「小池さん、ちょっといいかしら?」
陽子の後ろで一緒に話を聞こうとしていた明日香は、背後から呼ばれて振り返る。
「はい、なんでしょうか?」
黒髪をシニヨンにまとめ、眼鏡をかけたブラックのスーツ姿の女性が立っていた。
(あれ?この方、どなただっけ?)
先程、助監督には紹介されていなかったその女性は、明日香の前に立つと早口で一気にまくし立てた。
「私、女優の高見沙奈のマネージャーをしている堤です。本来ならこの映画の現場に高見は専属のスタイリストを連れて行くはずでしたが、監督から直々に『衣装はオフィス クリスタルに一任する』とお話があり、断念せざるを得ませんでした。そこで、高見の衣装をお任せするあなた方にこちらをお渡ししておきます。高見のスタイリングには、この点を充分踏まえてください」
「…は?」
事態が呑み込めない明日香に、堤は書類を差し出す。
目を通すと『高見 沙奈のスタイリングに関して』と、いくつもの項目が書かれていた。
(トップスは鎖骨が見えるもの。タートルネックや丸襟は不可。ひと粒ダイヤのネックレスが映えるように。衣装の色は、ピンク、オレンジなどの暖色系、もしくはベージュで。スカートは膝丈か膝上。スニーカーやジーンズはNG。パンプスのヒールは最低でも5cm…って、なにこれ?!)
明日香が呆気に取られていると、堤は同じ書類をもう一枚差し出した。
「内容を確認したらこちらにサインを」
明日香はハッとして顔を上げる。
「いいえ、それは出来かねます。このような大事な内容を、監督や事務所を通さずに私の一存で容認する訳にはまいりません」
「は?あなたに容認してなんて頼んでないわ。これは決定事項なの。この通りに従ってください」
「ですから、それは…」
すると明日香をかばうように、サッと誰かが堤の前に立ちふさがった。
「失礼。うちのスタッフに何か?」
(陽子さん!)
ホッとする明日香の手から書類を取ると、陽子は素早く目を通す。
「これは既に監督にも?」
「え、いいえ…」
堤は途端に気弱な態度になる。
「つまり、こんな無茶な内容を監督に見せたら即座に却下されるから、裏でスタイリストに手を回しておこうと?それもまだ若い明日香一人を捕まえて、半ば脅すみたいに契約書にサインさせるなんて悪徳商売みたいじゃない。あなたもおばちゃんならおばちゃん同士、私に声かけなさいよ」
「おばっ…」
堤は顔を真っ赤にして言葉を失っている。
「とにかくこれは受け取れません」
陽子が書類を返すと、堤は、あの、えっと、とうろたえる。
「まだ何か?」
「あ、いえ。失礼します」
ついに力尽きたように、堤は陽子に背を向けて去っていった。
「陽子さん、ありがとうございました。助かりました」
明日香が礼を言うと、陽子はため息をついて腕を組む。
「まったく。いくら自分の担当の子を売り出したいからって、やり過ぎよね。まあ、瞬の相手役に抜擢されたんだもの。このチャンスを逃すものかって気持ちは分かるけど。高見 沙奈ってまだ新人だけど清純なイメージなんだから、こんなやり方はやめた方が賢明よね」
冷静な陽子の言葉は、明日香の気持ちを落ち着かせる。
「陽子さん、本当にありがとうございました。私、雰囲気に圧倒されて、どう返事していいか分からなくて…」
「そりゃそうよね。図太さなら私に任せなさい。経験値が高いのだけが、おばちゃんの強みよ」
「そんな。陽子さんは私の憧れの綺麗なお姉さんです」
「あら!そんなこと言ってくれるの、明日香だけよー」
「わっ」
陽子に抱きつかれて、明日香は思わず仰け反る。
「あー、私、愛に飢えてるわ。明日香、私も明日香が大好きよ」
「ちょっと、陽子さん。また勘違いされちゃうから…」
会議室にいるスタッフに遠目にヒソヒソとささやかれ、明日香は苦笑いでお辞儀した。
陽子の後ろで一緒に話を聞こうとしていた明日香は、背後から呼ばれて振り返る。
「はい、なんでしょうか?」
黒髪をシニヨンにまとめ、眼鏡をかけたブラックのスーツ姿の女性が立っていた。
(あれ?この方、どなただっけ?)
