夜十一時半。

私は家の湯船に浸かっていた。

「血祭くんか」

なんであんなこと、いってしまったんだろ……。

つい、つい。

出ちゃったんだぁ。

口から、ぽろっと。

だって、だってね。

ヴァンパイアが、献血ルームだよぉ。

陽斗くん、一瞬ギョッとしてたよね。

彼は、自分がヴァンパイアだってこと、私には隠しているのに。

でも。

でもね。

きっとアルバイト先に陽斗くんがいたら――。

「イケメンすぎて、献血ルームに女の子が行列をつくっちゃうよなぁ」

そしたら。

そしたら。

どこを見てもご馳走だらけで。

血が大好きな吸血鬼にすれば、血のカーニバル、まさに血祭り状態だよね。

私はヴァンパイアが献血ルームでせっせと働く姿を想像し、クスッと笑う。

そこで、ふと思った。

「血祭りって、そういう意味だったっけ?」

血祭り?

なんか、単語の使い方を間違えてるような……。

まあ、いっか。

私はこっそり陽斗くんのあだ名を考えた。

血祭くん。

これからは、彼を血祭くんと呼ぼう。

うふふ。

なんか、楽しいな。

「でもぉ」

私はそこでふと思う。

陽斗くん、私に会いにきた訳じゃなかったんだよなぁ。

急に神社に来るっていうから、私はてっきり――。

「あぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶっ」

そこで私は自己嫌悪に陥って、湯船に頭を沈める。

私、うぬぼれてたぁ。

私、ちょっと調子に乗ってたぁ。

ああ……恥ずかしいぃ。

そりゃ、そうだよぉ。

どうして私に会いに来るんだよ、学校イチの人気者、陽斗くんが。

今朝、いってたじゃないか。

猫が大好きだって。

三毛猫に会いにいくって。

おやつをあげにいきたいって。

それなのに。

それなのに。

「あぶぶぶっぶぶぶぶぶぶうぶ」

そこで、私は苦しくなって、湯船から一気に顔を出す。

「はぁはぁはぁ、はぁはぁはぁ」

陽斗くんが、私なんかに……。

「会いに来るわけないよなぁ」

わざわざ、バイト帰りに。

そんなこと、少し考えたらわかるよぉ。


                    ***


夜十一時四十分。

オレは家でお風呂に入っていた。

シャワーで汗を流し、頭と体を洗って、湯船に浸かる。

「――ふぅ」

肩までお湯に浸かると、思わず息が漏れた。

オレはずっと神宮寺さんのことを考えていた。

あんな時間に神社にいったこと、彼女はヘンに思っていないだろうか。

バイト帰りにわざわざ、神社で飼っている猫に会いに来たなんて。

どう考えてもおかしいよな。

「……やっぱりミスったかな」

オレはだんだん不安になる。

出来る事なら、時間を今日の朝にまで、巻き戻したかった。

もしもそれが叶うなら、オレは今朝、神宮寺さんの前には現れなかっただろう。

普通に終業式の帰りに、「カレー当番のことがあるから連絡先交換しない?」って、そういうだけに留めただろう。

強引に朝の通学を誘うことも、強引にラインを聞くことも、バイト帰りにいきなり神社に押し寄せることも、どれもしない。

夏休みがはじまって数日経ってから、実行に移すのだ。

八月十日の夏合宿に備え、ちょうどその一週間ほど前から、自然とコンタクトをとる。

何事もなかったように、「夏合宿の打ち合わせでもしない?」って、自然にラインを送って彼女に会うことにしていただろう。

「それなのに……」

あろうことかオレは、自分が描いた理想のシチュエーションと、まったく逆のことをやってしまっている。

押して押して、押しまくっている……。

これじゃあ、絶対に逆効果だ。

「なに焦ってんだろ……オレ」

なんかこのまま夏休みに入って、しばらく神宮司さんに会えなくなるんだって考えたら、居ても立っても居られなくなったんだ。

「いや、でもだからって――」

オレは頭まで湯に浸かる。

気持ちは、わかるけど……。

強引な男は絶対嫌われるよな。

焦りは禁物だってなんども自分にいい聞かせたのに。

