翌日の昼時、フレイヤは香水工房の出入り口の近くに立っていた。
その視線の先に、こちらへ向かってくるパルミロとフラウラの姿が見えると、フレイヤは一人と一匹に手を振った。
「フレイちゃん、昼食を届けに来たよ!」
「ありがとう! 今日のメニューもすごく楽しみ!」
ここ数日、シルヴェリオが約束してくれた福利厚生である朝・昼・夕の三食は全て、パルミロが用意してくれている。
今まではコルティノーヴィス伯爵家から提供されることもあったのだが、パルミロ曰く、「今は繁忙期だから俺が任された」らしい。
「今日は大魔猪の頬肉トマトシチューとサラダとローストビーフサンドだ。温かいうちに食べるんだぞ」
『デザートのティラミスも入れているわよ!』
パルミロが昼食のメニューを言い終わると、フラウラがすかさずデザートを教えてくれた。
「やったー! パルミロさんが作るティラミスが大好きだから、とっても楽しみ!」
フレイヤは小躍りしたくなるほど喜ぶ。
そんな彼女の姿を、パルミロもフラウラも嬉しそうに笑みを浮かべて見守る。
「ははっ、フレイちゃんは相変わらずお菓子に目がないなぁ」
パルミロは昼食が入っているバスケットをフレイヤに手渡してくれた。
フレイヤはそれを、両手で大事に受け取る。
美味しい食事とお菓子は、フレイヤにとって毎日の楽しみだ。
特にお菓子は、生活に潤いを与えてくれる、欠かせない存在でもある。
「ところで、シルヴェリオ様はここ数日、パルミロさんのお店に来てる?」
「う~ん、三日前にフレイちゃんの食事を依頼しに来た時以来は来ていないなぁ」
「そうなんだ……」
フレイヤは気落ちした声で呟くと、バスケットの持ち手を握る自分の手を見つめた。
最近のシルヴェリオを見ていると、どうも心配になる。
思いつめているような表情を垣間見せることがあったり、顔色が悪いことがあったりと、何かに困っているような様子なのだ。
昨日、それとなくシルヴェリオに声をかけてみたが、返事は曖昧なものだった。
きっと、自分はあまりにも無力だから、シルヴェリオは抱えているものを教えてくれないのかもしれない。
しかし、パルミロは違う。
シルヴェリオは元先輩で今も兄貴分でいるパルミロになら、相談をして頼っているのかもしれないと、少し期待していたのだ。
(でも、パルミロさんにも会っていないということは、相談せずに自分で抱えているかもしれない……)
フレイヤはますますシルヴェリオのことを心配した。
こういう時、どうすればいいのだろうか。
いったいどこまで、相手の心に歩み寄ってもいいのだろうか。
もしも自分が誤って踏み込み過ぎてしまい、相手を傷つけてしまうことが怖い。
(悩んでいる時に話を聞いてもらえると心の整理ができて前に進めることもあるけれど……内容によっては、相手に言いにくいこともあるし……)
シルヴェリオとは色んな違いがある。
身分や性別に、職業や立場――。
特に、身分の違いは大きい。シルヴェリオが貴族としての悩みを抱えているのであれば、平民であるフレイヤは全く力になれない。
それでも、何か力になりたいと思っては、悩んでしまうのだ。
(ああ、私ったら、シルヴェリオ様の力になりたいのに、うじうじしてしまって何もできないなんて……)
俯くフレイヤに、パルミロが話しかけてくる。
「シルのことで、何かあったのかい?」
「ええと……実は最近、シルヴェリオ様の顔色があまり良くないし、悩みを抱えているように見えたから心配なの」
「……なるほど、そうだったのか……」
パルミロは顎に手を当てて考え込む素振りを見せる。
少しして、彼は覚悟を決めたような表情を浮かべると、顎から手を離し――自分の両頬をバシンと叩く。
「パルミロさん? どうしたの?」
「いや、ちょっと迷ったんだが、フレイちゃんに話しておこうと思ったことがあるんだ。シルからは、フレイちゃんには話すなとは言われていないから、きっと大丈夫だろう」
パルミロは周囲をキョロキョロと窺うと、立てた人差し指を自分の口元に近づけた。
「ここだけの話だ。実は、シルのお姉さんが食事に毒を盛られて倒れたらしい。それで、シルは使用人たちの中から犯人捜しをしているんだよ。俺にフレイちゃんの食事を任せた本当の理由は、その事件が起きたからなんだ」
「コルティノーヴィス伯爵が……!?」
言葉が続かなかった。
毒、と聞いて、フレイヤの背筋が凍る。
食事に毒を盛られるなんて、フレイヤの日常では想像もつかない、恐ろしい事件なのだ。
