自宅に戻ってから、夕食の準備、洗濯、シャワー、その合間にテレビと、日常の流れに身を任せる。気付けば時計は22時を指していた。何も特別なことはしていないのに、時間の流れる速さに、ふと感慨にふける。ちょうどテレビではバラエティ番組のオープニングが始まっていた。


 その時、玄関から亜美佳の「ただいまー」という声が聞こえた。

「おかえり」と充が言うと、亜美佳は「お腹すいた。なんかある?」と返す。


 リモコンを手に、亜美佳は気に入る番組を探していたが、どうやら見つからないようだ。チャンネルは1秒ごとに変わり続ける。


 充はキッチンに向かいながら、「オムレツ作ったけど、食べる?」と声をかける。


「食べるー」と亜美佳が言った。

 

 結局、彼女が見たい番組は見つからず、以前と同じバラエティ番組が再び流れ始める。亜美佳は座敷テーブルに頬杖をつき、興味のなさそうに画面を見つめていた。


 冷蔵庫から取り出した皿には、既に2つのオムレツが並んでいて、充はそれをレンジで温めながら、白ご飯とお箸を用意する。


「ケチャップもとってー」


「ちょっと待ってね」と充は返し、手際よくケチャップと温かいオムレツを持ってきた。「あとは麦茶だね」と言いながら、忙しなく動く。



 準備が整い充が床のクッションの上に座ると、亜美佳は既に充のオムレツにケチャップで落書きをしていた。

 

 

「どう、ハートの完成」

「あ、ハートか。キツネじゃないんだ」


 亜美佳は不満げに「はあ?」と口をすぼめた。そして、ハートの中心に大きなギザギザを加える。亜美佳は昔から強気で、否定されるとすぐ反発してしまう性格だった。その読みやすい行動を、充はいつも面白く思っていた。


 テレビの司会者が「本日は特別なプレゼンターをお迎えしています」と言うのを聞いて、充はふと思い出した。


「そうだ、亜美佳。お土産があるんだ」


 充はトートバッグを引っ張り出し、中からクマの着ぐるみを着たクマのストラップを取り出した。亜美佳が興味深そうに目を細めて手を伸ばす。充は、その小さなクマを亜美佳の手のひらに静かに置いた。

 

「なにこれ?かわいい」


 亜美佳が目を輝かせながら言った。


「これ好きそうだと思って、買ってきたの」

「センスあんじゃん」と言いながら、亜美佳は携帯電話にそのストラップを取り付けた。


 亜美佳は着ぐるみの部分を指でなぞっていた。その仕草が微笑ましく、充は心の中で「僕もそこが気に入っている」と思った。

 


「ねえ、あした新宿に行かない?」


 亜美佳の大きな瞳が充を見つめ、一瞬ドキッとする。昔から亜美佳の目を見ると、目を逸らすことができなかった。それは磁石のような引力とはまた違う。ただずっと、許す限り見つめていたい、そんな感覚だ。だが、結局は目を逸らすのはいつも充の方だ。

 

「明日、仕事休むの?」


 つい訊く必要のないことを尋ねてしまった。黙っていればいいのに、いつも余計な一言を挟んでしまう。それは充の悪い癖だ。


「あしたは行かないよ」と亜美佳は当たり前でしょと言わんばかりの表情で応じ、続けて「そうじゃなきゃ、誘うわけないじゃん」と言った。


「そっか、僕も明日は休みだ」と充は言い、部屋の隅に置かれた目覚まし時計に目をやった。


 時刻は22時34分を指している。


 充は、会社に「明日は休む」と連絡しなければならないと思い、どんなメールを送るか考え始めた。