(采人視点)

母親に口煩く言われ、二カ月ぶりに婚約者と食事したあの日。
偶然にも訪れたホテルのエントランスで女性が倒れた現場に居合わせた。

『頼む、助けてくれっ』

普通、大事な人の救命を頼むとしても、両手を合わせて拝むのが一般的。
それがあの時、あの新郎は人目も憚らず何度も土下座していた。

呼び捨てにする仲。
会話もタメ口で、よそよそしさは無かった。

だから、親しい知り合いなのだと思っていた。
学生時代の同級生だとか、地元が同じだとか。

ウェディングでも有名なホテルということもあって、毎日たくさんのカップルが挙式することでも有名だから。
何ら疑いもせず、BLS(一次救命処置)を共にした。

なのに……。
講習会場で偶然にも再会した彼女が、あの新郎にボロ雑巾のように扱われ、ごみくずのように捨てられた事実を知った。

自嘲気味に笑う彼女が、儚くて。
今にも倒れてしまうんじゃないかと思えた。

気が付けば、『一人になりたい時用の部屋(セカンドハウス)』に彼女を連れて行ってた。
家具家電はもちろんのこと、日用品も一通り揃えてある部屋。

彼女には『うちに勤務する医師向け物件』だなんて話したけれど。
そんなものは真っ赤な嘘。

俺はあの時、ビビビッと来たんだ。
この女性こそが、運命の相手なんだと。

俺は神坂総合病院の跡取りとして育てられた。
幼い頃から英才教育はもちろんのこと、世間から向けられる視線に耐え得る精神強さも。

一年ほど前に『形だけでも』と両親に言われ、大手医療機器メーカーの令嬢と婚約した。
結婚なんて、どうでもよかった。
どうせ、愛せる女性と出会うことすらないと思っていたから。