追放された調香師の私、ワケあって冷徹な次期魔導士団長のもとで毎日楽しく美味しく働いています。

 それから三日後、フレイヤは舞踏会の打合せをするため、シルヴェリオと一緒にコルティノーヴィス伯爵家のタウン・ハウスを訪ねた。
 ヴェーラと話す内容は、今回の舞踏会でお披露目して貴族女性の意見を集める予定の魔獣の革の手袋のことだ。意見を聞くためとはいえ、見栄えが良くなければ興味を持ってもらえないだろうということで、どの香りをつけた手袋にも実際に販売する際に使用する木箱をよういすることになった。まずは、その木箱に入れた状態をヴェーラに確認してもらう。
 他にも、参加する貴族の女性たちに商品を紹介する頃合いや、香りを説明する際の内容を擦り合わせることになっている。

 到着した二人は居間に案内され、ヴェーラと向かい合うようにソファに並んで座った。

「ふむ、手袋の雰囲気にも合っているし、貴族の女性が好きそうだ。ぜひこの梱包にしよう」

 満足そうに話すヴェーラが手に持っているのは、手袋が入った状態の木箱だ。
 上品な薄荷色に塗られた木箱には瀟洒な金細工がさりげなく施されており、内側には淡い金に近い白色の天鵞絨(ビロード)を張っている。
 これは、店頭で貴族の接客をしているエレナの意見や、ヴェーラから紹介してもらった箱の職人や彫金師の経験を聞いて彼らと一緒に話し合って作り上げてきた、思い入れのある箱だ。
 だからこそ、すぐに承認がもらえてとても嬉しかった。

「舞踏会の挨拶の次はダンスの時間を入れているから、商品のお披露目などはダンスの後にしよう。みんなが舞踏会の雰囲気に馴染み、緊張が解けている頃だから、意見しやすいはずだ」
「かしこまりましたそれでは、ダンスの時間が終わる頃合いを見計らって商品を出せるように準備しますね」
「いいや、準備はリベラトーレや使用人に任せるから、ルアルディ殿はダンスを楽しみたまえ」
「うっ……、ダンスはもし誘っていただけたら踊ることにします。私のような平民がいたら、気分を害する方もいらっしゃると思いますし……」

 それに、場違いなのに居座り続けるようなことはしたくない。ダンスを教えてもらった手前言いづらいが、格式のある舞踏会で知らない人たちと踊るのはどうも柄ではない。
 できる限りひっそりと、ヴェーラの商売に貢献したいのだ。

「そんなことはない。今や王都にいる貴族家の令息の中には、ルアルディ殿との接触を試みている者もいるのだぞ。二人の王族に香水を献上し、王妃殿下が目をかけている調香師なのだから、ぜひともお近づきになりたいのだろう」

 本当にそのような人物がいるのだろうか、と俄には信じ難い想いでいると、隣からパリンと固いものが割れる音が聞こえてきた。
 振り向くと、シルヴェリオが手に持っているティーカップにはヒビが入ってかけており、ソーサーは割れてテーブルの上に落ちている。幸いにもティーカップの中身は零れてないようだ。

「シルヴェリオ、大丈夫か!?」
「シルヴェリオ様、怪我はありませんか?」
 
 ヴェーラが跳ねるように立ち上がり、フレイヤが慌てふためきながらも手の状態を確認しようとしていると、シルヴェリオは何事もなかったかのように割れたものたちをテーブルの上に置いて両手を組む。
 そんな彼の深い青色の目に、剣呑な光が宿っているように見えたため、思わず唾を飲み込んだ。
 
「俺のことはどうでもいいです。それより、どこの誰がフレイさんに言い寄ろうとしているのですか?」
「いいから落ち着け。噂を聞いてすぐに対処しているから、実際に言い寄る命知らずはいないだろう」

 そう言うと、ヴェーラはリベラトーレに命じてシルヴェリオの怪我を確認させた。
 破片で手を切った痕はないとリベラトーレが判断したため、フレイヤは胸をなでおろした。

(食器が急に壊れるなんて……もしかして、古くから大切に使われてきた食器だから壊れたのかな?)

 それなら、自分も壊してしまわないように気をつけようと、フレイヤは慎重にティーカップを口元に運ぶのだった。

「シルヴェリオとルアルディ殿のおかげで犯人が捕まったから、無事に舞踏会を開くことができる。二人とも、協力してくれてありがとう」
「私は何も……皆さんが力を合わせたから解決できたんですよ」
「ルアルディ殿は謙虚過ぎるな。貴殿が匂いのことを話してくれたからこそ解決の糸口が掴めたのだ。礼をしたいから、なにか望むことがあれば言ってくれ」
「そう言われましても……」

 謙虚ではなく、本当のことを言っているのだ。
 どのように断ろうかと、内心頭を抱える。
 
「それにしても、家臣たちとの我慢比べをしていたら、とんでもない横槍が入ってきたものだ。これ以上はぐずぐずしていられないようだ。――リベラトーレ!」
「はいは~い! どうしましたか~?」

 ヴェーラが名前を呼ぶと、至近距離で控えていたリベラトーレが体を屈めてヴェーラを見つめた。
 あまりにも近い距離なので、思わずドキドキとして見守っていると、不意にヴェーラがリベラトーレの胸元を飾っているクラバットを掴み、ぐいと自分の方に引き寄せたではないか。

「結婚するぞ」
「――結婚? どなたとするおつもりなのですか?」

 突飛なヴェーラの行動に目を点にしていたリベラトーレが、にっこりと圧のこもった笑みへと表情を塗り替える。
 顔は笑っているのに心は笑っていないちぐはぐさがあった。
 不穏な空気が漂い始め、フレイヤは恐怖からガタガタと震えた。本能が危険を察知しているが、怖くて動けない。

「リベラトーレ、お前と結婚するんだ」
「……!」

 リベラトーレの表情が抜け落ちる。一緒に魂が抜け出してしまったのではないかと心配になるほど、茫然と佇んでいた。
 まるでヴェーラの言葉の意味を吟味しているかのように少しの時間を経た後、リベラトーレは両手で自分の頬を押さえる。

「ちょっと! ヴェーラ様! 私が特別ロマンチックな求婚をするつもりでいましたのに! そんなにも業務的に仰るなんてあんまりです~!」
「つべこべうるさいな。返事はどうなんだ?」
「もちろん、喜んでお受けしますよ! 取り消しは不可ですよ!? 一生放しませんからね~!」

 畳みかけるように宣言したリベラトーレは、隙間なくヴェーラを抱きしめると、片眼鏡(モノクル)を外す。
 先ほどまでの不穏さはすっかり消え、ただヴェーラへの愛おしさだけを滲ませていた。
 片方の手でヴェーラの頬に恭しく触れ、そのまま顎まで指先を滑らして、彼女の顔を少し上に向ける。リベラトーレが顔を傾け、唇を触れ合わせようとして――ヴェーラの手が彼の口元を塞いだ。
 
「そういうのは、せめて書類上で正式に婚約を結んでからにしてくれ」
「くっ!! まだお預けなんてっ!」

 心の底から辛そうにリベラトーレが叫ぶと、ヴェーラはふっと柔らかに笑い、リベラトーレの頬にキスをした。
 そうして、舞踏会で二人の婚約を発表することも追加されるのだった。