先程、助監督には紹介されていなかったその女性は、明日香の前に立つと早口で一気にまくし立てた。
「私、女優の高見沙奈のマネージャーをしている堤です。本来ならこの映画の現場に高見は専属のスタイリストを連れて行くはずでしたが、監督から直々に『衣装はオフィス クリスタルに一任する』とお話があり、断念せざるを得ませんでした。そこで、高見の衣装をお任せするあなた方にこちらをお渡ししておきます。高見のスタイリングには、この点を充分踏まえてください」
「…は?」
事態が呑み込めない明日香に、堤は書類を差し出す。
目を通すと『高見 沙奈のスタイリングに関して』と、いくつもの項目が書かれていた。
(トップスは鎖骨が見えるもの。タートルネックや丸襟は不可。ひと粒ダイヤのネックレスが映えるように。衣装の色は、ピンク、オレンジなどの暖色系、もしくはベージュで。スカートは膝丈か膝上。スニーカーやジーンズはNG。パンプスのヒールは最低でも5cm…って、なにこれ?!)
明日香が呆気に取られていると、堤は同じ書類をもう一枚差し出した。
「内容を確認したらこちらにサインを」
明日香はハッとして顔を上げる。
「いいえ、それは出来かねます。このような大事な内容を、監督や事務所を通さずに私の一存で容認する訳にはまいりません」
「は?あなたに容認してなんて頼んでないわ。これは決定事項なの。この通りに従ってください」
「ですから、それは…」
すると明日香をかばうように、サッと誰かが堤の前に立ちふさがった。
「失礼。うちのスタッフに何か?」
(陽子さん!)
ホッとする明日香の手から書類を取ると、陽子は素早く目を通す。
「これは既に監督にも?」
「え、いいえ…」
堤は途端に気弱な態度になる。
「つまり、こんな無茶な内容を監督に見せたら即座に却下されるから、裏でスタイリストに手を回しておこうと?それもまだ若い明日香一人を捕まえて、半ば脅すみたいに契約書にサインさせるなんて悪徳商売みたいじゃない。あなたもおばちゃんならおばちゃん同士、私に声かけなさいよ」
「おばっ…」
堤は顔を真っ赤にして言葉を失っている。
「とにかくこれは受け取れません」
陽子が書類を返すと、堤は、あの、えっと、とうろたえる。
「まだ何か?」
「あ、いえ。失礼します」
ついに力尽きたように、堤は陽子に背を向けて去っていった。
「陽子さん、ありがとうございました。助かりました」
明日香が礼を言うと、陽子はため息をついて腕を組む。
「まったく。いくら自分の担当の子を売り出したいからって、やり過ぎよね。まあ、瞬の相手役に抜擢されたんだもの。このチャンスを逃すものかって気持ちは分かるけど。高見 沙奈ってまだ新人だけど清純なイメージなんだから、こんなやり方はやめた方が賢明よね」
冷静な陽子の言葉は、明日香の気持ちを落ち着かせる。
「陽子さん、本当にありがとうございました。私、雰囲気に圧倒されて、どう返事していいか分からなくて…」
「そりゃそうよね。図太さなら私に任せなさい。経験値が高いのだけが、おばちゃんの強みよ」
「そんな。陽子さんは私の憧れの綺麗なお姉さんです」
「あら!そんなこと言ってくれるの、明日香だけよー」
「わっ」
陽子に抱きつかれて、明日香は思わず仰け反る。
「あー、私、愛に飢えてるわ。明日香、私も明日香が大好きよ」
「ちょっと、陽子さん。また勘違いされちゃうから…」
会議室にいるスタッフに遠目にヒソヒソとささやかれ、明日香は苦笑いでお辞儀した。



