「嫌では、決してありません…ただ、慣れなくて緊張するだけです…。」
「そうか。莉子は無防備でいつも心配になる。それが俺にだけなら良いが…。」
後ろから両手をぎゅっと握られて、逃げ出しようがない体制だけど、不思議と彼を怖いとは思わない。
東雲の嫡男に抱き付かれた時は、ただ怖いとしか思わなかったのに…。
「司さんは…旦那様になる方ですから…本当はもっと慣れなければいけないのですよね。」
誰かに触れられる事に免疫が無いから緊張してしまうんだと、莉子は思う。
「俺以外に触れさせるな、莉子は俺のだ。」
「…では…司さんは…私のもの?」
「そうだ。だから俺の前では、怒っても泣いてもいいんだ。感情をもっと曝け出せ。遠慮は無しだ。」
「司さんも…です。」
「そうだな。」
司はフッと笑って莉子をまた抱きしめる。
気付けばあんなに震えていた身体はポカポカで、おまけに心まで暖かくなる。
ボーンボーン
柱時計が12時を指す。
「…服を着替えて、お昼を作ります。」
もうそんな時間か…
司はこのまま離したくはないと名残惜しさを感じながら、嫌がられる前に離さなければと意を決して手を離す。
莉子は既に昼食の事で頭が一杯で、持てるだけ持って帰って来た食材を見つめ献立を考える。
「簡単なもので良いですか?」
「莉子が作るものなら、塩握りだってなんだって美味いはずだ。」
そう司から期待の眼差しで見つめられると少し心配になる。
今からお米を炊くには時間がかかるし、ある物も限られる。
莉子はとりあえず着替える為に二階の部屋に向かう。
素早く着物に着替え、司も薄着のままでは寒いだろうと、厚手の着流しを持って暖炉のある応接間に戻る。
しかし、そこに司はいなくて食材もない。
運んでくれたのかもしれないと急いで台所に向かう。
すると、そこに食材を片付けている司がいてホッとする。
さすがに寒かったのか上に半纏を着込んでいた。
「先にお風呂を沸かしましょうか?」
そう聞くのに、大丈夫だと言う司に厚手の着流しを着てもらい少し安堵する。
莉子はさっそく食事の支度にかかる。
とりあえず、先程買って来た乾麺を茹でようと湯を沸かす。そして菜葉を洗い素早く茹でて、同時に葉ネギとお揚げを刻む。
洋風の台所は東雲家で慣れているので問題ないが、なぜか先程から壁にもたれかかったまま、司がこちらをじっと見つめてくるから緊張してしまう。
「お茶をどうぞ。」
台所の片隅に置いてあるイスを持って来て、とりあえず司に座ってもらう。
「ここは寒くないですか?応接間で寛いでいて下さい。」
と、司に提案してみるのだが、
「貴重な休日なんだ。出来るだけ莉子を見ていたい。」
と言われてしまう。
「全然…楽しくないと思います…。」
「そんな事ない。手際が良くて動きに隙が無いと思って感心していたんだ。普段はフワッとしてるの、仕事となるとたちまち機敏になるんだな。」
興味深そうにそう言って、この場から動く気配はない。
莉子さ仕方なしにまた調理に戻る。
鰹節と煮干しで出汁をとった後、醤油とみりんなどの調味料で汁を作る。
ちょうど良いタイミングで茹で上がった乾麺を入れ、茹でた菜葉と油揚げを乗せて、最後に汁の中で卵をとじてうどんに注ぐ。最後に切り刻んだ葉ネギを乗せて完成だ。
