シルヴェリオとヴェーラ、そしてリベラトーレは、屋敷の地下に繋がる階段を下りていた。
地下には、罪人を閉じ込めておくための牢がある。コルティノーヴィス伯爵家は前当主が落ちぶれていたが歴史がある貴族家のため、なにかと刺客を差し向けられることもある。そうした不届き者を捉え、取り調べて裏で糸を引く犯人を見つけ出すためにも作られた場所だ。
暗く、湿気の影響で生じる独特な臭いが鼻につく。
思わず顔を顰めた時、シルヴェリオは自分の反応にしばし驚いた。
これまで、遠征先でもっと酷い匂いを嗅いでいたこともあり、以前ならこれほどの臭いであればさほど抵抗がなかった気がする。
片手で鼻から口元までを覆った時、香水『とある魔導士の至宝』のバラの香りが鼻先をくすぐった。
ああ、そうか、とシルヴェリオは心の中で呟く。
(フレイさんが作る良い香りを嗅いできたから、良い香りを嗅がないと不快になるようになってしまったのかもしれないな)
自分の鼻は、贅沢を求めるようになってしまったようだ。この先、討伐でまた死臭の漂う戦地に赴くことになった時、早くコルティノーヴィス香水工房に帰りたいと切望するようになるだろう。
そのような未来を想像すると心の中が温かくなる。自分にとってコルティノーヴィス香水工房は新しい場所であり、躊躇いなく「帰る場所」だと思えることが嬉しい。
幸せな思いを噛み締めていたいが、今は気を緩ませてはならない状況のため、気持ちを切り替える。
今は、姉を害した者の手掛かりを見つけることに専念する時だ。もしも犯人に、己の手の者が拘束されたと知られてしまえば、すぐに尾を切って逃げられてしまう可能性が高い。
だから、迅速に動き、判断して先手を打つ必要がある。
気を引き締め、階段を下り切った先に、六つほどの牢があった。そのうちの一つの前に、女性騎士が佇んでいる。
檻の中にいるメイドは、簡素な木綿のワンピースに着替えていた。
彼女がいる牢の前には、コルティノーヴィス伯爵家に仕える女性の騎士が経っており、その手にはメイドが着ていたであろうお仕着せがあった。
裸足で踏む石造りの床が冷たいからなのか、もしくはこれから自分が受ける取り調べを恐れているのか、俯いているメイドの体は微かに震えている。
「服の中に、小さなガラス瓶が入っていました。顔を近づけて匂いを嗅いでみると、シルヴェリオ様のお客様がおっしゃる通り、花の蜜のような臭いがしました。しかし瓶の中にはごく少量しか残っておらず、屋敷内のどこかに捨てて証拠隠滅を図った可能性があるため、犬型の魔獣を使って調べさせています。他になにか隠し持っていないか私の方で調べましたが、特筆すべき点はありませんでした。このあとすぐに、医師にこの瓶ごと渡して調べてもらいます」
「そうか、ご苦労だった。この者の部屋の調査は?」
女性の騎士とヴェーラの会話を聞きながら、シルヴェリオは騎士が摘まみ上げて見せてくれたガラス瓶を注視する。
残っている液体は、たしかにごく少量だ。瓶の底に少しだけ溜まった雫程度だが、解析魔法をかけて調べることは可能だろう。
それに、雫ほどの試料で医師が成分を調べるには、無理がある。とはいえ、仮に残りの試料を破棄した場所があったとしても、そこを見つけ出すまでの時間が惜しい。
「部屋については、まだ調査中です。なにぶん、歴の長い使用人ですので、情報を洗い出すのに時間がかかるかと……」
「ああ、メイドは母上が嫁いだ際に連れてきた者だから、調べることが多いだろう。なにか気になることがあれば、随時報告してくれ」
「かしこまりました」
ヴェーラに礼をとった女性の騎士が立ち去ろうとしたため、シルヴェリオはすぐに声をかけて引き留めた。
「解析魔法をかけさせてくれ」
「承知しました」
そう言い、女性の騎士が差し出すように小瓶をシルヴェリオに向ける。
シルヴェリオは小瓶に手を翳し、解析魔法の呪文を詠唱した。途端に金色の光が軌跡を描いて小瓶の周りをぐるぐると回り、色を金から紫へと変えた。
紫色の光は、毒であることを示している。