「幸いにも翌日には起きて仕事をできるところまで回復しているらしいが、シルは今回の件でかなり気が滅入っているように見えた。実家の争いごとを姉に押し付けてしまったと後悔しているようだし――なにより、あいつにとって残された唯一の血縁者を失うかもしれないところだったから、不安で仕方がないのだろう」
「そんなにも辛いことがあったのに、何事もなかったかのように毎日私にお菓子を届けに来てくれるなんて……私、どうしたらシルヴェリオ様の力になれるのだろう……」
「おお、工房には毎日来ているんだな。それなら、今まで通りに接したらいい。きっと、シルはフレイちゃんのいつも通りの姿を見て元気を取り戻しているのだろうからな」
「いや、私を見たところで、何にもならないと思うのだけど……」
「そういや、建国祭はどうだった? 結局、シルと一緒に祭りを見て回ったのだろう?」
パルミロは急に、話しを逸らしてきた。
「う、うん。とても楽しかったよ。お店を見て回ったり、シルヴェリオ様とダンスを踊ったり――」
ふと、曲が終わった後の時のことを思い出す。
シルヴェリオはフレイヤの髪を一房掬い、そこにキスをしたのだ。
その姿はまるで、ロマンス小説に出てくる王子様のようだった。
『俺は、自分の全てをかけて、フレイさんを幸せにする』
シルヴェリオの言葉が蘇った途端、フレイヤの顔はボッと火がついたように赤くなる。
そんなフレイヤを見たパルミロとフラウラは、微笑ましそうに目を細めた。
「楽しい時間を過ごせたようでよかったよ。シルのこと、末永く頼む」
「す、末永くって……夫婦ではなのに……!」
フレイヤは慌てて指摘した。
いつかの夜、シルヴェリオにも言われた言葉だ。
あの時は驚いてしまったことと、まだシルヴェリオと出会って日が浅かったため、指摘できなかった。
「ほら、フレイちゃんとシルは共にコルティノーヴィス香水工房を担う工房長と副工房長でもあるんだから、ピッタリの言葉じゃないか?」
「そうは言っても、聞く人によっては私とシルヴェリオの関係を疑うかもしれないから、シルヴェリオ様に迷惑をかけてしまうよ」
「どうだかねぇ。シルは迷惑だなんて思わないはずさ」
パルミロはガハハと笑う。
そしてフレイヤに手を振ると、フラウラと一緒に工房を後にした。
その視線の先に、こちらへ向かってくるパルミロとフラウラの姿が見えると、フレイヤは一人と一匹に手を振った。
「フレイちゃん、昼食を届けに来たよ!」
「ありがとう! 今日のメニューもすごく楽しみ!」
ここ数日、シルヴェリオが約束してくれた福利厚生である朝・昼・夕の三食は全て、パルミロが用意してくれている。
今まではコルティノーヴィス伯爵家から提供されることもあったのだが、パルミロ曰く、「今は繁忙期だから俺が任された」らしい。
「今日は大魔猪の頬肉トマトシチューとサラダとローストビーフサンドだ。温かいうちに食べるんだぞ」
『デザートのティラミスも入れているわよ!』
パルミロが昼食のメニューを言い終わると、フラウラがすかさずデザートを教えてくれた。
「やったー! パルミロさんが作るティラミスが大好きだから、とっても楽しみ!」
フレイヤは小躍りしたくなるほど喜ぶ。
そんな彼女の姿を、パルミロもフラウラも嬉しそうに笑みを浮かべて見守る。
「ははっ、フレイちゃんは相変わらずお菓子に目がないなぁ」
パルミロは昼食が入っているバスケットをフレイヤに手渡してくれた。
フレイヤはそれを、両手で大事に受け取る。
美味しい食事とお菓子は、フレイヤにとって毎日の楽しみだ。
特にお菓子は、生活に潤いを与えてくれる、欠かせない存在でもある。
「ところで、シルヴェリオ様はここ数日、パルミロさんのお店に来てる?」
「う~ん、三日前にフレイちゃんの食事を依頼しに来た時以来は来ていないなぁ」
「そうなんだ……」
フレイヤは気落ちした声で呟くと、バスケットの持ち手を握る自分の手を見つめた。
最近のシルヴェリオを見ていると、どうも心配になる。
思いつめているような表情を垣間見せることがあったり、顔色が悪いことがあったりと、何かに困っているような様子なのだ。
昨日、それとなくシルヴェリオに声をかけてみたが、返事は曖昧なものだった。
きっと、自分はあまりにも無力だから、シルヴェリオは抱えているものを教えてくれないのかもしれない。
しかし、パルミロは違う。
シルヴェリオは元先輩で今も兄貴分でいるパルミロになら、相談をして頼っているのかもしれないと、少し期待していたのだ。