「完成しました。」
卵かけうどんが出来上がってお盆に2人分を乗せる。
「どちらで頂きますか?」
食堂で食べた方がいいだろうかと思い司に聞いてみる。
「暖かい応接間でいい。」
司は素早くお盆を持って歩き出す。
「昨日も言ったが、2人の時は作法とか、こうあるべきだと言う概念は気にしなくて良い。食べたい時に食べたい場所で食べれば良い。」
ソファに座り低めの机にうどんを並べる。
流石に熱々のどんぶりを持って食べる訳にも行かず、莉子は考えた末、絨毯の上に膝掛けを敷きその上に正座して食べる事にする。
それを物珍しい目で見てから、司はどんぶりを片手に持ってソファに座り食べ始める。
こんな風に無作法で良いのだろうか…と一瞬よぎるが司が良いと言うのだ。
他に咎める者は誰もいない。
「さすがに育ちが出るな。莉子は楽にする事を知らないようだ。」
笑いながらそう言う司を見つめ、無作法を後ろめたく思うのは、確かにそう育てられた環境のせいかもしれないなと納得する。
「司さんだって…立派な会社の跡取りです。」
「きっとこれから先、商人の方が生きやすい時代が来る。例え莉子が伯爵令嬢じゃなくなっても、胸を張って生きられる時代がやって来る筈だ。」
司の突然の話しに首を傾げながら、
「商人でも平民でも皆同じ人です。
私はとうに身分は捨てたものだと思っていましたから、特に気にしていません。」
「それならば…明日、市役所に行って住所変更をする手間があるから、ついでに婚姻届も出して来よう。」
さり気なく司が言うから聞き逃しそうになる。
「婚姻届…?」
「俺と莉子が夫婦になる書類だ。
昨日話しただろ?早いに越した事は無い。」
焦っては事を仕損じる。そう思うのに、莉子との事になるといつだって冷静さを欠いてしまう自分がいる。
司は、自分自身に落ち着けと心に唱える。
「わ、分かりました…よろしくお願いします。」
うどんを食べるのをやめて、莉子は箸を置いて頭を下げる。
「莉子も一緒に行くんだぞ。後は、天気が回復する事を祈るだけだな。」
言いたい事は言ったとばかり司は安堵して、再びうどんを美味しそうに完食してソファに寝転がる。
「食べてすぐ寝転がるのは牛になってしまいますよ。」
莉子は微笑みながら、良く祖母に言われた言葉を何気無く言う。
「久しぶりに聞いたな。子供の頃、千代が口癖のように言っていた。莉子に咎められるのは何故だか心地が良い。」
司は起き上がる事も無く、目を閉じてしまう。
本気で寝てしまうようだ。
この家の主人は司であるから、これ以上は何も言えない。莉子は先程司が掛けてくれた毛布を持って司に掛けてあげる。
「莉子は優し過ぎる。鬼のように怒るところも見てみたいな。」
そこまで怒った記憶は莉子でさえも思い出せないくらいだから、多分怒れないだろうなと微笑みながら、目を閉じてしまった司の顔をそっと覗く。
それにしても整った綺麗な顔だなとしばらく見つめてしまう。
お肌もきめ細かくてサラサラしてそう…
少しだけ好奇心が顔を出し、触ってみたいと思ってしまう。
司さんは私のもの…本当にそうかしら?と思うけど…その言葉に勇気をもらって、莉子はちょっとずつ司に近付く。
本当に寝てしまったのだろうか?