神宮司さんは優しいから、無理してオレに合わせてくれたんだ。

きっと。

きっと、いや。

絶対そうだよ……。

「うっっ――うぶぶぶっ」

そこでオレは苦しくなって湯船から顔を出す。

「ぷはーっ、ゲホゲホ」

ああ、オレはバカだな。

こんなことなら、いっそ正直にいえばよかったかな。

猫に会いに来たなんて、うそをつくんじゃなくって。

キミに――。

神宮司さんに。

オレは神宮司さんに会いたくって、やって来たんだって。

バイト中も、ずっとキミのことが気になって仕方がなかったんだって。

そうしたら、オレは夏休みなんか、ちっとも怖くなかったかもしれない。

むしろ、予定が会う限り、神宮司さんと一緒に同じ時間を過ごせていたのかも。

「いや、それは出来過ぎか」

……所詮は、オレの勝手な妄想だ。

そんなに上手くいくわけないよな。

下手すれば今ごろ、オレは木っ端微塵に砕け散って、立ち直れないほど落ち込んでいたかもしれないんだ。

気持ちを正直に打ち明けたまではいいが、そのせいで彼女にキッパリとフラれて、オレはそのショックで帰りに自転車で事故っていたかもしれない。

大げさかもしれないが、そんな可能性だってあったんだ。

うん、そうだよ。

こうして、まだ家のお風呂に浸かっていられるだけ、オレは幸運なんだ。

首の皮一枚つながっているだけでも、オレは感謝すべきかもしれない。

「ああ」

神宮司さん。

どうしてキミのことを考えると、胸がチクッとするんだろうか。

他の女子のことを考えても、こんなふうに胸が痛くなることはないのに。

それに――。

キミと話をしようとすると、どうも調子が狂うんだ。

緊張して、思ったことの半分もいえなくなるんだ。

色んな女子と喋っていても、オレはまるで緊張なんてしないのに。

でも。

キミを前にすると、オレは、オレは――。

「ああ、ダメだぁ」

なんか、オレ、やらかしてるよな。

なんだろう、この喪失感は。

失点を取り戻さなくちゃって、気持ちばかりが焦ってしまう。

本当のところは、失点なんかしていないのかもしれないのに。

思い過ごしかもしれないのに。

でも、なにかしなきゃって。

ジッとしていたら、他の誰かに得点を挙げられてしまうって、そんなふうに気持ちが焦ってしまうんだ。

神宮寺さん。

この気持ちは、なんなんだろう。

この心の渇きを潤すみたいに、ずっとキミのことばかりを考えてしまう。


お風呂を上がった後すぐ、オレは脱衣所でオーランドさんにラインを送った。

『ちょっと相談があるんですけど』

パジャマに着替えると、すぐに返信が来た。

『恋の悩みかい?』

「えっ……」

オーランドさんから届いたメッセージを見て、オレは目をぱちくりさせる。

……どうして、みんなわかるんだろうか。

結衣さんにも、冗談っぽくいい当てられたよな。

恋の悩み? 顔に書いてあるよーって。

オレは化粧水をつけた顔を、洗面台の鏡でじーっと見つめてみる。

右に左にと首を曲げ、今度は顎を上げて自分の顔を観察してみた。

「やっぱり」

恋で悩んでいる――そんなことは顔のどこにも書いていなかった。

「……なんで、みんなわかるんだろう」

オレはなんだか顔が熱くなる。

なんか自分ひとりだけが、世界中から観察されているようなヘンな気分になった。

あるいは、自分ひとりだけが、素っ裸で世界を歩いているような複雑な気がした。

みんなからはオレが見えているが、オレからはなにも見えない。

それでいて、オレの秘密は世界に向けて大胆に公開されている。

「ああ、もうっ」

オレは両手で頬をぺちぺちと叩く。

このまま、カレー当番の買い出しに行くその日まで、じっとなんかしていられない。

オレは。

オレは。

すぐにでもまた、神宮司さんに会いにいきたい。

でも。

でも。

「慎重にならないと、少しは――色々とやらかしてしまってるんだ」

そう考えたオレは、心の底から信頼しているオーランドさんに、まずは相談してみることにした。