「やはり、この瓶の中にある液体には毒が含まれています。解析魔法で発現した光の色が紫色に変わるのは、毒物を検知した時のみですから」
「……そうか。貴重な魔法を使ってくれてかたじけない。――さあ、あの瓶について、説明したまえ」
ヴェーラが視線をシルヴェリオからメイドに移した途端、メイドは両手を胸の前で組むと、その場で跪いてヴェーラを見上げる。
目には涙を浮かべており、同情を誘おうとしているような振る舞いだ。
「あれは屋敷を掃除中に、床に落ちていたので拾っただけです。決して、私が屋敷の中に持ち込んだものではございません。私はお嬢様がお生まれになった頃から忠実に働いてきたのですよ。どうか私を信じてくださいませ……!」
「おかしいな。俺の客人があの瓶から漂う匂いについて言及した時、自分が身につけている香水の香りだと言及していたではないか。どれが真実なんだ?」
シルヴェリオが口を挟むと、メイドは目を泳がせ、両手に力を込める。追い詰められたことで緊張し、息苦しくなっているのか、メイドは次第に肩で息をするようになった。
静かな地下では、その息さえ大きく聞こえる。
「わ、私は、私は……っ!」
高熱に魘された病人のように、蚊の鳴くような声で呟くメイドの表情が、次第に歪んだ笑みを形作ってゆく。
その奇妙な様子を見たシルヴェリオは、片眉を上げる。
なぜ、疑われている状況で、笑えるのだろうか。
目の前にいるメイドが置かれている状況と彼女の表情のちぐはぐさに薄気味悪さを感じた。
「――酷いです、シルヴェリオ様。ヴェーラ様に毒を盛るよう指示なさったのは、あなただというのに、私に罪をなすりつけて捨て駒にするおつもりなのですね!」
「……は?」
いったい、なにを言っているんだ。
唐突にメイドの矛先が自分に向けられたシルヴェリオは、力の抜けた声を上げた。
「お嬢様から当主の座を奪うために、力を貸してくれと仰ったではないですか。協力すれば十分な謝礼と立場を用意するとも言っていたのに、見捨てるのですか!」
「生憎だが、俺はコルティノーヴィス伯爵家の当主になるつもりはない。継承権は破棄し、書面にも残している。私が依頼した証拠でもあるのか?」
頭は冷静に働いており、メイドの言葉を分析している。しかし、心無い言いがかりのせいで胸の内はざらつく。
幼い頃、まだ継承権を破棄していなかった時分に周囲の大人たちから向けられていた侮蔑の視線の鋭さと冷たさが蘇り、苦い想いがした。
「ふん、私が言えば、すぐに証拠を消すおつもりでしょう。それなら、被害者であるお嬢様と調査を担当する騎士にだけ話します!」
先ほどまでの態度とは一転し、メイドは強気の態度になる。自分に嫌疑がかかるような発言が出た以上、もうこの事件の捜査には加われない。
力になると姉に言っておきながら、なにもできないうえに場が混乱してしまったことに、やるせなさを感じた。
小さく溜息を吐き、姉に言葉をかけようとして振り返ると、いつもは悠然としている姉の赤い瞳に、剣のような鋭さが宿っていることに気付く。
「その言葉、虚言ではないと言うのだな?」
メイドに問うヴェーラの声はいつもと同じ声量だが、思わずひれ伏したくなるような圧力を感じた。
それをメイドも感じ取ったのか、先ほどまでの笑みが消え失せている。
「え、ええ、神に誓います」
「もしも我が弟を陥れるための虚言だった時には、代償が高くつくことを心得ておけ」
ヴェーラがそう宣言した時、地下へ続く石の階段を駆け下りてくる、靴音と動物の鳴き声が聞こえてきた。
「旦那様、シルヴェリオ様、薬が破棄された場所を発見し、不審な人物を捕らえました!」
階段がある方向からコルティノーヴィス伯爵家の私設騎士団の団長の声がして間もなく、目の前に三十代くらいの男性が現れる。彼の足元には――榛色の体毛を持つしなやかな体躯の犬がいた。
じっと見つめていると、犬のつぶらな瞳と垂れた耳が、シルヴェリオの方へ向く。
(この犬、どこかで見たことがあるような……)
誘われるように犬へと歩み寄り、冷たい地下の床に片膝を突いて犬に視線を合わせると、犬は『くーん』と甘えるように鳴いた。