規則正しい寝息を聞きながら、思い切って人差し指で頬にそっと触れてみる。
男の人なんだな。と、その感触に自分と違うものを感じて実感する。
すると、急に腕を引っ張られて危うく額がくっ付きそうになって慌てる。
「なんだ…?イタズラでもしようと思ったのか?」
悪戯っ子の顔をした司が莉子を引き寄せて、ソファの上でぎゅっと抱きしめて離さない。
「そっちから近付いて来たんだからな。一緒に牛になる覚悟が出来たんだろう?」
そう言って毛布まで莉子に掛けてまた目を閉じてしまう。
莉子はと言うと、抱きしめられたまま身動きも取れず固まって、司の胸の鼓動をしばらく聞いていた。
始めはこの状態にドキドキハラハラしていた莉子だが、規則正しい司の心臓の音を聞いているうちに、今日はこんな天気だし、誰も訪れる事も出来ないだろうと、いつしか心が凪になる。
広い屋敷に2人っきり。
少しグタグタ休んだとしても誰もお咎めないのだから、そう思っているうちに莉子もいつしか意識を手放してしまっていた。
「そうか。莉子は無防備でいつも心配になる。それが俺にだけなら良いが…。」
後ろから両手をぎゅっと握られて、逃げ出しようがない体制だけど、不思議と彼を怖いとは思わない。
東雲の嫡男に抱き付かれた時は、ただ怖いとしか思わなかったのに…。
「司さんは…旦那様になる方ですから…本当はもっと慣れなければいけないのですよね。」
誰かに触れられる事に免疫が無いから緊張してしまうんだと、莉子は思う。
「俺以外に触れさせるな、莉子は俺のだ。」
「…では…司さんは…私のもの?」
「そうだ。だから俺の前では、怒っても泣いてもいいんだ。感情をもっと曝け出せ。遠慮は無しだ。」
「司さんも…です。」
「そうだな。」
司はフッと笑って莉子をまた抱きしめる。
気付けばあんなに震えていた身体はポカポカで、おまけに心まで暖かくなる。
ボーンボーン
柱時計が12時を指す。
「…服を着替えて、お昼を作ります。」
もうそんな時間か…
司はこのまま離したくはないと名残惜しさを感じながら、嫌がられる前に離さなければと意を決して手を離す。
莉子は既に昼食の事で頭が一杯で、持てるだけ持って帰って来た食材を見つめ献立を考える。
「簡単なもので良いですか?」
「莉子が作るものなら、塩握りだってなんだって美味いはずだ。」
そう司から期待の眼差しで見つめられると少し心配になる。
今からお米を炊くには時間がかかるし、ある物も限られる。
莉子はとりあえず着替える為に二階の部屋に向かう。
素早く着物に着替え、司も薄着のままでは寒いだろうと、厚手の着流しを持って暖炉のある応接間に戻る。
しかし、そこに司はいなくて食材もない。
運んでくれたのかもしれないと急いで台所に向かう。
すると、そこに食材を片付けている司がいてホッとする。
さすがに寒かったのか上に半纏を着込んでいた。
「先にお風呂を沸かしましょうか?」
そう聞くのに、大丈夫だと言う司に厚手の着流しを着てもらい少し安堵する。
莉子はさっそく食事の支度にかかる。
とりあえず、先程買って来た乾麺を茹でようと湯を沸かす。そして菜葉を洗い素早く茹でて、同時に葉ネギとお揚げを刻む。
洋風の台所は東雲家で慣れているので問題ないが、なぜか先程から壁にもたれかかったまま、司がこちらをじっと見つめてくるから緊張してしまう。
「お茶をどうぞ。」
台所の片隅に置いてあるイスを持って来て、とりあえず司に座ってもらう。
「ここは寒くないですか?応接間で寛いでいて下さい。」
と、司に提案してみるのだが、
「貴重な休日なんだ。出来るだけ莉子を見ていたい。」
と言われてしまう。
「全然…楽しくないと思います…。」
「そんな事ない。手際が良くて動きに隙が無いと思って感心していたんだ。普段はフワッとしてるの、仕事となるとたちまち機敏になるんだな。」
興味深そうにそう言って、この場から動く気配はない。
莉子さ仕方なしにまた調理に戻る。
鰹節と煮干しで出汁をとった後、醤油とみりんなどの調味料で汁を作る。
ちょうど良いタイミングで茹で上がった乾麺を入れ、茹でた菜葉と油揚げを乗せて、最後に汁の中で卵をとじてうどんに注ぐ。最後に切り刻んだ葉ネギを乗せて完成だ。
「完成しました。」
