「……八神君。もうここまでにして。そろそろ渚ちゃんが帰って来ちゃう」


こうして、段々と舌がヒリヒリしてきたところで、流石に危機感を抱き始めた私は軽い酸欠状態に陥りながら、彼から顔を離す。


「だから?俺はまだ足りないんだけど?」


しかし、八神君はこちらの事情など全く気にも留めず。


非情にもあっさりと要望を却下されてしまった挙句、無理矢理顔を引き寄せられ、またもや強引に唇を奪ってくる。


「……ん。いや……も、やめ……」


一向に解放されない彼の呪縛から何とか離脱しようと八神君の胸板を軽く叩いて抵抗を示すも、それが更に火をつけてしまったのか。


これまで口元に留まっていた彼の唇が徐々に下へと滑り、首筋から胸元へ這うようにゆっくりと舌が落ちてきて、甘い痺れが身体中を襲う。


そして、何気なく視線を前に向けた瞬間、視界に映ったある人物と目が合い、私は瞳を大きく見開く。



「……渚ちゃん」


それから、震える声でその名を口にした途端、八神君もピタリと行為を止めて、私を抱き締めたまま後ろを振り向いた。


その直後、一気に凍りつくこの場の空気。
 

お互い視線を合わせたまま一言も発する事なく、私達の間に妙な沈黙が暫く流れる。



一体いつから見られていたのか。


渚ちゃんの真っ青な表情を見る限りだと、もしかしたら少し前から居たのかもしれない。


自分も夢中になっていたので全く気付かなかったけど、もう言い逃れ出来ない状況に、頭の中が次第に真っ白になり始めていく。


「……あ。あの、ご、ごめんなさい。……お、お邪魔しましたっ!」


すると、震える声でようやく口を開いた渚ちゃんは、かなり動揺した様子で頭を深く下げると、踵を返して勢い良くこの場から駆け出す。



「待って、渚ちゃん!」


そんな彼女を追いかけようと、私も咄嗟に椅子から立ち上がり全速力で走る。


しかし、引き留めたところで何て言えばいいのか分からない。


常日頃から私を尊敬していた渚ちゃんだけど、これで軽蔑されたかもしれないし、私の顔も見たくないかもしれない。


ここまで来たら、どんなに弁解してもきっと無駄なのだろう。


それでも、彼女を放置する事だけはしたくなくて、私は余計な考えを振り払い、ただひたすら彼女の後を追い続けた。