追放された調香師の私、ワケあって冷徹な次期魔導士団長のもとで毎日楽しく美味しく働いています。

     ***

 フレイヤを見送ったシルヴェリオは、魔法でジュスタ男爵に連絡をした後、コルティノーヴィス伯爵家の屋敷に引き返した。
 本当はフレイヤのダンスの練習が終わり次第、黒の魔塔に戻るつもりだったのだが、姉に毒を盛った犯人の手掛かりを見つけたため、これから取り調べるため今日は出勤できないかもしれないということを伝えるためだ。

 馬車に揺られながら、シルヴェリオはフレイヤが匂いについて言及していた時の記憶を呼び起こす。
 フレイヤが香りについて言及した途端、そばに居たメイドが明らかに動揺していた様子を、シルヴェリオもまた目にしていた。
 
 魔導士として違法な魔法具の所持者を取り締まることもあるため、後ろめたいことをしている人物の反応を見てきたのだが、あのメイドの反応はまさしくその犯罪者らと同じだった。
 おそらく、己の罪を隠そうとしていたのだ。誰にも気づかれずに隠しきれると思った矢先に訪問客に見抜かれて、さぞかし肝が冷えただろう。
 
(フレイさんが嗅ぎ取った、花の蜜のような微かな香り――それが毒を持つ花の蜜であれば、料理の調味料として混ぜ込めばわからないだろうな。香草をたくさん加えたり、味付けを他の調味料で濃くすればなおのこと、気づかれないはずだ)

 ヴェーラの話では、毒が盛られたであろう夕食で出された料理は普段よりも香りが強かったそうだ。
 シルヴェリオやリベラトーレでさえ気づけないほど弱い香りであれば、おそらくヴェーラも他の香りに紛れた花の蜜の香りに気付けなかったに違いない。

(取り調べしても一向に犯人を見つけられないでいたが、フレイさんのおかげで捜査が前進するかもしれないな)
 
 いったい、どれだけ彼女に助けてもらっているのだろうか。
 出会ってまだ一年も経っていないというのに、すでに数えきれないほど彼女に救われてきた。なにか礼ができればいいのだが……菓子を贈る以外になにも思いつかない。

 ドレスにも宝飾品にも興味がないようだし、地位や名誉、それに金にも興味がないことは、すでにわかっている。
 今回ドレスを仕立てると伝えた時も、伝えた途端に彼女の頬の筋肉が強張り、ドレスに合う宝飾品も併せて贈ると追加で伝えれば、血の気が引いて今にも倒れそうな顔つきになっていた。
 無欲は良いこととされるが、あまりにも無欲な彼女を見ていると、本当に良いことなのだろうかと、心配になってしまう。

(フレイさんが知らせてくれた香りが犯人の手掛かりとなった暁には、どんな菓子を贈ろうか……)

 このところ、シルヴェリオが常に菓子の情報を集めていることから、ネストレや黒の魔塔の同僚たちやヴェーラから菓子の情報を教えてもらえるようになったおかげで、随分と詳しくなった。
 特に珍しい国外の菓子を贈ると反応が良いため、異国の菓子のレシピを手に入れておきたい。きっと、喜んでくれるはずだ。

 そこまで考えて、シルヴェリオはふっと口元に笑みを浮かべた。

(気付けば、フレイさんのことばかり考えているな)

 それは、長らく心を張り詰めたまま過ごしてきた日々の中でようやく訪れた安らぎの時間だ。時に切なさに胸が引き攣るような痛みを感じることもあるが、その痛みさえも宝物にしたくなるほど大切に思える。
 いつかは、「愛している」と彼女に想いを伝えられたら――。
 淡い期待を抱いているが、それは今ではないと思っている。失恋し、体中の水分がなくなってしまうのではないかと心配するほど泣いていた彼女の姿を間近で見たのだ。それなのに自分の想いを伝えるのは、配慮に欠けるのではないだろうか。

 とはいえ、募るばかりの想いに胸が締め付けられ、途方に暮れていた。
 それだけではなく、アーディルや黒の魔塔の同僚たちや騎士団の騎士たちの中にフレイヤに対して好意を見せる同性たちが現れたため、想いを伝えられないまま奪われてしまうのではないかと不安になることもあった。
 奪われるなんて、彼女は誰のものでもないのだから、不適切な表現だとわかっているのだが、そう思ってしまう。

 愛おしさに比例して、悩みも尽きない。それでも、愛している。

「シルヴェリオ様、屋敷に到着しましたよ」 
 
 御者の声が聞こえ、窓の外を見ていると、たしかにコルティノーヴィス伯爵家のタウン・ハウスに到着していた。
 開かれた扉から降りてヴェーラの執務室へ向かうと、沈んだ空気を漂わせる姉と、いつも通りつかみどころのない笑みを浮かべたリベラトーレが待っていた。