卵かけうどんが出来上がってお盆に2人分を乗せる。
「どちらで頂きますか?」
食堂で食べた方がいいだろうかと思い司に聞いてみる。
「暖かい応接間でいい。」
司は素早くお盆を持って歩き出す。
「昨日も言ったが、2人の時は作法とか、こうあるべきだと言う概念は気にしなくて良い。食べたい時に食べたい場所で食べれば良い。」
ソファに座り低めの机にうどんを並べる。
流石に熱々のどんぶりを持って食べる訳にも行かず、莉子は考えた末、絨毯の上に膝掛けを敷きその上に正座して食べる事にする。
それを物珍しい目で見てから、司はどんぶりを片手に持ってソファに座り食べ始める。
こんな風に無作法で良いのだろうか…と一瞬よぎるが司が良いと言うのだ。
他に咎める者は誰もいない。
「さすがに育ちが出るな。莉子は楽にする事を知らないようだ。」
笑いながらそう言う司を見つめ、無作法を後ろめたく思うのは、確かにそう育てられた環境のせいかもしれないなと納得する。
「司さんだって…立派な会社の跡取りです。」
「きっとこれから先、商人の方が生きやすい時代が来る。例え莉子が伯爵令嬢じゃなくなっても、胸を張って生きられる時代がやって来る筈だ。」
司の突然の話しに首を傾げながら、
「商人でも平民でも皆同じ人です。
私はとうに身分は捨てたものだと思っていましたから、特に気にしていません。」
「それならば…明日、市役所に行って住所変更をする手間があるから、ついでに婚姻届も出して来よう。」
さり気なく司が言うから聞き逃しそうになる。
「婚姻届…?」
「俺と莉子が夫婦になる書類だ。
昨日話しただろ?早いに越した事は無い。」
焦っては事を仕損じる。そう思うのに、莉子との事になるといつだって冷静さを欠いてしまう自分がいる。
司は、自分自身に落ち着けと心に唱える。
「わ、分かりました…よろしくお願いします。」
うどんを食べるのをやめて、莉子は箸を置いて頭を下げる。
「莉子も一緒に行くんだぞ。後は、天気が回復する事を祈るだけだな。」
言いたい事は言ったとばかり司は安堵して、再びうどんを美味しそうに完食してソファに寝転がる。
「食べてすぐ寝転がるのは牛になってしまいますよ。」
莉子は微笑みながら、良く祖母に言われた言葉を何気無く言う。
「久しぶりに聞いたな。子供の頃、千代が口癖のように言っていた。莉子に咎められるのは何故だか心地が良い。」
司は起き上がる事も無く、目を閉じてしまう。
本気で寝てしまうようだ。
この家の主人は司であるから、これ以上は何も言えない。莉子は先程司が掛けてくれた毛布を持って司に掛けてあげる。
「莉子は優し過ぎる。鬼のように怒るところも見てみたいな。」
そこまで怒った記憶は莉子でさえも思い出せないくらいだから、多分怒れないだろうなと微笑みながら、目を閉じてしまった司の顔をそっと覗く。
それにしても整った綺麗な顔だなとしばらく見つめてしまう。
お肌もきめ細かくてサラサラしてそう…
少しだけ好奇心が顔を出し、触ってみたいと思ってしまう。
司さんは私のもの…本当にそうかしら?と思うけど…その言葉に勇気をもらって、莉子はちょっとずつ司に近付く。
本当に寝てしまったのだろうか?
規則正しい寝息を聞きながら、思い切って人差し指で頬にそっと触れてみる。
男の人なんだな。と、その感触に自分と違うものを感じて実感する。
すると、急に腕を引っ張られて危うく額がくっ付きそうになって慌てる。
「なんだ…?イタズラでもしようと思ったのか?」
悪戯っ子の顔をした司が莉子を引き寄せて、ソファの上でぎゅっと抱きしめて離さない。
「そっちから近付いて来たんだからな。一緒に牛になる覚悟が出来たんだろう?」
そう言って毛布まで莉子に掛けてまた目を閉じてしまう。
莉子はと言うと、抱きしめられたまま身動きも取れず固まって、司の胸の鼓動をしばらく聞いていた。
始めはこの状態にドキドキハラハラしていた莉子だが、規則正しい司の心臓の音を聞いているうちに、今日はこんな天気だし、誰も訪れる事も出来ないだろうと、いつしか心が凪になる。
広い屋敷に2人っきり。
少しグタグタ休んだとしても誰もお咎めないのだから、そう思っているうちに莉子もいつしか意識を手放してしまっていた。