追放された調香師の私、ワケあって冷徹な次期魔導士団長のもとで毎日楽しく美味しく働いています。

 ヴェーラが主催する舞踏会は、三ヶ月後に開かれることになった。
 この三ヶ月間で、フレイヤはドレスの準備やダンスを学ぶために、コルティノーヴィス伯爵家のタウン・ハウスに通わなければならない。
 そこで、シルヴェリオとヴェーラはフレイヤが休日を潰さなくて済むよう、週に二度は午前中にコルティノーヴィス伯爵家を訪れることになった。
 
 ちょうど今日、ドレスを仕立ててもらうために、コルティノーヴィス伯爵家へ向かう日だ。
 朝、シルヴェリオがコルティノーヴィス伯爵家の馬車で迎えに来てくれたため、それに乗って屋敷まで送ってもらう。

 屋敷に到着すると、ヴェーラとリベラトーレに執事や侍女長を始めとした使用人たちが、にこやかに迎えてくれる。
 コルティノーヴィス伯爵家の主人と使用人たちはいつ行ってもフレイヤを歓迎してくれるのだが、今日は特に歓迎されているような気がする。
 
 いったい、どうしたのだろうか。
 理由が分からない好意に戸惑い、まごついているフレイヤの前に、ヴェーラが歩み寄ってきた。
 今日のヴェーラは白色のシャツに紺色のジャケットとスラックスに革靴を併せており、相変わらず見惚れてしまうほど美しい男装の麗人といった雰囲気を醸し出している。
 
「ルアルディ殿、来てくれてありがとう。服飾士たちは客間で待たせているよ」
「コルティノーヴィス伯爵、お招きいただきありがとうございます。本日もよろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしく頼む。――さあ、ついて来たまえ」
「はい!」
 
 ヴェーラの後をついていくフレイヤとシルヴェリオの姿を、使用人たちがにこやかに見つめる。

「当主様はルアルディさんが来るといつもより楽しそうで、見ている私たちも嬉しくなるわ」
「そうね。シルヴェリオ様もルアルディさんが居たら、いつもより柔らかな雰囲気になるし、お屋敷の中が穏やかになっていいわぁ」
「私、実はヴェーラ様についている侍女の子から聞いたんだけど、ヴェーラ様はルアルディさんとシルヴェリオ様の正装のデザインをお揃いにするつもりだと服飾士に頼んだのですって」
「まあ! 舞踏会の日が楽しみだわ」
 
 緊張していたフレイヤは、背後で使用人たちがそのような話をしていたことを知らないまま、屋敷に足を踏み入れるのだった。

     ◇
  
 ヴェーラの案内で辿り着いた客間は、中央に背の高い姿見、右端に大きな衝立が設けられており、そのほかの場所はドレスがギュッと詰め込まれたドレスラックが配置されている。
 姿見の前には、ソファと横長のテーブルが置かれていた。
 溢れんばかりのドレスを目の当たりにしてすぐに、身の危険を感じたフレイヤは回れ右をして部屋を出ようとしたが、コルティノーヴィス香水工房の制服を仕立てる際にもお世話になった服飾士に遮られてしまった。

「オホホホホォ~! またお会いできて嬉しいですわぁ~!」
「お、お久しぶりです……」

 今にも捕食してきそうな気配の服飾士と対面したフレイヤは、小刻みに震える体で礼をとる。
 コルティノーヴィス香水工房の制服を仕立ててもらった際に、ついでと言って数多のドレスを怒涛の勢いで試着させられた時の記憶がまだ新しいため、どうしても逃げ腰になってしまうのだ。
 
「実は、わたくしも競技会(コンテスト)を見に行っていましたのよ。正装姿のルアルディさんがとてもよく似合っているし素敵で、感激しましたわ! 正装姿のルアルディさんを見て、新しいデザインをたくさん思いつきましたから、ぜひまたわたくしが作った服を着ていただきたいと思っていましたの」
「ありがとうございます。あの素敵な服を仕立てていただいた夫人からそう言っていただけて嬉しいです」

 あの上品で洗練されたデザインの正装を似合っていると言ってもらえると、くすぐったい気持ちになりながらも、嬉しく思う。
 デザイン画を見せてもらった時から、とても素敵な服だと思い、見惚れていたのだ。
 そのような素敵な服が「よく似合っている」と言ってもらえると、ちょっぴり誇らしくなる。
 
「あれからわたくしが作ったドレスと、ヴェーラ様からのご要望に合ったドレスを見繕ってきましたわ。じっくりと決めていきましょう」

 服飾士の目がギラリと光ったため、フレイヤは心の中で悲鳴を上げる。 
 もしかして、ここにあるドレス全てを試着するつもりだろうか。
 いやな予感がしてしまい、思わず後ずさった。
 
 以前ドレスを試着させられたときもそうだったのだが、ドレスの試着をする際にうっかり汚してしまったり、破いてしまったりすることを恐れている。
 それに、たくさんのドレスを試着すると、体力がごっそりと無くなってしまう。

(シルヴェリオ様、助けてください……!)