(でも、パルミロさんにも会っていないということは、相談せずに自分で抱えているかもしれない……)
フレイヤはますますシルヴェリオのことを心配した。
こういう時、どうすればいいのだろうか。
いったいどこまで、相手の心に歩み寄ってもいいのだろうか。
もしも自分が誤って踏み込み過ぎてしまい、相手を傷つけてしまうことが怖い。
(悩んでいる時に話を聞いてもらえると心の整理ができて前に進めることもあるけれど……内容によっては、相手に言いにくいこともあるし……)
シルヴェリオとは色んな違いがある。
身分や性別に、職業や立場――。
特に、身分の違いは大きい。シルヴェリオが貴族としての悩みを抱えているのであれば、平民であるフレイヤは全く力になれない。
それでも、何か力になりたいと思っては、悩んでしまうのだ。
(ああ、私ったら、シルヴェリオ様の力になりたいのに、うじうじしてしまって何もできないなんて……)
俯くフレイヤに、パルミロが話しかけてくる。
「シルのことで、何かあったのかい?」
「ええと……実は最近、シルヴェリオ様の顔色があまり良くないし、悩みを抱えているように見えたから心配なの」
「……なるほど、そうだったのか……」
パルミロは顎に手を当てて考え込む素振りを見せる。
少しして、彼は覚悟を決めたような表情を浮かべると、顎から手を離し――自分の両頬をバシンと叩く。
「パルミロさん? どうしたの?」
「いや、ちょっと迷ったんだが、フレイちゃんに話しておこうと思ったことがあるんだ。シルからは、フレイちゃんには話すなとは言われていないから、きっと大丈夫だろう」
パルミロは周囲をキョロキョロと窺うと、立てた人差し指を自分の口元に近づけた。
「ここだけの話だ。実は、シルのお姉さんが食事に毒を盛られて倒れたらしい。それで、シルは使用人たちの中から犯人捜しをしているんだよ。俺にフレイちゃんの食事を任せた本当の理由は、その事件が起きたからなんだ」
「コルティノーヴィス伯爵が……!?」
言葉が続かなかった。
毒、と聞いて、フレイヤの背筋が凍る。
食事に毒を盛られるなんて、フレイヤの日常では想像もつかない、恐ろしい事件なのだ。
「幸いにも翌日には起きて仕事をできるところまで回復しているらしいが、シルは今回の件でかなり気が滅入っているように見えた。実家の争いごとを姉に押し付けてしまったと後悔しているようだし――なにより、あいつにとって残された唯一の血縁者を失うかもしれないところだったから、不安で仕方がないのだろう」
「そんなにも辛いことがあったのに、何事もなかったかのように毎日私にお菓子を届けに来てくれるなんて……私、どうしたらシルヴェリオ様の力になれるのだろう……」
「おお、工房には毎日来ているんだな。それなら、今まで通りに接したらいい。きっと、シルはフレイちゃんのいつも通りの姿を見て元気を取り戻しているのだろうからな」
「いや、私を見たところで、何にもならないと思うのだけど……」
「そういや、建国祭はどうだった? 結局、シルと一緒に祭りを見て回ったのだろう?」
パルミロは急に、話しを逸らしてきた。
「う、うん。とても楽しかったよ。お店を見て回ったり、シルヴェリオ様とダンスを踊ったり――」
ふと、曲が終わった後の時のことを思い出す。
シルヴェリオはフレイヤの髪を一房掬い、そこにキスをしたのだ。
その姿はまるで、ロマンス小説に出てくる王子様のようだった。
『俺は、自分の全てをかけて、フレイさんを幸せにする』
シルヴェリオの言葉が蘇った途端、フレイヤの顔はボッと火がついたように赤くなる。
そんなフレイヤを見たパルミロとフラウラは、微笑ましそうに目を細めた。
「楽しい時間を過ごせたようでよかったよ。シルのこと、末永く頼む」
「す、末永くって……夫婦ではなのに……!」
フレイヤは慌てて指摘した。
いつかの夜、シルヴェリオにも言われた言葉だ。
あの時は驚いてしまったことと、まだシルヴェリオと出会って日が浅かったため、指摘できなかった。
「ほら、フレイちゃんとシルは共にコルティノーヴィス香水工房を担う工房長と副工房長でもあるんだから、ピッタリの言葉じゃないか?」
「そうは言っても、聞く人によっては私とシルヴェリオの関係を疑うかもしれないから、シルヴェリオ様に迷惑をかけてしまうよ」
「どうだかねぇ。シルは迷惑だなんて思わないはずさ」
パルミロはガハハと笑う。
そしてフレイヤに手を振ると、フラウラと一緒に工房を後にした。


