その笑顔には怒りも憎しみもなく、まるで " 今日は晴れですね " とでも言うような穏やかな声音だった。
だからこそ恐ろしい。
「死んで」
くすり、と笑う。
「咲夜さんが死ねよ」
もう一度。
「死んで、死んで、死んで、死んで… 」
陽菜は子守唄を歌うような優しい声で、延々と繰り返す。

咲夜は一歩、また一歩と後ずさる。
喉が渇く。
息が苦しい。
心臓が嫌な音を立てる。
―― また始まった。
そう思った瞬間、自分の考えに咲夜は愕然とした。
“ また ”
いつから自分は、この狂気を日常として受け入れていたのだろう… 目の前にいるのは、本当に自分が知っている陽菜なのか?
いや、違う。
もう、自分の知る陽菜はいない。
残っているのは、人の姿をした何か… 底なしの執着と嫉妬だけで動く化け物。
雪美を遠ざけたのは正しかった。
もし陽菜が雪美を見つければ、花壇に散らばる無数の花と同じ運命を辿る、そう確信した。
恐怖で声も出ず、身体が動かない…
ただ一つだけ胸の奥ではっきりと思った。
――もう無理だ。
この屋敷にいる限り、自分も、雪美も、誰も救われない。
咲夜は震える拳を握り締めながら、狂気に笑い続ける陽菜を見つめることしかできなかった。
あの日を境に、咲夜は眠れなくなった… 夜になる度、庭に響く陽菜の笑い声が耳に蘇る。
花を切り落とす鋏の音。
「死んでよ」
あの穏やかな声。
閉じた瞼の裏にまで焼き付き、何度振り払っても消えず… それからというもの、陽菜の情緒は日に日に崩れていった。
朝は笑い、昼は泣き、夕暮れには物を壊し、夜になると屋敷中へ響き渡るほどの叫び声を上げる。
「咲夜さんは私の物!!」
「誰にも渡さない… 」
「殺してやる… 」
誰も近寄れない… 女中たちは怯え、母親のおすずでさえも困り果てていた。
咲夜は毎日、陽菜の狂気を正面から受け止め続けた。
" 耐えれば治る "
" 時間が経てば落ち着く "
そんな希望はとっくに砕け散っていた。