「リベラトーレから話しは聞いたよ。指示を出してくれてありがとう。件のメイドは今、地下牢に入れている。下調べは澄んだから、これから取り調べを始めるところだ。一緒に来てくれ」
「かしこまりました。……ところで、あのメイドはどこの貴族家からの紹介で働きに来た者ですか?」
「レステッリ伯爵家だ」
「……そうでしたか」

 もしもあのメイドがヴェーラに毒を盛っていたとしたら、恐らくは傍系の貴族家からの指示で潜り込んだ内通者だろうと予想していたため、意外な家名を聞いて驚いた。
 レステッリ伯爵家は義母――ヴェーラの母親の実家で、あのメイドの年齢から察すると、義母がコルティノーヴィス伯爵家に輿入れした頃から仕えている可能性が高い。

 そんな彼女が、かつて仕えていた貴族家の令嬢の娘に毒を盛る理由が分からなかった。
 まさか、何者かに家族を人質に取られて、そうするよう命じられたのだろうか。

 思案に耽っているとヴェーラの視線を感じたため、顔を向ける。
 いつもは力強さを湛えている紅玉(ルビー)のように赤い目が、不安げに揺れていた。
 
「執事頭から報告を受けたが、メイドを拘束した後にレステッリ前伯爵と鉢会ったそうだが、なにか嫌なことはされていないか?」
「ええ、挨拶を交わした程度です」
「……嘘をつくな。何事もなかったことくらい、お前の目を見ればわかる」
「……!」

 そんなにも、分かりやすい表情をしていただろうか。
 思わず自分の頬に手で触れていると、背伸びしたヴェーラが反対側の頬にそっと手で触れてきた。

 姉に頬を触れられたのは、いつぶりだろうか。
 ずっと昔、まだ魔法を上手く使うこともできないくらい幼い頃に、庭園の隅に隠れていた自分を偶然姉が見つけた時以来かもしれない。

 あの頃、産みの母親からの愛情を求めていたが得られず、また傍系の貴族家からくる客人や一部の使用人たちから不義の子として睨まれたり罵られていたことに耐え切れず、一日の大半を庭園の隅で過ごしていた。
 屋敷の中に味方はいないから、屋敷の外に非難していたのだ。

 しかしある日、その安全地帯に、腹違いの姉であるヴェーラと、当時は彼女のお目付け役だったリベラトーレが現れた。
 この安全地帯からも出ていかなければならないのではと怯えて縮こまるシルヴェリオの頬に、ヴェーラはそっと手で触れた。その手がとても温かかったことを、今でも覚えている。

『……怪我はないか?』
『はい……』
『どこか、身体に痛いところは?』
『ないです』 
『……そうか』 

 たったそれだけ言葉を交わした後、二人はその場から立ち去ってしまった。
 あの時はなぜあのように聞かれたのかわからなかったが、今思えば、心配してくれていたのかもしれない。
 もしも怪我をしていたら、手当てしようと――。
 
 そのようなことにも気づけないほど、あの頃の自分は幼く、そして自分のいる世界は狭かった。
 
「シルヴェリオ、私は知っているんだ。お前は幼い頃から辛いことがあれば、感情を悟られないように無表情を取り繕い、虚ろな目をして耐えている。……そのようなことを、もうさせたくない」
「姉上……」
 
 過去の自分に会うことができるのであれば、義母しか味方はいないと思っていた当時の自分に、言い聞かせたい。
 姉はずっと、自分を見守ってくれている味方なのだと。

 シルヴェリオは自分の手を頬から離し、ヴェーラの手に自分の手のひらを重ねる。
 彼女の手の温かさが、心へと伝播しているような気がした。

「もう大丈夫です。姉上がそう思ってくださっているのだとわかっただけで、何を言われても虫の羽音くらいだと思えるでしょう」
「それでも、言われた時にはすぐに私に報告しろ。相手に然るべき罰を与えねば気が済まない」 
「承知しました。証拠が残るように、音声記録の魔法具を携帯しないといけませんね」
 
 幼い頃のあの日のように、姉は自分を心配してくれている。ただ一つ違うのは、あの頃のような不器用さを克服して想いを伝え合えるようになったことだ。
 二人で顔を見合わせて笑っていると、二人の間に鬼のような形相のリベラトーレが割って入ってくる。
 
「もう離れてください! いくら姉弟でも、触れ合いすぎです!」  
「はあ、うるさいな。弟に良い姉の姿を見せる機会だったのに、邪魔をするな」
 
 ヴェーラが溜息をついてリベラトーレを睨みつける姿を見て、シルヴェリオは小さく苦笑した。
 姉に報告する際はこの嫉妬深くて厄介な男を通さねば、後に姉が苦労するかもしれない。