建国祭から二週間が経った。
フレイヤとシルヴェリオは、コルティノーヴィス伯爵家の王都にある屋敷にある客間にいた。
そこにはヴェーラとリベラトーレもいて、四人はテーブルを囲んでいる。
テーブルの上には、丈の長い茶色の革の手袋があった。
一見すると、貴婦人が舞踏会のドレスに合わせて身に着けているような、何の変哲もない装飾品だ。
しかし、この手袋がヴェーラの頭を悩ませている。
八方塞がりとなったヴェーラは、コルティノーヴィス商団の団長として、フレイヤとシルヴェリオを屋敷に招いたのだ。
そうしてヴェーラがフレイヤに依頼した内容は、‶魔獣の革で作った手袋の悪臭を消すための香りの調香〟だった。
従来より、動物の革で作られた製品の臭いを消すために香水が使われている。
というのも、製造工程で皮を鞣して加工する際に使われる薬品の臭いが、製品に残ってしまうのだ。
その臭いは、手袋を脱いだ後の手にも残るため、悩みの種だった。
不快な香りをどうにかできないかと商人が考えた結果、香水の香りで上書きすることにしたのだ。
「今までも魔獣の革で作った装備を取り扱ったことはあるが、武具や防具ばかりだったから、臭いはあまり気にしていなかったんだ。しかし、今回手袋に使用した革――火影鹿は、保温性に優れて滑らかで触り心地が良いが耐久性に欠けるから、防具や武具には適さない。そこで、貴婦人たちに向けた商品を作ることにしたのだよ」
ヴェーラが小さく肩を竦めると、彼女の白金色の髪が動きに合わせて輝きながら揺れる。
魔獣の革は動物にはない魔法の特性があるため、もっぱら傭兵や騎士たちが身に着けるものに使われている。
しかし、今回作った手袋は、貴婦人たちに販売しようとしているものだ。悪臭があってはならない。
ヴェーラの話に出てきた魔獣の火影鹿とは、炎のような暖色の光を纏う、火属性の魔法を使う鹿型の魔獣だ。
動物の鹿のように、雄には角が生える。
普段は山岳地帯に住んでいるが、大量発生すると餌を求めて人里に下りてきて、トラブルを起こす厄介者なのだ。
火影鹿は気性が荒く、出くわした人間を炎や角で攻撃し、最悪の場合は森に火事を起こしてしまう。
そのため、大量発生した際には討伐対象となる。
「討伐部隊に同行する騎士たちから鞣し特有の臭いがしても慣れていましたが、場所が変わるとかなり気になりますね」
シルヴェリオの眉間の皺が、いつもより深い。
どうやら、臭いに耐えているようだ。
「カルディナーレ香水工房にいた時も動物の皮革製品のに使う香水の依頼を受けたことはありますが、魔物の皮革製品の依頼は聞いたこともありませんでしたね」
フレイヤは手袋を手に取ると、くんくんと鼻を動かして臭いを嗅ぎ始めた。
「鞣し用の薬品の香りの他に、苦みのある臭いがしますね。……もしかして、魔獣の皮を鞣すための薬品を使っているのですか?」
「ああ、動物の皮を鞣す時に使用する薬品の他に、皮に含まれている魔力が人体に影響を与えないように、魔法薬の中に漬けて生地全体をコーティングしている。そうすれば、魔力の干渉を起こさないまま、素材が持つ魔法の特性を生かすことができるのだよ」