地下には、罪人を閉じ込めておくための牢がある。コルティノーヴィス伯爵家は前当主が落ちぶれていたが歴史がある貴族家のため、なにかと刺客を差し向けられることもある。そうした不届き者を捉え、取り調べて裏で糸を引く犯人を見つけ出すためにも作られた場所だ。
暗く、湿気の影響で生じる独特な臭いが鼻につく。
思わず顔を顰めた時、シルヴェリオは自分の反応にしばし驚いた。
これまで、遠征先でもっと酷い匂いを嗅いでいたこともあり、以前ならこれほどの臭いであればさほど抵抗がなかった気がする。
片手で鼻から口元までを覆った時、香水『とある魔導士の至宝』のバラの香りが鼻先をくすぐった。
ああ、そうか、とシルヴェリオは心の中で呟く。
(フレイさんが作る良い香りを嗅いできたから、良い香りを嗅がないと不快になるようになってしまったのかもしれないな)
自分の鼻は、贅沢を求めるようになってしまったようだ。この先、討伐でまた死臭の漂う戦地に赴くことになった時、早くコルティノーヴィス香水工房に帰りたいと切望するようになるだろう。
そのような未来を想像すると心の中が温かくなる。自分にとってコルティノーヴィス香水工房は新しい場所であり、躊躇いなく「帰る場所」だと思えることが嬉しい。
幸せな思いを噛み締めていたいが、今は気を緩ませてはならない状況のため、気持ちを切り替える。
今は、姉を害した者の手掛かりを見つけることに専念する時だ。もしも犯人に、己の手の者が拘束されたと知られてしまえば、すぐに尾を切って逃げられてしまう可能性が高い。
だから、迅速に動き、判断して先手を打つ必要がある。
気を引き締め、階段を下り切った先に、六つほどの牢があった。そのうちの一つの前に、女性騎士が佇んでいる。
檻の中にいるメイドは、簡素な木綿のワンピースに着替えていた。
彼女がいる牢の前には、コルティノーヴィス伯爵家に仕える女性の騎士が経っており、その手にはメイドが着ていたであろうお仕着せがあった。
裸足で踏む石造りの床が冷たいからなのか、もしくはこれから自分が受ける取り調べを恐れているのか、俯いているメイドの体は微かに震えている。
「服の中に、小さなガラス瓶が入っていました。顔を近づけて匂いを嗅いでみると、シルヴェリオ様のお客様がおっしゃる通り、花の蜜のような臭いがしました。しかし瓶の中にはごく少量しか残っておらず、屋敷内のどこかに捨てて証拠隠滅を図った可能性があるため、犬型の魔獣を使って調べさせています。他になにか隠し持っていないか私の方で調べましたが、特筆すべき点はありませんでした。このあとすぐに、医師にこの瓶ごと渡して調べてもらいます」
「そうか、ご苦労だった。この者の部屋の調査は?」
女性の騎士とヴェーラの会話を聞きながら、シルヴェリオは騎士が摘まみ上げて見せてくれたガラス瓶を注視する。
残っている液体は、たしかにごく少量だ。瓶の底に少しだけ溜まった雫程度だが、解析魔法をかけて調べることは可能だろう。
それに、雫ほどの試料で医師が成分を調べるには、無理がある。とはいえ、仮に残りの試料を破棄した場所があったとしても、そこを見つけ出すまでの時間が惜しい。
「部屋については、まだ調査中です。なにぶん、歴の長い使用人ですので、情報を洗い出すのに時間がかかるかと……」
「ああ、メイドは母上が嫁いだ際に連れてきた者だから、調べることが多いだろう。なにか気になることがあれば、随時報告してくれ」
「かしこまりました」
ヴェーラに礼をとった女性の騎士が立ち去ろうとしたため、シルヴェリオはすぐに声をかけて引き留めた。
「解析魔法をかけさせてくれ」
「承知しました」
そう言い、女性の騎士が差し出すように小瓶をシルヴェリオに向ける。
シルヴェリオは小瓶に手を翳し、解析魔法の呪文を詠唱した。途端に金色の光が軌跡を描いて小瓶の周りをぐるぐると回り、色を金から紫へと変えた。
紫色の光は、毒であることを示している。
