「… 退くか、俺に潰されたいかどちらか選べ」
申又は叫び声を上げる暇もなく顔を腫らし、鼻血を垂らして転がった。更に咲夜の蹴りが腹をえぐり申又は泥にまみれてうずくまる。
「私の咲夜さんが可哀想… 貴方でしょ。貴方が兄に色目使ったからでしょ!」
ありもしない疑いをかけられ黙り込む雪美。
「ゆきは被害者だ!俺はお前のものじゃない、兄にしっかり学習させろ何度言わせれば気が済むのか二度とゆきに近付くな!」
咲夜の言葉に雪美を睨み付けた陽菜は " 金貸し屋の娘のくせに " と、吐き捨て舌打ちをする。
「お、覚えてろ…」
申又は陽菜に支えられ震える声で逃げるように去って行った。
「ありがとうさく… 」
安堵の息を吐く、そんな姿に咲夜はふっと笑い相手の肩にそっと手を置き泥に汚れた雪美をそっと抱き寄せ、確かな手つきで優しく泥を拭う。
「もう大丈夫だ」
優しい声、優しい指先が触れる度… 気持ちが溢れる… 雪美は咄嗟に咲夜の胸に身を預け、こらえきれず嗚咽した。
「俺がいる限り、誰もお前を傷つけさせはしない」
雪美はその胸に顔を埋め震える声で答えた。
「…さくがいてくれて、良かった」
日が暮れ夕焼けが、2人の影を優しく照らし出す… 咲夜は泥にまみれた雪美の手を引き、政条家に連れて帰った。

玄関を開けると、雪美の姿に驚いた母親が声を上げる。
「ゆきちゃん泥まみれじゃないの。泥んこ遊びでもして来たの?」
優しい声でそう言いながら、母親はすぐ手拭を取りに行った。そこへ階段を下りて来たのは蓮稀… 目に飛び込んできた雪美の姿に、思わず眉をひそめる。
「…雪美に何があった?」
蓮稀の問いかけに
咲夜は短く事情を説明した。
聞き終えた蓮稀は深いため息を吐く。
「まったく… あの兄妹どうにかならぬものなのか」
ほどなくして着物を抱えた母親が戻って来て雪美に向かってにこやかに言う。
「ゆきちゃん風呂入って来なさい。遅くなるだろうから… 蓮稀はちゃんと送ってあげなさいね」
途端に咲夜が声を荒げた。
「俺が行く!ゆきは俺の嫁なのに!」
しかし母親はにべもなく言い返す。
「蓮稀の方が年上なんだから、ここは蓮稀に任せなさい」
反論を飲み込み
不服そうに口を閉ざす咲夜。
一方の蓮稀は静かに頷いた。
「分かった、ちょうど鈴香にも用があった。そのついでに送るとしよう」
それを聞いた雪美は、ふと目を輝かせる。
「私も鈴香ちゃんに会いたい!」
こうして、雪美と蓮稀は並んで鈴香の屋敷へと向かうことになった。夜の道に並ぶ2人の影は、どこかぎこちなくも、不思議と寄り添うように揺れていた。
雪美と蓮稀が屋敷へ向かう頃
咲夜は居間の窓辺に座り腕を組んで空を睨んでいた。母に言われ従ったものの、胸の奥に渦巻く思いは抑えきれない。
「…なんで、俺じゃ駄目なんだ」
拳をぎゅっと握りしめる。雪美が泥まみれで震えていた時、真っ先に手を取ったのは俺だ。守ってやりたいのは自分なのに。
結局蓮稀に託されてしまう。苛立ちと悔しさで、胸が焼けるようだった。
「ゆきは… 俺の嫁だ」
低く呟く声には、誰にも見せない焦りが混じっていた。頭の片隅には、蓮稀と並んで歩く雪美の姿が浮かぶ。きっと雪美は安心して微笑んでいるだろう。その光景を想像しただけで心が締めつけられた。