「なるほど……では、お困りなのはその魔法薬の臭いなのですね?」
「ああ、職人に聞いたところ、半永久的に残るらしい」
「半永久的……」
色々な意味で強力な臭いであることがわかり、フレイヤは遠い目をした。
「それにしても、姉上はなぜ厄介な素材とわかっていながら、大量に火影鹿の皮を買い取ったのですか?」
「半年前に、ジレッティ男爵領で魔獣の大量発生が起こりましたでしょう? その大量発生した魔獣が、この火影鹿なんですよ」
シルヴェリオが問うと、リベラトーレがずいと間に入ってきた。
「なるほど、他の部隊が討伐に向かっていた、あの火影鹿だったか」
「魔獣が大量発生した地域は経済的にも打撃を受けるものです。ヴェーラ様は、そんな地域の方々の生活を少しでも守るために火影鹿を買い取ったのです。魔獣の残骸の処理は大変ですから、全部引き取ったのですよ。ただでさえ街や近くの森を燃やされてしまい、復興に追われている状況でしたからね。また現地の工房に加工や手袋の生産の仕事を与えて、経済の支援をしました。ただ物を売るだけではなく、生産に関わる者たちのことまで行動をするなんて……ああ、なんと賢明で崇高なのでしょう! まさに我らの女神! ヴェーラ様万歳!」
リベラトーレは恍惚とした笑みを浮かべ、詩を朗読するかの如く朗々と語った。
もやはヴェーラを主神にして、新しい宗教でも始めるような勢いである。
そんなリベラトーレの姿を見て、フレイヤは少し恐れおののいた。
今までに見たことのない類の人類を目の前にしたのだから、無理もない。
「リベラトーレ、もう黙れ」
「かしこまりましたっ! 黙ります!」
リベラトーレはヴェーラに窘められても、反省するどころか嬉しそうだ。
彼にとってはヴェーラのお叱りはご褒美なのである。
「被害に遭った地域は、我が商団の一員である商会の会長と部下たちの故郷だったのだよ。いつも世話になっているから、何か力になりたかったのだ」
ヴェーラが保有する商団は、小さな商会が集まってできている。
扱う商品が優れているが大きな商会に邪魔をされてしまい、上手く販売できない商会たちを集めて、結束させたのだ。
「それで、臭いはどうにかなるだろうか?」
「強い香りで隠すことが一般的ですが、この手袋の場合は、臭いを掛け合わせて悪臭を和らげて馴染ませる方がいいかもしれません。いくつか香りを調香してきますので、参考のためにこの手袋をお借りしてもよろしいでしょうか?」
「ああ、いくらでも持って行ってくれ。ちなみに、香りの候補はいつ頃できそうだ?」
「一週間後を目途に調香してみます」
「それでは、一週間後にまたここに来てくれ。シルヴェリオ、予定は大丈夫か?」
「ええ、もんだいありません」
シルヴェリオは頷くと、フレイヤに手を差し伸べる。
「フレイさん、行こう」
「は、はい」
フレイヤがぎこちない動きで手をシルヴェリオの手のひらの上に乗せる。
建国祭でシルヴェリオとダンスを踊って以来、シルヴェリオの手を取ると、妙に緊張してしまう。
(だって、シルヴェリオ様が、告白のようなことを言うから……!)