「やはり、この瓶の中にある液体には毒が含まれています。解析魔法で発現した光の色が紫色に変わるのは、毒物を検知した時のみですから」
「……そうか。貴重な魔法を使ってくれてかたじけない。――さあ、あの瓶について、説明したまえ」
ヴェーラが視線をシルヴェリオからメイドに移した途端、メイドは両手を胸の前で組むと、その場で跪いてヴェーラを見上げる。
目には涙を浮かべており、同情を誘おうとしているような振る舞いだ。
「あれは屋敷を掃除中に、床に落ちていたので拾っただけです。決して、私が屋敷の中に持ち込んだものではございません。私はお嬢様がお生まれになった頃から忠実に働いてきたのですよ。どうか私を信じてくださいませ……!」
「おかしいな。俺の客人があの瓶から漂う匂いについて言及した時、自分が身につけている香水の香りだと言及していたではないか。どれが真実なんだ?」
シルヴェリオが口を挟むと、メイドは目を泳がせ、両手に力を込める。追い詰められたことで緊張し、息苦しくなっているのか、メイドは次第に肩で息をするようになった。
静かな地下では、その息さえ大きく聞こえる。
「わ、私は、私は……っ!」
高熱に魘された病人のように、蚊の鳴くような声で呟くメイドの表情が、次第に歪んだ笑みを形作ってゆく。
その奇妙な様子を見たシルヴェリオは、片眉を上げる。
なぜ、疑われている状況で、笑えるのだろうか。
目の前にいるメイドが置かれている状況と彼女の表情のちぐはぐさに薄気味悪さを感じた。
「――酷いです、シルヴェリオ様。ヴェーラ様に毒を盛るよう指示なさったのは、あなただというのに、私に罪をなすりつけて捨て駒にするおつもりなのですね!」
「……は?」
いったい、なにを言っているんだ。
唐突にメイドの矛先が自分に向けられたシルヴェリオは、力の抜けた声を上げた。
「お嬢様から当主の座を奪うために、力を貸してくれと仰ったではないですか。協力すれば十分な謝礼と立場を用意するとも言っていたのに、見捨てるのですか!」
「生憎だが、俺はコルティノーヴィス伯爵家の当主になるつもりはない。継承権は破棄し、書面にも残している。私が依頼した証拠でもあるのか?」
頭は冷静に働いており、メイドの言葉を分析している。しかし、心無い言いがかりのせいで胸の内はざらつく。
幼い頃、まだ継承権を破棄していなかった時分に周囲の大人たちから向けられていた侮蔑の視線の鋭さと冷たさが蘇り、苦い想いがした。
「ふん、私が言えば、すぐに証拠を消すおつもりでしょう。それなら、被害者であるお嬢様と調査を担当する騎士にだけ話します!」
先ほどまでの態度とは一転し、メイドは強気の態度になる。自分に嫌疑がかかるような発言が出た以上、もうこの事件の捜査には加われない。
力になると姉に言っておきながら、なにもできないうえに場が混乱してしまったことに、やるせなさを感じた。
小さく溜息を吐き、姉に言葉をかけようとして振り返ると、いつもは悠然としている姉の赤い瞳に、剣のような鋭さが宿っていることに気付く。
「その言葉、虚言ではないと言うのだな?」
メイドに問うヴェーラの声はいつもと同じ声量だが、思わずひれ伏したくなるような圧力を感じた。
それをメイドも感じ取ったのか、先ほどまでの笑みが消え失せている。
「え、ええ、神に誓います」
「もしも我が弟を陥れるための虚言だった時には、代償が高くつくことを心得ておけ」
ヴェーラがそう宣言した時、地下へ続く石の階段を駆け下りてくる、靴音と動物の鳴き声が聞こえてきた。
「旦那様、シルヴェリオ様、薬が破棄された場所を発見し、不審な人物を捕らえました!」
階段がある方向からコルティノーヴィス伯爵家の私設騎士団の団長の声がして間もなく、目の前に三十代くらいの男性が現れる。彼の足元には――榛色の体毛を持つしなやかな体躯の犬がいた。
じっと見つめていると、犬のつぶらな瞳と垂れた耳が、シルヴェリオの方へ向く。
(この犬、どこかで見たことがあるような……)
誘われるように犬へと歩み寄り、冷たい地下の床に片膝を突いて犬に視線を合わせると、犬は『くーん』と甘えるように鳴いた。


