変わらない笑顔でそう言うが、色々聞いているとは?
 ジョーはまさか、何か妙なことを言ってやしないかと思ってしまった。
「母さん、変な言い方するなよな…」
 奥からジョーが出てきて苦笑いしていた。
「ごめんな、香澄。じゃあ、ちょっと行ってくる」
 繁華街までは徒歩圏内だ。ルンルン気分で少し先を歩く私に、
「香澄、一体何処に行くつもりなんだよ?」
「飲みに行かない?」
「あ…実は俺、下戸だとわかってさ…」
 少し恥ずかしそうにジョーが言う。
「そうなんだ?じゃあ、私が飲むから、ジョーは好きなだけ食べたらいいよ」
「香澄はまだ19だろ?あと少しなんだから、誕生日まで辛抱しなさい」
 相変わらずお堅いことを言うが、それもまたジョーのよさだろう。
「はいはい。あ!じゃあ、カラオケでも行く?」
「お、いいな。香澄とカラオケなんて、中学以来だし」
 カラオケに着くと、食べ物をジャンジャン頼み、ソフトドリンク飲み放題のフリータイムで、いっそオールしようか、ということに。
 久々に思い切り歌ったり、飲み食いしながらあれこれ喋ったりして、とても楽しい時を過ごしていた。
 時計を見ると0時を過ぎたところだったが、閉店時間は早朝5時なので、まだ時間はたっぷりある。
「あ、ソフトクリーム取りに行こうかな」
 私がそう言うと、
「じゃあ、俺も」
 二人してソフトクリームのあるドリンクバーへ向かう途中、通路の向こうからは、見覚えのある顔が。
「あらー?香澄じゃない?」
 その独特な口調を聞くと、さっきまであんなに楽しかったのに、一瞬にして不愉快になった。
「あゆみ…何でここに?」
「法事で帰省してるの。香澄こそ、こんなところで何してるのよ?あら、その人が次期社長の旦那様?はじめましてー!香澄の高校時代の友達の、あゆみでーす」
 ボンボンどころか、あまり裕福ではない上に、私の夫でもなければ、恋人ですらないジョーに、あゆみは1オクターブ高い声で話しかける。
 ジョーのルックスは割といいので、大の男好きのあゆみにしてみれば、媚びる対象になるということか。
「いや、俺はボンボンじゃないし、夫でもないんですけど」
 冷たい口調でジョーが返す。
 この再会のせいで、何もかも台無しだ…。
「えー?ちょっと!香澄ったら、新婚なのにまさか不倫でもしてるわけ?それってどうなのかなぁ?」
 …絶対に、あゆみはわかっているはずだ。
 私がボンボンと結婚すると嘘をついた時、あゆみは地元の子たちに散々聞き回っていたのだから、あれが嘘だったことは伝わっているだろう。
 ボンボンとの結婚など嘘だとわかっていて、わざとこんな言い方をするとは…。
 否、もとはと言えば、嘘をついた自分が悪いのだ。
 己の無様さはわかっていたが、
「彼は、地元の薬学部の学生。幼なじみなの。それに…私は結婚してない」 
 正直に伝えると、あゆみは大袈裟に、
「やだぁ、ボンボンと結婚するって嘘だったのぉ?それとも捨てられた?あっ、大学はどうしたのよ?」
「…大学には行ってない。就職したから」
「うっそぉー!じゃあ、高卒ってこと?あ、腰掛けOLしながらいい男探してるんだねー!」
 男好きなあんたと一緒にしないでくれ!そう怒鳴りたいのを堪えながら、
「腰掛けOLなんかじゃないよ。職業訓練校に通って、資格も取得してるし、おそらく定年まで勤め上げるつもり」
「イマドキ、定年までとかウケるんだけど。で?訓練までして、一体何してんのよ?」 
「溶接工」
「えっ、何?大手企業の受付嬢?」
「耳垢でも詰まってるの?溶接工がどうして大手企業の受付嬢に聞こえるのかね」
 すると、あゆみは、わざとらしく両手を口に当てながら、
「えーっ!?香澄ってば、溶接工なんかしてるの?O女子大目指してた人が?やだぁ、どこでどう人生間違えたらそうなるのかしら…悲惨ねー!」
 この女、ぶん殴ってやりたい…。
 沸々と怒りがこみ上げるものの、結局は去年、真夜中の自慢電話に苛立って、思わずついたつまらない嘘が、今になって自分の首を締めることになったのかと思うと、何も言えやしない。
「さっきから聞いてりゃ、あんたなぁ…」
 そんな低い声がして、思わず隣のジョーを見遣る。