『俺は、自分の全てをかけて、フレイさんを幸せにする』
髪にキスをしてきたシルヴェリオの姿と共に思い出してしまい、慌てて頭の隅に追いやった。
今は、仕事の時間だ。
フレイヤとシルヴェリオが部屋を出ようとすると、ヴェーラが呼び留めてきた。
「もしよかったら、二人とも今夜はうちで夕食をとっていかないか?」
「お気持ちは嬉しいのですが、今日はフレイさんとアイスクリームのケーキを食べに行く予定なのです」
シルヴェリオがすぐに断った。
本来はシルヴェリオが建国祭に参加できなかった時の埋め合わせだったアイスクリームのケーキだが、シルヴェリオが見舞いの礼をさせてほしいと言って、フレイヤを再び誘ったのだ。
「おや、まあ」
断れてしまったヴェーラは、残念そうにするどころか、嬉しそうに真っ赤な唇で弧を描いた。
「そうだったか。突然誘って悪かったな。それでは、日を改めて誘わせてくれ。――楽しい時間を」
「はい。行ってまいります」
フレイヤとシルヴェリオはヴェーラに礼をとり、部屋を出た。
フレイヤとシルヴェリオは、コルティノーヴィス伯爵家の王都にある屋敷にある客間にいた。
そこにはヴェーラとリベラトーレもいて、四人はテーブルを囲んでいる。
テーブルの上には、丈の長い茶色の革の手袋があった。
一見すると、貴婦人が舞踏会のドレスに合わせて身に着けているような、何の変哲もない装飾品だ。
しかし、この手袋がヴェーラの頭を悩ませている。
八方塞がりとなったヴェーラは、コルティノーヴィス商団の団長として、フレイヤとシルヴェリオを屋敷に招いたのだ。
そうしてヴェーラがフレイヤに依頼した内容は、‶魔獣の革で作った手袋の悪臭を消すための香りの調香〟だった。
従来より、動物の革で作られた製品の臭いを消すために香水が使われている。
というのも、製造工程で皮を鞣して加工する際に使われる薬品の臭いが、製品に残ってしまうのだ。
その臭いは、手袋を脱いだ後の手にも残るため、悩みの種だった。
不快な香りをどうにかできないかと商人が考えた結果、香水の香りで上書きすることにしたのだ。
「今までも魔獣の革で作った装備を取り扱ったことはあるが、武具や防具ばかりだったから、臭いはあまり気にしていなかったんだ。しかし、今回手袋に使用した革――火影鹿は、保温性に優れて滑らかで触り心地が良いが耐久性に欠けるから、防具や武具には適さない。そこで、貴婦人たちに向けた商品を作ることにしたのだよ」
ヴェーラが小さく肩を竦めると、彼女の白金色の髪が動きに合わせて輝きながら揺れる。
魔獣の革は動物にはない魔法の特性があるため、もっぱら傭兵や騎士たちが身に着けるものに使われている。
しかし、今回作った手袋は、貴婦人たちに販売しようとしているものだ。悪臭があってはならない。
ヴェーラの話に出てきた魔獣の火影鹿とは、炎のような暖色の光を纏う、火属性の魔法を使う鹿型の魔獣だ。
動物の鹿のように、雄には角が生える。
普段は山岳地帯に住んでいるが、大量発生すると餌を求めて人里に下りてきて、トラブルを起こす厄介者なのだ。
火影鹿は気性が荒く、出くわした人間を炎や角で攻撃し、最悪の場合は森に火事を起こしてしまう。
そのため、大量発生した際には討伐対象となる。
「討伐部隊に同行する騎士たちから鞣し特有の臭いがしても慣れていましたが、場所が変わるとかなり気になりますね」
シルヴェリオの眉間の皺が、いつもより深い。
どうやら、臭いに耐えているようだ。
「カルディナーレ香水工房にいた時も動物の皮革製品のに使う香水の依頼を受けたことはありますが、魔物の皮革製品の依頼は聞いたこともありませんでしたね」
フレイヤは手袋を手に取ると、くんくんと鼻を動かして臭いを嗅ぎ始めた。
「鞣し用の薬品の香りの他に、苦みのある臭いがしますね。……もしかして、魔獣の皮を鞣すための薬品を使っているのですか?」
「ああ、動物の皮を鞣す時に使用する薬品の他に、皮に含まれている魔力が人体に影響を与えないように、魔法薬の中に漬けて生地全体をコーティングしている。そうすれば、魔力の干渉を起こさないまま、素材が持つ魔法の特性を生かすことができるのだよ」
