同じ頃、別の意味で溜め息を吐いていた者がここにもいた。

「全くどいつもこいつも、口を開けば婚約話しかできんのか!」

 ここ数日、王城にやってきた途端、声をかけられては皆、同じ話題しかしなかった。
 そう、娘のルフィナとシュッセル公子との婚約話だ。

 私は城内にある執務室で、机に項垂(うなだ)れる。話を(まと)めれば、こうなることは分かっていた。それだけに――……。

「皆が興味津々になるのも無理はない」

 何でもない中立派の我が家が、貴族派の筆頭に輿入れするだけなら誰も何も言わないし、首を突っ込むこともしないだろう。
 けれど我が家は猫憑きの家系。国内でも有数な裏社会に通じている家門と、同じく裏社会に通じていて、且つ牛耳(ぎゅうじ)っているという、黒い噂が絶えないシュッセル公爵家との婚姻だ。

 皆、何かの陰謀、もしくはどちらかが野心を抱いていると思っているのだろう。

「まぁ、間違ってはいないんだが……」

 それを公言できるわけがない。
 ふと、視線を扉へ向ける。

「そろそろ痺れを切らしてやってくると思っていたんだが、案外辛抱強いのか。もしくはこれを機に諦めたか。そのどちらかだろうな」

 まだ姿を見せない来訪者に、私はそっと感想を述べた。


 ***


 事は仮面舞踏会の一週間後に起きた。
 突然、執務室にやってくるなり、神妙な顔でルフィナは言った。

「お母様。シュッセル公子との婚約を取り次いでもらえないでしょうか」

 何をバカなことを! と、一喝できればよかった。けれど、ルフィナの表情を見て口を噤む。

「理由を聞こうか」
「それはシーラから聞いてください。ピナとイダも承諾済みです。だから……」
「……なるほど。そういうことなら分かった」

 自分の口からは言えない事情。いや、言いたくない程の案件なのだろう。
 しかもピナはともかく、シーラとイダに話を通している、とは。緊急事態ともいえる。
 そもそも相手がシュッセル公子である以上、良からぬ案件としか思えなかった。

『俺は親友の恋を応援したい。だから二人のことを静かに見守っていてほしい』

 ふと、ヴェルナー殿下の言葉が脳裏を過った。
 仮面舞踏会でグルーバー侯爵のエスコート役を、ルフィナが受けた後にかけられた言葉だ。

 わざわざ王城にある私の執務室に直接出向いてまで言った、グルーバー侯爵への気遣い。さらにはルフィナへの配慮も覗かせる。

「これもまた、見守るという枠に入れてもらいたいな」

 先ほどルフィナが出て行った、自宅にある執務室の扉を見つめながら呟いた。

 そもそも仮面舞踏会はヴェルナー殿下、というよりもドリス王女によって仕組まれていた。
 彼女は元々、グルーバー侯爵が好きだったのだ。この事実は王城で知らぬ者はいないくらい有名な話である。
 けれど、全く相手にされていなかったことや、ヴェルナー殿下への配慮で一切外部には漏れなかった。故に、社交界に疎いルフィナは知らずに依頼を引き受けた、というわけである。

 加えていうと、婚約者候補であったシュッセル公子と頻繁に仮面舞踏会に行っていたことも相まって、グルーバー侯爵に想いを寄せていたなどとは微塵も思うまい。

「知っていたら、また違った反応をするはずだ」

 ドリス王女があの場にいたのにもかかわらず、ルフィナはグルーバー侯爵の好意を受け入れていたのが、その証拠だ。

 当の本人は、というとグルーバー侯爵の想い人を調べていく内に、ルフィナのことを気に入ったらしく。自身の婚約話を取り消したい想いも相まって、あのような計画を立てたのだそうだ。

 まぁ、ドリス王女は猫好きだからな。
 何度も城内にいる猫を飼いたい、と私に言いに来ては、愛玩用ではないため、陛下を通して断っているのだが。それにもかかわらず、絶えず頼みに来るほどだ。……こちらは諦める気がないらしい。

 ともあれ、相手がルフィナと分かったから、すんなり身を引いたのだろう。
 ()しくも、ルフィナはドリス王女の思惑通り、グルーバー侯爵を好きになったと思ったのだが……。何故、シュッセル公子なのだ? よりにもよって。
 男なら他にもいるだろう。
 猫憑きということで、寄ってくる男は限られるのだが……。

 私はすぐにシーラに確認をとった。
 すると、ルフィナが言いたくない気持ちを察知せざるを得なかった。

 これは仕方がない。猫と好きな人。究極の選択だが私たちは――……。

「猫を選ぶしかないのだ」

 悪いな。だが、ルフィナを選んだ時点で分かってもらわなければ。ここが正念場だぞ、グルーバー侯爵。

 私はそっと、心の中でエールを送った。