 咄嗟に振り返り、背後にいるシルヴェリオに哀願のこもった眼差しを向けてみる。
 シルヴェリオは少し困惑した表情を浮かべたが、なにかを振り払うように頭を左右に振ると、いつもの澄ました表情に戻った。
 
「休憩時に食べるための菓子を執事長が買いに走っているから、楽しみにしていてくれ。最近話題の、外側の生地がカリッとしたシュークリームだ」
「が、頑張ります……!」
 
 シルヴェリオの説明だけで、店の名前がすぐに思い浮かぶ。彼の言う通り、最近話題で、入手困難だと言われている人気のシュークリームだ。

「ふふっ、お菓子がご褒美だなんて可愛らしいわ。それでは、コルティノーヴィス伯爵、ルアルディさんをお借りしますわね!」
「ああ、誰もが振り返るほど素晴らしいドレスを彼女に用意してくれ」

 ヴェーラがにっこりと微笑んで答えるや否や、服飾士によってフレイヤは衝立の向こうへと攫われ身ぐるみを剥がされてしまい、思わず悲鳴を上げそうになった。
 それからコルセットをつけられ、あまりにも強い力で腹部を圧迫されるため、今度こそ悲鳴を上げる。
 
 すっかり体力を奪われて燃え尽きてしまったフレイヤの目の前に、服飾士とその助手が色とりどりのドレスを持ってきて、ニマリと不敵な笑みを浮かべた。

「さあ、始めますわよ!」
 
 初めは、大まかな形を選ぶために数着着せられた。ドレスを着る度にソファに座ってお茶をしているシルヴェリオとヴェーラの前に立たされ、二人の前で体をくるりと回転させる。
 ドレスも試着用に履かされているヒールも慣れないため、ぎこちないターンだ。
 視界にちらりと、自分を見つめているシルヴェリオが映ると、気恥ずかしいような、落ち着かないような、不思議な感覚に陥る。 
 
「ふむ、どの形も似合っているから迷うな。シルヴェリオはどの形をルアルディ殿に勧めたいだろうか?」 

 ヴェーラの言葉を聞くと、フレイヤの心臓が跳ねた。
 ちらりとシルヴェリオを盗み見ると、彼はやや眉尻を下げて思案顔を浮かべている。
 
「女性の流行に疎い俺が口を挟むわけにはいかないので、姉上たちがフレイさんに勧めてあげてください」
「……言い方を変えよう。個人的に、どの形がより似合っていると思ったかい?」
「……裾の広がりを抑えた形が似合っているように思いました」
「よし、それでいこう」

 それから、首元のデザインを決めるために数着、ドレスの腰から下までのデザインを決めるためにまた数着ほど着る。
 途中、ヴェーラと服飾士からデザインの感想を聞かれたが、普段は簡素な服装ばかりのフレイヤはこれといった感想がなく、しどろもどろに答えるのだった。
 
 ドレスを選ぶのは、本当に大変な作業だ。
 試着と質問への回答でフレイヤはすっかり、へとへとになってしまう。
 すると、扉をノックする音が聞こえ、ティートロリーを押した執事が部屋に入ってきた。
 小花柄が散らされた皿に積み上げられたシュークリームを見たフレイヤは、曲がっていた腰をピシリと伸ばし、生気を失っていた瞳に輝きを灯す。
 
 クスリ、と笑う声が聞こえたため、声がする方に顔を向けると、シルヴェリオが口元で手を覆っていた。
 
「姉上、一度休憩しませんか?」 
「そうだな。ルアルディ殿が休憩している間に、私は服飾士たちとより詳細なデザインを打合せしておこう」

 そう言い、ヴェーラが服飾士に視線で合図を送ると、服飾士はフレイヤを再び衝立の後ろに連れてゆき、ドレスとコルセットを脱ぐ手伝いをしてくれたので、フレイヤは着てきた服に着替えた。

 コルセットの圧迫感と試着地獄から解放されたフレイヤは身も心も軽くなり、スキップをしそうなほどの足取りで衝立から出てくる。
 
「フレイさん、ここに座ってくれ」

 シルヴェリオが魔法で座り心地の良さそうな青色の天鵞絨(ビロード)張りの一人掛けのソファを自分の隣に出現させると、フレイヤに勧める。

「ありがとうございます」

 腰かけたフレイヤは、脚の疲れが引いていくような気がした。
 ホッと息を吐いていると、シュークリームが乗せられたとりわけ用の小さな皿と、爽やかな香りのお茶が入っているティーカップが目の前に置かれる。

「念のため解析魔法をかけているから、安心して食べてくれ」
「はい、いただきます!」

 さっそくシュークリームをひと口齧ったフレイヤは、蕩けるような表情を浮かべ、自分の頬に片手を当てた。
 口の中に広がるクリームは濃厚でずっしりとしており、味わい深い。

「カリカリの生地は仄かな甘みがありますし、クリームとの食感の違いが楽しめて素晴らしいです。この濃厚なクリームは……チーズで作られているようですね。甘みも酸味も味わえるなんて……これはもう、芸術作品ですね!」
「――ふっ」

 シルヴェリオが笑った気配がしたため顔を向けると、シルヴェリオは片手で口元を覆ったまま、肩を震わせている。
 
「シルヴェリオ様、どうして笑っているんですか?」 
「すまない。姉上や服飾士たちからドレスの感想を聞かれた時よりも饒舌だから、思わず笑ってしまった」

 そう言いながら、シルヴェリオ様は大皿のそばに置かれていたトングで、追加のシュークリームをフレイヤの目の前にある小皿に取り分ける。
 
「フレイさんが気に入ってくれてよかった。好きなだけ食べるといい」
「実は、前から気になっていたお菓子だったんです。買ってくださって、ありがとうございます!」

 二人がお菓子の会話をしている様子を、ヴェーラと服飾士が少し離れた場所で見守っていた。

「シルヴェリオ様は以前と比べてさらに柔和な雰囲気になりましたね」
「ああ、ルアルディ殿のおかげだ。二人の礼装が揃いになるよう、生地は統一してくれ。基調となる色は――」

 ヴェーラは紅玉(ルビー)のように赤い目を自分の弟へと向けると、口元に弧を描く。

「シルヴェリオの目のような、深い青色に決まりだな」
「ふふっ、かしこまりました」 

 そんな二人の密かなやり取りを、フレイヤもシルヴェリオも知らないまま、和やかにお菓子の話に花を咲かせているのだった。