「なるほど……では、お困りなのはその魔法薬の臭いなのですね?」
「ああ、職人に聞いたところ、半永久的に残るらしい」
「半永久的……」
色々な意味で強力な臭いであることがわかり、フレイヤは遠い目をした。
「それにしても、姉上はなぜ厄介な素材とわかっていながら、大量に火影鹿の皮を買い取ったのですか?」
「半年前に、ジレッティ男爵領で魔獣の大量発生が起こりましたでしょう? その大量発生した魔獣が、この火影鹿なんですよ」
シルヴェリオが問うと、リベラトーレがずいと間に入ってきた。
「なるほど、他の部隊が討伐に向かっていた、あの火影鹿だったか」
「魔獣が大量発生した地域は経済的にも打撃を受けるものです。ヴェーラ様は、そんな地域の方々の生活を少しでも守るために火影鹿を買い取ったのです。魔獣の残骸の処理は大変ですから、全部引き取ったのですよ。ただでさえ街や近くの森を燃やされてしまい、復興に追われている状況でしたからね。また現地の工房に加工や手袋の生産の仕事を与えて、経済の支援をしました。ただ物を売るだけではなく、生産に関わる者たちのことまで行動をするなんて……ああ、なんと賢明で崇高なのでしょう! まさに我らの女神! ヴェーラ様万歳!」
リベラトーレは恍惚とした笑みを浮かべ、詩を朗読するかの如く朗々と語った。
もやはヴェーラを主神にして、新しい宗教でも始めるような勢いである。
そんなリベラトーレの姿を見て、フレイヤは少し恐れおののいた。
今までに見たことのない類の人類を目の前にしたのだから、無理もない。
「リベラトーレ、もう黙れ」
「かしこまりましたっ! 黙ります!」
リベラトーレはヴェーラに窘められても、反省するどころか嬉しそうだ。
彼にとってはヴェーラのお叱りはご褒美なのである。
「被害に遭った地域は、我が商団の一員である商会の会長と部下たちの故郷だったのだよ。いつも世話になっているから、何か力になりたかったのだ」
ヴェーラが保有する商団は、小さな商会が集まってできている。
扱う商品が優れているが大きな商会に邪魔をされてしまい、上手く販売できない商会たちを集めて、結束させたのだ。
「それで、臭いはどうにかなるだろうか?」
「強い香りで隠すことが一般的ですが、この手袋の場合は、臭いを掛け合わせて悪臭を和らげて馴染ませる方がいいかもしれません。いくつか香りを調香してきますので、参考のためにこの手袋をお借りしてもよろしいでしょうか?」
「ああ、いくらでも持って行ってくれ。ちなみに、香りの候補はいつ頃できそうだ?」
「一週間後を目途に調香してみます」
「それでは、一週間後にまたここに来てくれ。シルヴェリオ、予定は大丈夫か?」
「ええ、もんだいありません」
シルヴェリオは頷くと、フレイヤに手を差し伸べる。
「フレイさん、行こう」
「は、はい」
フレイヤがぎこちない動きで手をシルヴェリオの手のひらの上に乗せる。
建国祭でシルヴェリオとダンスを踊って以来、シルヴェリオの手を取ると、妙に緊張してしまう。
(だって、シルヴェリオ様が、告白のようなことを言うから……!)
『俺は、自分の全てをかけて、フレイさんを幸せにする』
髪にキスをしてきたシルヴェリオの姿と共に思い出してしまい、慌てて頭の隅に追いやった。
今は、仕事の時間だ。
フレイヤとシルヴェリオが部屋を出ようとすると、ヴェーラが呼び留めてきた。
「もしよかったら、二人とも今夜はうちで夕食をとっていかないか?」
「お気持ちは嬉しいのですが、今日はフレイさんとアイスクリームのケーキを食べに行く予定なのです」
シルヴェリオがすぐに断った。
本来はシルヴェリオが建国祭に参加できなかった時の埋め合わせだったアイスクリームのケーキだが、シルヴェリオが見舞いの礼をさせてほしいと言って、フレイヤを再び誘ったのだ。
「おや、まあ」
断れてしまったヴェーラは、残念そうにするどころか、嬉しそうに真っ赤な唇で弧を描いた。
「そうだったか。突然誘って悪かったな。それでは、日を改めて誘わせてくれ。――楽しい時間を」
「はい。行ってまいります」
フレイヤとシルヴェリオはヴェーラに礼をとり、部屋を出た。


