「お前、ずっと怒ってるだろ。だから教えてほしい」

 黒緋は正直に打ち明けた。
 分からないまま放置しては後々後悔するだろう。黒緋は後悔を知っている。
 だが。

「……。……怒ってません」

 鶯は困った顔で答えた。
 そんな鶯に黒緋は目を据わらせた。本心を見せてくれないことに苛立ちを覚えたのだ。

「まだ誤魔化すのか」
「っ、……ごめんなさい」

 鶯が少し(おび)えたように目を見張って、でも視線を落としてしまった。伏せたまつ毛がふるりと震えていて、黒緋はしまったと内心舌打ちをする。
 そんなつもりはなかったがさっきの声には苛立ちが混じっていた。それで怯えさせてしまうなど本末転倒だ。黒緋は鶯を遠ざけたいわけではなく知りたいのだ。そのすべてを。
 しかし黒緋はどうしていいか分からなかった。今までこんな気持ちになったことはないからだ。
 だがそうしている間にも鶯は思い詰めた顔で話しだす。

「……でも、本当に怒ってるわけじゃないんです。ただ、あなたにお願いが……」
「願い? なんだ、なんでも言え」

 黒緋は気負って聞いた。
 今まで鶯になにかを()われたことはない。それを叶えて機嫌が直るなら易いものだ。
 離宮が欲しいというなら望むものを建造させるし、この世に二つとない宝玉を欲するなら望むままに贈りたい。
 そんな(はや)る黒緋に鶯は伊勢の山々を見つめる。そして。

「では一つ」

 鶯はそう言うととある方角の山間(やまあい)を指差した。
 木々の合間に大きな屋根が見える。

「あそこに見えるのが斎宮の本殿です。本殿を囲むようにして幾つもの離れがあります。本殿には神事の()や斎王の居室があって、離れには巫女や白拍子の稽古場があります。離れではたくさんの白拍子や巫女が暮らしていて、生まれながらに才ある者は子どものうちに斎宮にあがります」

 鶯は淡々と斎宮の説明をした。
 黒緋は訳が分からない。鶯の願いを聞きたいというのに、斎宮を遠目に見せられるばかりなのだ。

「そうか。それで願いとはなんだ。お前はなにが欲しい」
「欲しいものはありません。ただ、あなたにはここからの眺めで我慢してほしいのです」
「どういう意味だ?」
「……斎宮にはたくさんの女人が暮らしています。なかにはあなたが心惹かれるような美しい者もいるでしょう。あなたが興味を引かれるような気立てのよい者もいるでしょう。……あなたは案内してほしいと言いましたが、私はどうしても案内したくありません。だからここで我慢してほしく……。……ごめんなさい、我儘を言っています」

 そう言った鶯は申し訳なさそうに小さく笑った。
 黒緋は愕然とした。鶯の笑みにはどこか諦めめいたものが宿っていたのだ。
 その意味に、怒りとも情けなさとも言えない複雑な感情がこみ上げる。